第一章 その5(後)
「何やってんだ? フクライ」
野太い声がボクを呼ぶ。「福来」を「フクライ」と呼ぶのはこの界隈ではひとりだけだ。
「……巽さん、ですか。痛たた……」
心配そう……かどうかは、その竜神のような厳しい顔からは窺い知れなかったが、とりあえず安心させるために天使のような笑みを作り、額を押さえて立ち上がる。
「どうした?」
「いえ、アメ鉄砲喰らいまして」
なんのことだかわからないという顔――をしているのかよくわからないが、言ってるボクもよくわからない。凶器の飴は粉々に砕けただろう。蟻が運んでいって証拠隠滅だ。
ボクが身を起こすと、傍らで屈んでいた巽さんも立ち上がる。ぐおぉっと効果音を付けたくなるような大男だ。見上げてると首が痛くなる。
この人は巽龍さんと言って、今年の春までうちの高校に在籍していた。軽く2メートルを越す長身と、巌のような筋骨逞しい体格で、「厳つい」という形容詞が非常に似合う。腕っ節の方も相当強く、その筋では「ダブルドラゴン」として恐れられていた危険人物でもある。
ダブルというのは巽さんだけではなくて――
「リュウー! 何やってんだよー! お? ネコマンじゃん。久しぶり」
「あ、久しくさせてもらっています、巳津さん」
ローラースケートを履いた長髪の女性が、高速に這い回るヘビのように近寄ってきた。顔見知りだったので挨拶をする。
巽さんの隣に立つと目立たないが、これも女性としては規格外に長身である。巽さんのごつごつでかいという豪快な印象とは打って変わって、ひょろりと伸びた柳腰だけれど。
これだけ体格差があるとペアルックであることも気づけない。巽さんが目の覚めるようなブルー、巳津さんは甘い夢に誘うルビーローズだ。まあ、ペアルックというか単なるユニフォームなんだけど。胸の所に鮹をデザインした刺繍が縫い取られている。
ぬらりとした紅色がよく似合い、軽く化粧しただけで大人の色気が溢れ出している彼女は、巳津竜巳。巽さんとは同い年でこちらもボクの先輩に当たる。
ダブルドラゴンというのは、この巳津竜巳とワンセットの呼び名だ。自称していたわけではなく当人はむしろ迷惑がっていたような気もするけど。本人たちに面と向かって口にしてぶん殴られた奴らを何人も見てきた。まあ、フタツナなんてよほど恥ずかしいのだろう。マンガじゃあるまいし。
「リュウ、焼き手が帰ってこないと商売になんねえだろ。油売ってないで、油ひいてくれよ」
「ああ、すまん」
そう言うと、二人は公園の入り口側へと向かう。置いてけ堀を食わされた形だが、ひとつ思いつくことがあって後をついていくことにする。
「んじゃ、アタシは客でも呼び込んでくるわ。え~、美味しいたこ焼きどうですか~? 瀬土公園内で販売中で~す」
巽さんはこの近くでたこ焼きの屋台を出している。ちょろっと口先で褒めればおまけしてくれるかもしれない。
***
「うわぁ、美味しそうですねえ」
お世辞抜きの正真正銘の賛辞が口を衝いて出てしまっていた。
タコ焼き専用の串が音を立てるほどに熱せられた鉄板の上を舞う。巽さんの大きな手に握られると爪楊枝のようだ。しかし、縦横無尽に振られるそれはまるで指揮棒のように見る者の目を引きつける。そして、整然と、だが揚々と食材を導いていく。
均等な焼き色が付くように薄く引かれた生地に次々に切れ目が入っていく。そして、焼き加減の微妙な違いを捉えるセンサーがついているかのように次から次へとひと穴ごとに生地を折り畳み、寸分のくるいなく反転されていく。
時間差で焼き上がった面には新たに生地が流し込まれ、無造作に掴んだだけに見える片手が閃くと、ぶつ切りでありながら均一のサイズに整えられ具材がちりばめられる。節くれ立った無骨なリクガメのような手からそのような手業が冴えるとは誰が想像できるだろう。
これこそが魔法であると高らかに声を上げたい。
本当に声を出したわけではないが、ボクがあんまりにも見惚れていたのだろう。後ろから巳津さんの声が飛んでくる。
「当たり前じゃねえか。リュウはゆくゆくは『タッコちゃん』を継ぐんだからよ」
我が事のように胸を張る巳津さんも、裏方に入り、慣れた手つきで包丁を躍らせている。完璧な具材の下ごしらえは彼女の仕事によるものだ。
「タッコちゃん」というのは、もう少し街の中心地にある老舗のたこ焼き屋で、巽さんはそこの長男だ。高校卒業後、すぐに実家で働くのではなく、ワゴンカーの屋台で修行中ということらしい。材料などの仕入れは実家から格安で提供されているものの、その他はすべて自らの差配によっているのだとか。
破産したら遠い店舗へ再修業に出されるとか、別な仕事を見つけさせられるのだとか噂されている。
でもまあ、味は確かだし、人望もある人たちなので下校時刻にはかなりの賑わいを見せている。破産の心配はなさそうだった。
「2パックください」
見ている内に我慢ができなくなってきた。2人前ということで多少出費が響くが仕方ない。
しかし、宇佐美の分も買いに来ているということを知らない巽さんたちには、ボクが余程腹を空かせていると見えたのだろう。心配そう(と言っても睨まれているようにしか見えないが)に上から下までジロジロと見られた。
「フクライ、ちゃんと食ってるのか?」
「あ、ええ。ボクは食っても太らない体質ですから」
一瞬、店の奥から氷点下の殺気が流れ出してきたような気がしたが気のせいだろう。いくぶん顔が蒼褪めてしまったかもしれない。それで気を使って無理していると思わせてしまったのだろう。巽さんがあるだけのタコ焼きを引っつかんだ。
「金はいいから、食っとけ」
ドン、とパックが山盛りで目の前に積まれる。食えば元気になるという考えの人なんだよな。でもまあ、ありがたく頂戴しておくとしよう。出そうと思ってた2人分はそっと置いといたけど目もくれない。どうせ後で巳津さんが回収するだろう。
「ああ、これも持ってけ」
そう言って、茶色い塊を差し出す。
「なんですか? これ」
本気で判らなかったので聞いてみたのだが、巽さんは珍しくニヤリと一世一代の大勝負をする任侠の笑みで返す。
「新作だ」
ああ、思い出した。これは『大判焼き』か。薄いプラスチック容器の全面に犇めいているのはただ一個の塊となった巽さん特製超特大大判焼き。大判焼きと言ってももはやこの店のスラングと呼ぶべき代物だ。
この店ではたこ焼きだけでなく、巽さんの趣味で大判焼きも作っている。大判焼きのはずなのだが……とにかくやたらと具を入れたがる人で、変り種なんてレベルでなく、大判焼きという概念そのものを打ち砕くようなある意味豪快な創作料理と成り果てている。牛丼入りとか、五目炒飯入りとか、ヤキソバ入りなんてものもあった。しかも、量をまったく考えない。丼一杯そのままとか、半ライスでいいですよというような量とか、パーティーサイズというか業務用というか。製作工程からして、型を使わずにおやきのようにして平鉄板を使ってひとつずつ手作りの味わいになっている。
しかし、でかい。それになんか小麦粉よりも強い草の香りがする。野菜入れすぎ? ニラレバかな……。大判焼きが、どうやったらここまで巨大な物体へと進化できるのか知りたいくらいだった。もしこの店が潰れるとしたら、まず間違いなくこれが原因だろう。巳津さんが大蔵省となって頑張ってくれるのを期待するしかない。
「わらじ焼きって感じですよね」
巳津さんはプッっと噴出したが、巽さんは聞こえなかった振りをしてわらじを焼く作業に入っている。相変わらず手元は見えないが、出来上がったサイズは小さめになったように思う。
巽さんは見た目はいかついが、……まあ、中身も相応でオトコと書くなら「闘」の文字は必ず入ってしまうような人だ。むしろ、闘いを呼ばずして何を呼ぼうかと言わざるを得ないほどの圧倒的雄度を誇っている。
だいたい、このわらじ焼きを売れる以前に食おうとする人間がどれだけいるのか考えない時点で、自分の中に世界を持ってしまった〝男闘濃〟だ。
さて、そんな巽さんが〝魔法少女〟になどなるものだろうか。たとえなったとしてもボクの探すあの犬娘の可憐な容姿と、この粉もの職人とでイメージが結びつかない。別の姿になっているのではないだろうか。
〝魔法少女〟というと、大抵の人は一定の姿を思い浮かべるのではないかと思う。たいていはその地区で放送されている魔法少女ニュースでの映像が原型だろう。他の地域に行けば当然別の〝魔法少女〟の姿が映っていることもあるのだが、〝魔法少女〟への馴染みを深めようというイメージ戦略なのか、実際の〝魔法少女〟の数に比べると圧倒的に少ないパターンでしか報道されていないようだ。
実際にはひとつの街にひとりの〝魔法少女〟くらいの配分なのが、北海道・東北・北関東・南関東・信越・北陸・東海・近畿・中国・四国・九州・沖縄の地域別にしか〝魔法少女〟はいないというくらいにまでの感覚になっている。まるで全国区の天気予報だ。
あたかも数人の〝魔法少女〟だけで広範囲に渡る性の平和を維持しているかのように印象付けられているのではないだろうか。別にそんな所に文句をつけるわけではないのだが、大多数の一般大衆は認識のズレを持っているということは知っておいてもらいたい。
なぜ少人数ばかりがクローズアップされるのかは謎だが、思いつくところは、スター性というところだろうか。希少性がないと有り難みが出ない。少し論点は違うものの、報道されるものは実態に比べると地味な解決ばかりなので、この考察は当たらずとも遠からずという気もする。どちらにせよTV局レベルの話ではなく、かなり上の方で決定されているわけで知る由はない。
何が言いたいかと言うと、〝魔法少女〟の姿は千差万別なのだ。本当に少女としか呼べないものから、ロリ巨乳、アダルトチェンジ後と思しきかなりセクシーな自称少女、少年としか思えない風貌まで幅があり、それらは〝魔法少女〟たち自身が思い描く魔法少女像を反映し決定されている。そして1回決定すると変更は原則としてできない。ちなみに、衣装と髪型くらいは毎回自由にいじることも可能だ。
そういう事情があるのだから、いくら別人になるのが前提だとは言っても、そこは本人の嗜好が反映されるものなのだ。
犬娘は可愛い。
これはもう圧倒的な事実だ。華奢でいながら均整のとれた身体。気弱さに隠れてしまっていたが太陽のように暖かく明るい笑顔の似合いそうな大きな目とふっくらとした口元。清らかな小川を連想させる透き通った声音。すべてが輝きを秘めた原石のような理想的な少女の姿だった。
はっきり言って、巽さんがああいう格好を想像できるとすら思えない。
あの人なら、純日本人的に逞しい体型、営業スマイルの似合いそうな大きな口、生活感溢れる上水道を連想させる庶民的声といった、某大阪弁飲み屋系勤労少女程度が関の山なのではないだろうか。いや、あれもかわいいことはかわいいが。
ただし、このような事案に対しても対照する手記は存在する。あるプロレスラーによるものだが引用してみる。
俺は、一体今まで何をしてきたというのか。白熱灯が照りつけるリングの上で雄々しく猛り、豪快に敵をなぎ倒す。俺自身がそんな強者を演じてきて、試合を見に来る観客たちにそんなファンタジーを与えてきた。
それなのに、魔法少女に返信(原文ママ)した時の俺は真逆の行動を取っている。折れそうな細い肉体に吹けば飛ぶような可憐なキャラ。そんな誰が見ても弱そうな姿でありながら、どんな屈強な男でも卑小に見えるように軽々と叩き伏せている。
ある種のファンタジーを魅せているのは同じでも、これは枝葉の問題じゃなくて根っこの違う完璧に別物じゃないか。
俺が理想としていたのはプロレスラーとしての俺じゃなかったのか?
でなければ、俺の歩んできた道のりはなんだったんだ……。
引用終わり。
まあ、くだらないとしか言いようがないのだが、1例として挙げさせてもらった。
ただし、例外としてたまたま同じ姿になってしまう別〝魔法少女〟も存在する。
強烈に脳裏にこびり付いている映像を共有してしまったような場合だとか言われているが、同時多発的に同じ姿の〝魔法少女〟の出現が確認されているというだけで確証は得られていない。なお、この件に関しては未だ手記は発見されていないとされる。
巳津さんはどうだろうか。この人の弱みを握ったとしても巽さんと同様の旨みはあるだろう。
なにしろ、他校の男子生徒に呼び出しを喰らって、そこにいた全員を病院送りにしたらしい。まあ、話半分で全員がシップ薬のお世話になったという程度なのかもしれないが、壮絶な逸話となっている。
その文脈はこうだ。「タツミという奴を出せ」と喚いているのがいるので巳津さんが出張っていく。「自分はタツミだがなんか用か」と問えば、強いと強いと言われる生意気な一年生をシメにきたと言うようなことが辛うじて聞き取れた。(じゃあ、あたしのことだな)とのこのこ付いていくと男子高生らしき30人ばかりがずらっと集まっている。しかも凶器を持っているのまでいる。で、問答無用で全員をKOする。何パターンかの噂で悉くメインとなる決闘は「で、」で済ませられてしまう。よっぽど印象に残らないくらい物足りなかったのだろう。よくよく話を聞いてみればタツミはタツミでも、巽龍の方を呼ぶ手はずだったという。全滅するまで誰も気付かなかったのはおかしいと思うだろうが、「やたらでかい男」という特徴しか伝わってなく、当時185センチの巳津さんは初見のそのバカどもに本気で男と見られてしまい、一切疑われなかったそうな。
なんとなく、悪鬼羅刹と化した大女が、本気で全員病院送りにしてしまったとしてもおかしくない気がしてくるのがこの話のミソになる。真偽のほどはともかく、その日から巳津さんは髪を伸ばしだしたそうだ。
そんな因縁を持っているだけに、初顔合わせの時は剣呑な雰囲気であったそうだが、激しくぶつかり合った後は逆に一気に親密になったと聞く。
それで卒業してからも巽さんといつも一緒にいる彼女が、〝魔法少女〟として別の顔を持つことなど可能なのだろうか。まあ、そこまでぴったり離れもせずにいるわけではないのであるが。副店長然とはしているものの屋台の方はあくまで善意から手伝っている形で、それとは別に巳津さん自身も何か職を持っているらしい。
もちろん昼間っからラブラブするためにブラブラしにきているような人だから勤め人ではないし、日雇いか工芸的な作業でもしているのではないかと思われる。並の男と並ばせると、男の方が気の毒になるくらい身長が高く、この時期から脇を見せびらかすようなタンクトップを着て、そこから伸びる腕もアスリートのように逞しいが、意外にも手先は異常に器用だ。焼くのはさすがに巽さんが仕切っているが、材料を切るなどの下処理はほとんど彼女がこなし、手際も驚くほどスムーズである。
あれで少しは巽メニューに口を出してくれれば助かるのだが、惚れた弱みかにこにこと見守るだけで口出しは一切しない。たまに握りつぶされた電卓がそこら辺に転がっていたりするが。実は料理センスがないとかなのだろうか。
しかし、この二人の内どちらかが犬娘でなくても構わないとは思う。寅田のいじめに遭っていたボクを見兼ねてなんとかしてくれたのはこの2人だ。具体的にどういうことをしたのかは知らないが去年の暮れから正月明けくらいまで寅田の奴は学校を休んでいた。わざわざ冬季休暇に重なるように日程を選んだのは2人の優しさか。
だから、恩義は感じているし、損得抜きで何かをしてくれる相手にこれ以上何をさせれば良いのかも、正直わからない。