第一章 その4
「――ですから、〝ワタシ〟が〝貴女〟に対して抱く気持ちは一般的な異性に対してのそれと変わらないのです。肉体的には同じであるはずのカワイイ女性を見て自分とは違うなあ、女の子って良いなあって性衝動を強く意識し、こう胸がドキドキ高鳴ってですね、やがてはすべてをじぶんのものにしたい、あるいはめちゃめちゃにされたいと想うような恋へと変わるのもおかしいことではまったくぜんぜんないのですよ」
そういえば昔、高校教師が元教え子に「彼はゲイだ」と逆告白される外国映画を見たことがある。内容は忘れてしまったが、途中で居眠りをこいて亀に負けるウサギのような失速感がすごかったのだけは印象深い。
「だからですね、これは変態なのではなく正常な心の動きなのです。もしも、うさ先生がキミのおっぱいを揉みたいんだと言っても、なるべくならイヤな顔をせずにいて欲しいのです」
男女の別関係なく、いきなりそんなこと言うのは〝魔法少女〟の仕事をいたずらに増やすだけだから止めて欲しい。実際問題として、友達感覚で触りっこくらいならセーフだろう。
さて、ボクの真正面やや遠間に立つ女性は盛大なレズ・カミングアウトをしているわけではない。
女性とは言ったが、より具体的に形容すれば『女児』になってしまう。しかしそれは正確ではない。
小学生にしか聞こえない声で、小学生にしか見えない体躯で、小学生が無理矢理教壇に立たせられているかのような絵面ではあるが、歴とした我が担任にして保健体育教師、宇佐美羽衣である。
「同性愛と一口に言っても、様々な事情があるのですから、まずは相手のことを知る、理解するべきなのです!」
宇佐美が熱い教鞭を振るう。お題は「性同一性障害について」。
つまり、熱くなりすぎてなんだかよくわからない戯言になってしまったとしても授業をしているということになる。
寝言を繰り返して金が貰えるなんて大層なご身分だ。ボクが貴重な睡眠時間を潰してまで〝魔法少女〟探しに躍起なっているにも拘らず、だ。腹立たしいことこの上ない。
「まねきくん、起きていますか……?」
毎日生卵とハチミツでうがいでもしているかのようなとろっとろに粘度の高い黄金色の声がおそるおそる注がれてくる。量を間違えたらせっかくの料理が台無しになってしまうかのように。
居眠りしてる生徒に注意するのは教師としての当然の権利なのだからもっと堂々としていればいいものを。
右手を挙げて眠りの国へ旅立っていないことをアピールしておく。
今、宇佐美はボクを下の名前で呼んだが、これは妹とも面識があるためだ。
1年の時に色々あって、自宅に宇佐美が来たことがある。
宇佐美が眼鏡を外しているところへ、ボクと入れ替わりでマタギが入ってきた。極度の近視だった宇佐美はマタギをボクだと見間違え、そのまま2時間くらい勘違いしたまま話し込んでいたらしい。ボクはほっとけば宇佐美が呆れて帰るだろうと、外で適当に暇をつぶしていたが、後で聞いて呆れ返ったのはボクの方だった。
ついでに母は妹として紹介され〝担任と兄妹の三者面談〟状態だったらしい。声や背格好で気付よと思うのだが。というか、しれっと小学生として振る舞った母はさすがにどうかと思う。母の頭は話を聞いた瞬間に引っぱたいておいた。
そんなこんなで妹や母とも親しくなった宇佐美は猫魔という呼び方を避け下の名前で呼ぶようになった。まあ、別にボクだけ『猫魔くん』で呼べば済む話なのだが。
というわけで宇佐美に他意はないとしても、女教師に親しげに接せられているかのように見えるものだから、最初の内はからかいまじりの視線が痛かった。だが何しろ小学生先生のやることだ、すぐに皆慣れてしまった。
宇佐美が名前で呼ぶようなのは、このクラスではボクと玉子とあと数人程度なのだけど。
ガキっぽい外見なので、ボクもからかうつもりで個別質問をしに行ったことがあるが、真剣かつわかりやすく教えてくれた。ああ見えてなかなかできる女だ。すぐにテンションが上がってしまわなければ。
まあ、数少ないボクが言葉を交わす人間のひとりでもある。
ということは、ボクに何か隠し事をする必然性があってもおかしくない。あの〝魔法少女〟の正体候補になり得る。
宇佐美の事情までは知ったことではない。
あれほど嫌がっていたのだから相当のことがあるのかもしれないし、他者にはうかがい知れない内面の問題――言い換えればくだらないことなのかもしれない。そんなものがあったとしても、化けの皮をひん剥いた後でどうしても聞いて欲しけりゃ聞いてやる。
ところで、宇佐美を思うが侭にしたところでメリットなどあるのだろうか? 現実問題、利点の乏しいことに力を注ぐのは骨が折れる。
教師という立場から思いつくのはテスト関係だが、あいにくボクはさほど学力に関して困っていない。推薦を取るなど利用価値はそれなりにあるのかもしれないが、どうも後ろめたい気持ちが勝ちそうだ。まあ、学校という閉鎖空間で生活する上で教師の協力があるというのは損になることはないだろう。
問題としては、宇佐美はあれでももう三十路だということだ。
嫌な言い方だが、トウが立ちすぎてやしないだろうか。
魔法少女たちは見た目に関しては蒼い蕾のローティーンが多い。中には庇護欲を誘うアンダーティーンやおっぱいをぶるんぶるん揺すりながら戦うアダルトな〝少女〟たちもいることはいるが。
性別すら無関係なのだから外見年齢が実年齢であるはずもないが、イメージはしにくいところだろう。特に、行動についてはかなり見た目年齢と一致するらしいのでわざわざ〝魔法少女〟になろうと考えるのも近い年齢なのではないかと考えられていた。
宇佐美ならば変身などしなくても小学生で通じそうではあるというのはさておき、これも〝魔法少女〟たちの手記でわかったことだが、最高齢で〝魔法少女〟になったのは92歳だったそうだ。彼女の筆を引用する。
魔法少女というのは私にとって翼のようなものだ。重力に負け折れていく腰も、起き上がることさえ困難な底なし沼よりもなお怖ろしい湿気た布団も、悪を討つためにまっすぐに翔けて行くあの瞬間には全て忘れられた。ただの人間である私には鳥のように飛べた日などあるわけもない。しかし、あの(削除)の及びもつかない高揚感に包まれていると、これが本来の自分なのだという思いに取り付かれていった。
鳥に翼があり空があるのが当然なように、いつしか私は近くで性犯罪が起こる事を常日頃から望むようにさえなっていた。魔法少女が現われる時、それは誰かが涙を流す時と同義であり、正義が行われようとも不義は溜まっていった。魔法少女への変身が解除され、老いと病がこの身に舞い戻り、地へと縛り付ける重力の他にもう一つ、胃の腑を直接抑え込むような重荷が増えていくのを感じずにはおれなかった。
それでも、吐き気を催す嫌悪感をすら抑え込んで余りある夢心地が待っていたのだ。
引用終わり。
まるで罪の告白であり、実際多くの〝魔法少女〟にあらざる人たちにとってはそう受け止められた。俗に付いたサブタイトルは「魔法少女という名の罪悪」。利己的であり性犯罪の発生を望んでいるかのように受け止められる文章が混じっているので、しばしば魔法少女反対派が引き合いに出す有名な手記でもある。
当の本人はといえば、引退は最期までしなかったということだ。彼女は最後の仕事を終えた後、歓喜に包まれて昇天してしまったらしい。興奮状態が元の老体へまで引き継がれた結果、心臓が過剰な働きに耐えられなかったのではないかと推測されている。腹上死のようなものだろう。
遺体は老衰と判断され火葬されたが、遺品整理中に10冊以上に及ぶ手記が発見された。現職の〝魔法少女〟は神聖不可侵とされているが死後はただの人だ。〝魔法少女〟に振りかかった不慮の死との因果関係を明らかにできるとの黒い期待が持たれた。
しかし、この発覚は遅すぎた。その時には既に荼毘に付され解剖調査はできなかった。一説には、誰かが時期を窺い手記を隠していたのではないかと囁かれたが真相は藪の中だ。
***
「あの……うさ先生の授業……だめだめでしたか?」
メガネの向こうにジューシーな瞳が美味しそうに並んでいる。
「そんなことより、授業を進めてください。授業中でしょ?」
「あぅ……やっぱり聞いてませんでしたね……。もうとっくに終わっています……」
涙声になってますます近づいてくる。そのままだと泣き出しそうだ。
チラと周りを見ると、確かにもう席を立っている生徒も多い。失言は認めよう。
「いや、今日はたまたま考え事――心配事があったんです。すみません」
先生の授業がつまらないとか退屈とかそういうことはありませんからと続けようとした。
その場限りの誤魔化しなどではなく、本当にそう思っている。宇佐美は幼い外見とは裏腹にかなり授業が上手い凄腕の教師だった。宇佐美が受け持ったクラスは平均点が二割は違うと言われている。たどたどしいということもなく、教科書をただ読み下しているわけでもない。メリハリを付け、生徒の理解度にも目を光らせてインタラクティブな授業をし、声の抑揚にまで気を配っている。予備校などに通っている連中にしてもこれほど教えるということに才を発揮している人物は他にはいないと専らの評判だった。
惜しむらくは暴走しがちということと、保健体育専門だということだ。それ以外の教科については頑として断っていると聞く。
別に保健体育イコール性教育というわけでもないのだが、宇宙人に侵略されて以来、性教育は大幅に増強された。どうも宇佐美はそこに拘っているらしい。それでも受験には関係ないし、学校経営者としては他の教科も教えさせてみたいという気持ちが強いのはわかる。しかし、教壇に立ってから数年来保健体育一本で通しているのはどういうことだろうか。校長の弱みででも握っているのか。いや、宇佐美に限ってそれはないだろう。脅しのネタを握っても、それをあの校長相手に行使するだけの気の強さもない。
単に向き不向きをわかっているというだけだろう。ボクも理系科目は比較的苦手だったりする。
ともあれ、宇佐美羽衣は極端に気が弱く自分に自信が持てない性格だ。いじって遊ぶ分には面白いが、意図しないことで落ち込まれてはつまらない。癪だが、一方的にボクが悪かったと認めてしまった方が気分的に楽だ。
などと宇佐美本来の実力とは無関係なのだと安心させようと長考に入りかけていたのだが、ちびっこ先生はそうとは取らなかったようだった。
「ええっ! ままねきくん、大丈夫ですか? うさ先生そんなこととは知らずに失礼しました、ってどうしたらいいのかな? 児童相談所? 消防署? 110? お葬儀屋さんは? ままねきくん、気をしっかり持って! ままねきくん、ままねきくん、ままねきくん! こんな時に学校の先生は何をやってるのぉ~!」
ぶるんぶるんと頭を振り回すと長い髪が絡まってもつれて倒れそうになる。ボクの名前を連呼するも、「ま」が多い。興奮するといつもこうだ。
学校の先生はあんただ、しかも担任、と言いたい気持ちもあったが警察まで呼ばれてもたまったものでもない。事態の沈静化を最優先する。パニックになった先生をとりあえず座らせてメシでも食わせることにした。
「先生、落ち着いて! あ、そうだもうお昼ですよね。一緒に食べましょう」
「へぅ? でも、先生お弁当持ってきてないですよ?」
「じゃあ、買ってきますよ。お金ください」
金銭の受け皿として掌を差し出す。それを悲しそうに見つめる宇佐美。
「ないです……お金も持ってきてません」
しょぼんと頭を下げると、髪がぺろんと垂れて顔の前を覆う。どうやってメシを食うつもりだったんだ。
「うっかり財布でも落としたんですか? しょうがないですね」
「すごく高いお買いものしてしまいました……」
残金と相談して買えよ。ローンにするとか。
「ああ、もういいです。おごりますよ」
「ありがとう! まねきくん!」
ちょっとは遠慮しろよ。今は面倒臭くなくていいけど。
「なんでも良いですよね?」
「美味しい物ならなんでもいいですよ。えへへ、まねきくんは優しいからおごってくれると思っていました。職員室帰らなくて正解です」
計画的犯行だった。
なるべく安く上げるランチプランを練りながら買出しに出かけることにした。