第一章 その3
「いい加減にしやがれ!」
爽やかな朝の空気を濁った怒りがかき混ぜる。
人もまばらな通学路では、玉子の囀りが鬱陶しいだけだったが、学校の敷地内にもなると人口密度も上がり、それなりに騒々しくなってくる。靴底が砂利を蹴散らす雑音と、友人同士の交わす挨拶やおしゃべりが学校特有の賑わいを見せる。
その甘く、爽やかで、平和的な騒音を、敵意剥き出しで叩きつけられた暴力的音声が突き破る。
過ぎゆく生徒も振り返り、笑いの形に開かれた口は緊張に引き締められる。ピリピリとした緊張感が高まっていった。
「ぼ、僕たちは校則違反を見逃すわけには、い、行かない……!」
不穏な空気の発生源となっているのは、痩せぎすで腕章を付けている男子生徒と、気の荒そうな目つきをした野獣の対峙だった。服を着て直立歩行していようが、馬と鹿なら野生の獣だろう。
生物同士の対立は周囲に近寄りがたいフィールドを作り出すものだ。それがハイエナとかハゲタカとかオサムシレベルの死肉争いであっても。
腕章の方は普段から目にする顔だが、話したことは疎か、名前すら知らない。他方、食って掛かっているバカを人間様のように名前で呼ぶのも愚かしいが、あれは隣のCクラスにこびり付く校内きってのゴミ、寅田維賀だ。
金蠅のたかるうんこ色に染められた短めの髪はツンツンに立っていて、染めわけた黒い筋が走って模様を作っている。まあ、言い方を変えればトラガリだ。意味なんか知ったことか。頭部にはそこかしこにピアスが目立つ。耳たぶにゾロッと並ぶ金具は重くて千切れそうなくらいの大きさのものもあるし、耳以外でも鼻にキラリと光っていたりする。緩めすぎて首輪にしか見えないネクタイ。ボロ切れを纏っているんじゃないかというほどに外されすぎたボタンは毛深い胸元を隠さない。短足そのものであるかのようにずり下げられたズボンの上にははみ出されたシャツが掛かっている。
まあ、見た目通りの不良だ。人間としての欠陥品だ。
しかし、その身に纏う凶気は、イキガって格好を付けているだけの虚仮威しではない。そのことはボクが良く知っている。その寅田が吼える。
「てめえらに文句つけられるいわれはねえよ! せっかく人が気持ちよくガッコきてやってんのにうぜえんだよ!」
とはいえ、目に余るほどの素行不良っぷりを見せていたのは一年の時の話だ。あの頃であれば叩けば埃、というかタバコの煙や危険な金属が奏でる音やらが出る身で、警察官に職質でも掛けられたらマズイ状態だったはずだ。
そんな札付きも、最近丸くなったので風紀委員なんかにも付け入られている。疚しいところがなくなってからツツかれ始めるとは因果な話だ。
正直、ざまあ見ろとしか言いようがない。しかし、寅田が暴れていた頃、我が身かわいさで見て見ぬふりをしていたやつらは今ものうのうとしている。そいつらまとめて地獄に落ちれば良かったのに。本当に残念なことだ。
とはいえ、近頃の寅田が大人しいのは事実で、今日はたまたま虫の居所が悪くて爆発したというところだろうか。
確かに、身なりについてはギリギリ校則内で収まっているようだ。今の寅田を見てセーフと思えない人も多いだろう。しかし、〝学び舎の仲間〟に意見を言われることがあっても、職権を持つ大人たちに取りざたされることはない。
我が校の校則はよく読むと結構緩いことで知られている。緩すぎて、いやあれは常識的にはアウトだろと恩恵を受けるはずの生徒からも思われてるのだが。
例えば、身だしなみについては、
『学生らしい服装・髪型をしましょう』。
これだけなのだ。
具体的にどういうことが禁止なのかは決められていない。
生徒会の方で「ピアスとか髪を染めるのは止めましょうね」みたいな指針は定めているが、生徒たちの自発的な『目標』を違えたからといって、即座に校則に抵触するものではないということは校長が明言してしまっている。
曰く、
『見た目で文武は成り立たない』
だそうで、若い頃は戦地で授業を受けたり、犯罪多発地区で教師をしていたとかで、まあそりゃ色んなことがあったんだろうなと想像できる。
お堅い生徒からの反発もあって、じゃあ全裸で学校きたらそれでも校長は咎めないつもりですかと問いただしたら、
『全裸で授業受けられるならやってみろ』
とのことである。まあ、質問した奴もイイ神経してる。
そうなったら、〝魔法少女〟が確実にボコりにくるのだけれど。
では無法地帯になったかというとそうでもなかった。
一端としては生徒会が『注意』をすることも止めなかったからだ。みんなも締め付けられるよりはマシかなと思いつつも、自治的な服装チェックで問い詰められるのも馬鹿らしいと考えるのか、さほど奇抜な外見を選択する者はいない。極一部の生徒を除いて。
不公平感を募らせてしまうのではないかというと、アホのお陰で自分たちから目が逸れてくれているのだからとでも思っているのか、一般生徒からの反感は小さい。それもまた極々一部を除いての話だが。
要するに、寅田はその極一部のそのまた極々一部、進んで奇抜な身なりをし、それだけでなく周囲に実害を与えていた鼻抓み者だということだ。
実際にいじめられていたボクが言うのだから説得力があろうというものだ。
しかし、あいつなんでこんな朝早くから来ているんだ。不良なら不良らしく遅刻するか休むか退学するかドラッグで死ねば良いだろうに。目障りなことこの上ない。
ボクとしても係わり合いになるのはごめんなので、2人を横目にさっさと校舎に入っていったが、寅田との過去を振り返れば、人間関係としては濃くもないが薄くもないことに気づく。業腹なことに。
ヤツが〝魔法少女〟だったらそりゃボクには知られたくはないだろうな。何が嫌なのかまでは知ったこっちゃないが。それでも、普段とのギャップがギャップだ。少しは恥ずかしいだろう。それも自分がイジめてた奴に見られたのであれば。
何にせよ、寅田がそれを隠そうとしているのなら、それは弱みであり、付け込む余地はある。ボクをイジめて楽しんでた小物が正義ぶって可愛らしい〝魔法少女〟か。皮肉とはこのことか。
検討するに値するかもしれない。正体をつかめるかどうかではなく、奴の弱みを握ってどうするかをだ。正体なんてそう簡単にわからないだろう。
もしそうだったらと妄想してみる。這い蹲らせて許しを請わせるというのも面白いかもしれない。腹いせに無理難題吹っかけてやるのも楽しいかもしれない。が、やりすぎても逆ギレされるだけかもしれないな。正体を知られたくないというのがどのような理に拠って立っているのかが重要だろう。そこまでやってしまったとしたら、正体をバラされることとのバランスが取れないので、逆上した奴の反撃を受けることも予想される。まあ、ちくちくいびるくらいなら平気だろう。
しかし、寅田が〝魔法少女〟というのは問題がないものか。
寅田維賀という男、重大事件こそ引き起こすとは思えないチンピラ風情ながら、小規模な犯罪は常習者だったらしい。主にケンカやカツアゲ、賭博、飲酒喫煙、深夜の無免許運転に万引きと言ったところか。万引きは補導されたことが1回あったという程度だが、その1回についても本人が否定し証拠もなかったことから、真偽の程は定かでないのだが。やっててもおかしくない。
一方、〝魔法少女〟は性犯罪に限定されるとはいえ、いわゆる正義の味方だ。犯罪者や生来的悪人がなれるものなのだろうか?
結論から言えば、凶悪犯罪者の〝魔法少女〟は実在した。
ボクだって品行方正の度合いでは人のことは言えないが、その〝魔法少女〟は格が数十段違っていた。
殺人、放火、誘拐に強盗と性犯罪こそ含まれていないが重大犯罪目白押し、酒に酔えばすぐケンカ、人は殴る、物は壊すの大乱闘。投獄回数は実に3桁の大台に乗り、顔を見れば猫も恐れて逃げ回る有様だったという。
ちなみに、性犯罪を犯していないのは本人が美しい女性であったからという面も大きいのではないかと考えられている。たとえば男女を問わずいきなり局部を触る程度はよくあったらしいが、特に不快感を抱かせなかったのだろう。美人は得だ。
彼女の手記が発見された時は、世間への影響度を考えて極秘裏に処分することも検討されたようだが、結局、死後の情報公開は〝魔法少女〟の権利のひとつということで押し通され、国籍を伏せるという条件でしぶしぶ公開された。〝魔法少女〟の手記はそのまま公開するわけにもいかないので編集された上に検閲が入るのが普通で、有名なものだといくつもの版がある。ボクが読んだのはドイツ語版の邦訳だった。
発表されるや否や興味本位から全世界でベストセラーとなったが、二律背反の苦悩と哲学的思索さえ読み取れる内容は宣伝文句とは別の意味で全世界に衝撃を与えた。〝魔法少女〟と倫理観を語る上で度々引用されることがある。次のようなものだ。
私が性犯罪者ども(訳者註:原文では口汚い罵倒。文脈から推定)を打ちのめす時、その顔はしばしば私自身を映しているかのように感じられた。生きるために犯罪を犯し続けてきた私にとって憎み続けてきた性的な暴力。生命にとって必要不可欠とまでは言えない状況下で行われる自己中心的な快楽は、私がなりたかった自分から引き剥がそうとする悪魔の手に他ならない。卑しい汚らしい性犯罪者どもに成り果てる。それもまた私が成るべき姿であったのか。その姿を持ち得たならばそれまで私が振るってきた暴力はすべて私自身へと振り下ろされることになるのだ。
時折、犯罪現場(訳者註:盟約により地名をそのまま記すことはできない。世界的に有名な犯罪ストリート)においてこのまま何もせずにいようかと迷うことがある。悲劇が起こるに任せてしまいたい。憎しみに燃える被害者が立ち上がり、その人自身の怒りで犯人を殺害してしまえば良い。それがもっとも自然なことなのではないかと思えるからだ。
誰かのために何かを為すのでは誰も救えない。消極的に犯罪に加担した私を追い掛けて殺して欲しい。その時、私は被害者のそして自分自身の真の救いを見出すことができるのかもしれない。
だが、空虚な心が冷やす血液が機械のような心臓に押し出されいくら全身を廻ろうとも、握った拳を濡らす罪人の血はいつもそれ以上に冷たいのだった。
引用終わり。
まあ、悪文だということを除いても、ボクにはこいつの気持ちはわからない。ボクだけじゃない。全世界の〝魔法少女〟たちもその大半はわからないと言うだろう。何しろ〝魔法少女〟たちは与えられた強大な力を誇示し、憎い犯罪者を踏み躙ることに命を懸けているのだから。他人に命運を預けることの無意味さを一番よくわかっているのが〝魔法少女〟なのではないかと思う。でなければ、義務でもなければ見返りもなにもない〝魔法少女〟になど誰がなるだろうか。
自分がやらなくても、誰かがやってくれる。
一瞬でもそう思ってしまったら足が止まってしまう、そんな世界の話なのではないかと思うのだ。
寅田維賀が果たしてそのような葛藤を抱え込むような男かどうかはともかく、前例から言ったら〝魔法少女〟ではないとまでは言えないといったところだろうか。
さすがに四六時中殺りまくりの犯りまくりなんて奴なら除外だろうが、そんなの滅多にいないだろうからな。