第一章 その2
【件名】 おはよう
青い空!白い雲!
今日も爽やかな一日が始まるね
こんな日には、僕が君に贈った
ストライプブルーのパンツが
よく似合うんじゃないかな?
おっと、お揃いにしたいからって
ブラを買うのは待ってくれよ
キミにはまだ早いっていうのもあるけど
最高に似合う初ブラをプレゼントするという
今の僕の最高の楽しみを奪わないでおくれ
じゃあね、マタギちゃん
ああ、そういえば今日はシマシマのトランクスだったな。白と水色の。送られてきたメールを見て、げんなりと思い出す。
念のため確認しておくとすれば、ボクは男だし、大胸筋サポーターでもない女性用下着――ブラジャーを着用するような特殊な趣味はない。
このいかれたメールの送信者は牛頭ハンスという男だ。
言及すること自体馬鹿らしいのだが、ボクにソッチの気はない。至ってノーマルな性癖だ。
そして、ボクの名前はマネキだ。猫魔福来。福が来ると書いてマネキ。今は亡き父親はマネキ猫で福を呼びたかったらしい。
誠に遺憾ではあるが、男にラブコールを送られることは否定できない。小柄で女顔をしているので、女に間違われたり、間違われなくても美少年好きから一方的に言い寄られて迷惑するなんてしょっちゅうだ。まあ、それはボクの責任じゃないし。しかし、牛頭に関しても、ボクの性別を知らなかったりホモセクシュアルというわけではない。
では、このメールはなんなのかというと、実は妹の再来宛てだ。再び来ると書いてマタギ。今は亡き我が父よ、あんたはちょっとおかしい。
マネキとマタギ、一文字と半分の間違いだがメールアドレスというのはそこまで単純に間違えられはしない。ちなみに、アドレスはそれぞれ、ボクがhappy-neco285@XXXXで妹はcat-returns285@XXXXだ。末尾の285はニヤーゴという我ながらベタな猫の鳴き声を中てていたのだが、偶然妹も同じことをしていたと知った時は首でも吊りたくなった。とくかく、マネキとマタギを間違えるような真性のド阿呆でもこんなもの間違えようがない。
ボクの可愛い可愛い妹のマタギ。ただし顔だけ。ボクによく似て美の女神の祝福を余すところ無く戴いた完璧な小学生。まあ、いくら似ているとは言っても、さすがに片割れであるボクも高校生だ。見間違えられることは無くなってきたけれど、父親には1回だけ間違われたことあったっけ。本当に親失格だ。
中身に関してはあいつと似ているつもりはこれっぽっちもない。「顔がいくら良くても性格が最悪じゃあな」とは、お互い様に思っていることだろうが。
そう、ボクは可愛い。鏡を見るたびにそこに立ち現れるのは、澄ましても、おどけた表情を作っても、天使のように男女問わず魅了する美顔だ。たまに自分でも見蕩れてしまう。
これだけ可愛ければ性犯罪被害発生率が常人の数百倍であったとしても不思議でもなんでもない。物心ついた時から、つい先日に至るまで変態どもの目から逃れられた日はない。しかし、いくら容姿が完璧だと言っても、これはもう呪詛や体質の問題としか思えなくなってくる。非科学的なことこの上なく、不愉快だ。
マタギはこの被変態体質までは受け継いでいなく、兄から見ても実にのびのびと育っている。
ところで、野菜というのは消費者に届くようなものは形が整うように強制されているものが多い。自然に育つに任せると外的刺激を受けやすく、ちょっとした原因で歪に成長してしまうからだ。
野菜程度でそれなのだから、数倍の時間を複雑な環境で生きる人間というものは、たとえ性的トラウマを持たなくても歪曲してしまうのは仕方ない。
もっとも、あいつはどちらかというと性的に虐める側に立つ人間だ。小学6年にもなってブラも着けていないのは、世界の意志が「まだ間に合うからもうちょっと……その、がんばれ」と告げているに違いない。実の兄から言わせてもらえばとっくに手遅れだが。DNA的にそこまで大きくはならないと思うが、いずれは道を歩けば男どもが傅くようになるだろう。
毛も生えない内から将来の夢に『悪女』と書き、その意味もきっちりわかっていた筋金入りの妹。この先あいつと出会う男性たちには同情を禁じえない。食い物にされるのはそいつらの責任だが。
まあ、悪女になりたいなんてことを思い描いているのも、暴風雨のような性の陵辱を受けていないからともいえる。ある意味、無垢な妹なのだ。
そんな汚れなき妹の汚点となる危険性を孕んでいるのがこいつ、牛頭ハンスだ。
小学生に本気で恋する17歳を一言で表すなら、救いがたいロリコンだ。いや、牛頭とマタギが初めて会ったのはボクが中学に上がってすぐのことで、しかも一目惚れだというのだから弥勒菩薩でも救えないペドフィリアなのだろう。
ストライプブルーパンツは、届いたその日、灰になった。
【件名】 Re:おはよう
なぁーに言ってるんですか。だめですよ。朝からエッチな話題は。
せっかくいただいたのですけど、やっぱり穿けません。
特別じゃない日に穿くのってもったいなさすぎます。
妹の口調を真似て返信する。
青い空に白い飛行機雲が掛かったあの日、火にくべられた布切れが黒と灰色の欠片となって宙に舞い、そしてボクは牛頭とマタギとしてメールをするようになった。
牛頭はすっかり騙されていて嬉々として延々と無為なメールを送りつけてくる。精神衛生上省略しているが、胸焼けするような甘ったるい顔文字・絵文字満載のメールに心底うんざりする。妹との契約でなければ即刻打ち切ってしまいたい苦行の日々だ。ひょっとして今までマネキとして牛頭とした会話の分量以上にメールしているんじゃないだろうか。
「待てよ……」
そうだ、牛頭とはマネキとして面識もある。マタギとして毎日メールしているほどではないにしても、知人と言ってもいいレベルではあるだろう。遠くから見るだけだった牛頭と妹を接近させてしまったのもボクという仲介があったからだ。
あいつのメール件数は異常だ。今後いちいち受信送信は書かないが、日に3桁に上ることも少なくない。友情など感じていないので友人と呼ぶのに抵抗感はあるが、あいつからしてみればボクに対して友誼を抱いている可能性もある。
『義兄さん』とか思っていたらたまったものではないが。
何を言っているのかというと、牛頭ハンスに〝魔法少女〟の推定が働くかどうかということだ。
もちろん牛頭は男だ。
同年入学のボクと同い年。進級できていれば2年生ということになる。牛頭は現在不登校中だ。ひきこもりではない。むしろ家に帰っていないらしい。
猫魔再来専属ストーカーの事情はともかく、「男であるならば〝魔法少女〟っておかしいだろう?」という疑問が涌くのは当然だ。
〝魔法少女〟について無知であるならばそう思っても致し方ない。
だが、注意して欲しいのは、ここでの〝魔法少女〟の定義とは『魔法を使ったかのように少女の姿へ変身する』ことなのである。リボンが付いただの外れただの、髪の色が変わるだの、衣装が奇天烈になるだのといった事柄は瑣末に過ぎない。〝魔法少女〟の変身は変装なんてものとはそもそもモノが違う。
宇宙人は〝魔法少女〟のアニメだのを見て思ったのだろう。
『姿を変えるのは身元を特定できないようにするためのものだ』
だから、〝魔法少女〟の変身というのは、見た目を原型が分からないほどに変えてしまうものになった。それが女から女だろうと、男から女だろうと関係がない。
最初に〝魔法少女〟が登場した時は皆が皆勘違いしていた。あまりにも自然に動き回る愛らしい姿に〝魔法少女〟への先入観が植えつけられてしまっていた。だから、衝撃の事実として明かされた時も中々受け入れてくれなかったらしい。
しかし、〝魔法少女〟の手記を読めば、かなりの割合で男の〝魔法少女〟が誕生していることがわかる。
秘密主義を取っている〝魔法少女〟は公に開示される生の情報があまりにも少ない。しかし、〝魔法少女〟が運用され始めてしばらく経った頃、ぽつぽつと〝魔法少女〟自身が記したとされる手記が発表されるようになった。〝魔法少女〟としての活動を含めたその人の日常を淡々と時に生々しく綴られた手記は〝魔法少女〟の調査・研究に役立てられている。
もちろん、すべての〝魔法少女〟が自分の正体を明かすようなことを選択するわけではない。それでも、視聴率調査と同じくらいの信憑性を持つに至る程度のサンプル数がある。
一例を引用してみる。
今日から魔法少女になった。この日記を誰かが見たら書いた奴は頭がおかしいと思われるんじゃないだろうか。世間を賑わせているあの『魔法少女』が俺だなんて。
いや、それは少し正確でないか。俺の魔法少女デビューはまだだ。昨日までの俺を含めほとんどの人間が思い違いをしているが、魔法少女は一人じゃない。
ちょっと考えればわかることだが、地球上には数億の人間が暮らしているわけで、同時に事件が発生することもある。それでも魔法少女はすぐさま現場に駆けつけなければならない。性犯罪根絶を謳った魔法少女が一人じゃ、賄い切れるもんじゃないだろう。
でも、俺の魔法少女…ややこしいな。『俺』が世に出たらきっと皆間違いに気が付くだろう。
しかし、魔法少女が一人だけと考えられていたのも無理もないとも思う。それくらい同じ姿かたちを取っていた魔法少女でありふれていたからだ。もしかしたらメディア側がそのような印象を持つように情報を取捨選択しているだけで、実際には違う姿の魔法少女もいたのかもしれない。
俺もその一人だからだ。俺はあろうことか、かなりアダルトな魔法少女へと変身することになった。おっぱいぼいーんのウエストキュッのヒップずきゅーんという感じだ。
いや、俺も世間一般の魔法少女は見たことがあるし、そういうイメージもわからないでもない…ないけど、俺にとっての魔法少女ってのはあんなロリロリで萌え萌えな小学生みたいなのじゃなかったんだよ! あれはどっちかというと変身前だろ? 魔法少女が変身して、こどものままだったらおかしいじゃん? きゅ~っと背とか髪とか伸びて、少女が憧れるような大人の女性になっていくのがイイわけだろ? 宇宙人含めて頭おかしいんだあいつら。
常々そういう不満を抱えていた俺は、初めて鏡に映った脂の乗り切ったアイドルみたいな肢体を眺めて満足だったさ。受け入れられんのかなあって、ちょっと後悔はしたけど。でも、一度変身後の肉体を決定するともうチェンジできないって言うし!
…まあ、近々お披露目はあるだろう。その時に俺を見てもがっかりしたり嫌いにならないで欲しい。
この日記は俺が死んだ後に公開可能らしいけどな。
引用終わり。
これは数十年の魔法少女史でも比較的黎明期に記されたものとして有名な文書だ。文中で『メディア』と言っているのは、『魔法少女ニュース』のこと。〝魔法少女〟による犯罪防止を宣伝するためにわざわざ通常のニュースとは別枠でその日の〝魔法少女〟の活躍をテレビ等で流しているのだ。特に異星人からの要求があったとは聞いていないが、どの国でも同じようなことをしているらしい。
慣れてしまった今では時報代わり程度の認識しか持たれていないようだが。ボクもここ最近見た記憶がない。
「まんまちゃんさっきからメール忙しいねえ」
とまあ、牛頭からのメールをあれからも数件処理していたりあれこれ考えながらも、玉子との会話自体は続けていたのだが、身が入らなくなっていたのも事実で、玉子がやや不満げにこちらの手元を覗き込んでくる。同時に文面を考えて手を動かしていてでは気もそぞろになってしまうのは仕方ない。
ボクも平均身長にどう足掻いても届かないくらいには低身長なのだが、玉子はさらに2ランクくらいは下なのでちょっと手を持ち上げれば盗み見から守れる。それでも諦めきれずに爪先立ちでちょこちょこ歩くので危なっかしい。
「バイトみたいなもんだよ」
時給が発生するとしたら5万くらいふんだくりたいところだ。通学の空き時間を利用しているのでもなければ投げ出してしまいたい。一応、学校では電源を切っていることになっているのでその間は解放される。ボクらの高校とマタギの小学校の通学時間は同じくらいの小一時間。田舎ってのは結構大変だ。「早く時間よ過ぎろ!」と祈ってみたりすることも一度や二度ではない。
祈りが通じなくても時間はおかまいなしに過ぎ行くもので、校門が見えてきた。