第三章 その2
武蔵大橋を遠目に見る丘の上の公園は、遊具が少なく敷地も小さいために午後の早い時間には人気がなくなる。子供やママさんたちに不人気で、仕事をサボッたり、人生をサボッたりといったオジサンたちにもナゼか不人気なのだが、理由はある。
そのため人目が少なく身を隠す場所も多い絶好の変態発生スポットになっているからだ。
需給バランスの崩壊により、変態が歩いても変態に襲われる変態修羅場地獄変――そこを一人で歩くというのはボクにとって自殺行為と言えた。
がさり、と木陰が揺れると後ろから抱きすくめられる。いや、これはしがみつくというのが正しいだろうか。絡み付く腕は細く、背中には控え目ながらも柔らかい二つのものが当たっている。
痴女に襲われるというシチュエーションをこのひと月で何回繰り返しただろうか。実際どんな割合で存在しているか知らないが、世の中の痴女率を軽く無視していると言い切って良いのではないだろうか。月並みに言えば、宝くじが当たり続けていたようなものだ。くじはくじでも貧乏くじなわけだけど。
首筋に熱い吐息がかかり、股間の方へ手が伸びてくる。それをなんとか阻止しようともがいていると、高らかな声が響いた。
「そこま――」
「そこまでだ、烏丸玉子!」
背後の女をひっぺがして突き飛ばすと、公衆便所の上に立つリリー・バードを指差しボクはその名を呼んだ。出鼻を挫かれたリリー・バード――どうせ正体は烏丸玉子だろう――は中途半端なポーズで固まる。
被害に遭っているはずのボクが超然としていて、形ばかりの強化スーツ姿の女が引っくり返っている。シチュエーションもさておき、女の顔を見た玉子はさらに驚いたようだ。
「げ、宇佐美センセ!?」
「お前がそそられるような痴女相手なら必ず出てくると思ったよ」
変態を屈服させた後のお楽しみには、見た目が良い女がうってつけだろう。
だから宇佐美にわざと襲わせた。
これも、相手が偽魔法少女だから通じる手だ。いくら宇佐美がその気になったところで所詮は演技にしかならない。それを知っているボクも本気で嫌がれるわけもない。第一、ボクがやらせたことなのだし。
「くっ……う、ラム! ここは退きましょう!」
ボクらにハメられたことを察した玉子は撤退命令を出す。気配を消す術でも身につけているのか、マジカル・ラムこと日辻潤が突如姿を現す。
一人では降りられそうもない玉子を抱えて逃走しようと動き出すところを狙って、ボクは声を掛けた。
「8月生まれは、左!」
走り去ろうとしたちっこい方の正中線がぐらつく。
今まさに右から踏み出そうとしていたその足を縺れさせ、そのまま盛大に前方転回していくリリー・バードの下僕。しかし、勢いは止むどころか益々加速し、玉のように転がってついには木陰へと射出されて消えていった。
正直、最後は唖然としてしまったが、狙いは当たっていたようだった。ボクは『誕生月』と『右左の左』としか言っていない。あいつの気が動転してしまったのはこの二つを関連付けたせいだ。では、何が接合材になったかと言えば、それは占いだ。
宇喜多示申の占いを聞いていた人間。示申はそのキャラクターとは裏腹に滅多に占いはしない。するのは神託だと言って憚らない奴だから。
そして示申の占いでは「8月生まれは左足から行動するのが良かろう」と出ていた。
示申のオカルトに怯えていたヤツはそれからもずっと気にしていたに違いない。
あの場にいた人間でもっとも怯えていた8月生まれ、そいつの名は!
とか考えていたんだけど、もうどうでもいいや。こんな場外ホームランで病弱の少年を救ったと思わせてベース踏み忘れてアウト級の馬鹿やらかすドジは他にいないだろ。特定してしまって問題ないはずだ。
「……おい、潤」
声にこそ出さなくても正体は掴めた。揺るがないほどしっかりと。
名前を呼ばれて泡を食った日辻は困った挙句、ヤツがもっとも信頼しているであろう人物に助けを求めた。
「たまこお嬢さ……っ!」
最後まで言わせて貰えずに蹴り出しを喰らって再度転げていく日辻らしき肉塊。まさかボクもそっちの名前まで言ってくれるとは思わなかった。
なるほどね。あっちは玉子でやっぱり正解か。いつぞやの昼休みの真相にも思い至る。おそらくはこういうことだったのだろう。
日辻は玉子のために用意した弁当を忘れる。
普段から大量の弁当を持ち歩いているのはらが腹を空かせた玉子に恵んでやる。
その日、のはらが持参した弁当は自分でも食べきれないほどで、隠れ大食いの玉子が半分以上をいただいていた。
日辻はボクから大判焼きを分けてもらう。もちろん、主である玉子の胃袋サイズに合わせて。
玉子も日辻も正体を認めてしまったので、そのまま詳しい話を聞いていた。玉子と日辻との関係はわかっていなかったのだが、聞けば日辻は烏丸家で玉子専属の執事をしているという。
ちなみに、ボクに突き飛ばされた宇佐美は気絶していた。
学校では主従関係がバレないようにしていたらしいが、日辻のドジを考えると奇跡的だったのだろう。まあ、日辻の実像に近づけたのは最近になってからだから、実にうまくやっていたといえるわけだが。
「で、魔法少女を殺そうとした理由を聞かせてもらおうか?」
「……なんのことなん?」
鳥娘はきょとんとした顔で聞き返してくる。
あれ?
犬娘を倒そうとしていたから日辻にこんな重装備させていたんじゃないのか?
「いや、魔法少女を罠に掛けて殺そうとでもしてたん……だろ?」
ビシっと真相を突きつけてガクリと崩折れる犯人の姿を想像していたボクは肩透かしを食らったようによろめいた。
「なんでそんなもったいないことしなくちゃいけんの?」
『ばっかじゃーん』と手元の光球を操って疑問と罵倒を同時展開させる。
「じゃあ、なんでこんなことやってたんだ?」
「魔法少女を篭絡したいからに決まってるんよ」
今度はハートマークが飛び出す。いや、なんとなく桃尻のようにすら見えてきた。それほどに鳥娘が発した卑猥なオーラは濃かった。
「まんまちゃん尾行してればあのコが現れるでしょ? そしたら一緒に戦って、友情が芽生えたら愛情へと育てていくのよ。ただ押し倒したりしたってつまらないし」
「でも……魔法少女は男の可能性もあるぞ?」
ボクの当然の疑問にも平然と胸を張ってこう答えた。
「姿かたちが女の子ならそれでいいわ」
ある意味潔い。それに、と玉子は続ける。
「もう二度と変身を解きたくないって思わせてあげればいいだけじゃない」
にぃっと浮かべた薄笑いの形のままの氷が背筋を這い回る様を想像してしまった。玉子の妄想から逃げるように話題を逸らす。
「じゃあ、玉子はシロ……シロか? まあいいや。いや……まあこれも無茶苦茶なんだってわかってたけどね。可能性は潰しておかなきゃって思ってただけで」
「なんのこと?」
「こっちの話」
「罠といえば……あれ? でも、まんまちゃんがここにいるってことはやっぱりあれってぶーちゃんの罠だったのかな?」
「ぶーちゃん? ぶーちゃんって誰さ?」
「ん? 猪塚風太。昔すごい太ってたんよ。猪と違てぶーぶー子豚のぶーちゃん」
その名を聞いてぞわっと背筋が波打った。
「罠っての、詳しく聞かせてくれ。手短にな」
「矛盾してる。あ、怒らない怒らない。ぶーちゃんがのはらちゃんに『猫魔福来が宇喜多示申との関係を教える』ってメール出したの」
「なんだそれ?」
「あ、やっぱり知らんのね。あたしもまんまちゃんの尾行に忙しいから適当な理由付けて行かなかったんだけどね」
「それは論理的に矛盾してるだろ」
「いや、うるるんからこんな絶好のスポットに移動しているって聞いたら興奮してそれどころじゃなくて。でも、ぶーちゃんもこんな見え透いた罠掛けたってことは色々追い詰められてるのかもねえ。乱暴なことしなきゃいいけど」
気が付いたら、駆け出していた。