第二章 その10
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「先生は魔法少女ってなんだと思いますか?」
「え、えっと、前世紀の地球体制崩壊によって異星人からもたらされた――」
「そういうことじゃなくて! 先生にとって、魔法少女ってどんな意義を持つのか――ってことですよ。先生は歴史や政治は教えたくないんでしょ? これは性教育でもないけど」
教科書通りの説明をしそうになった宇佐美を遮ってそう促す。調度授業の合間に宇佐美と二人きりになったので昨夜からの疑問をぶつけてみたのだった。誰でも良かったが、関係者に聞くのも正解への近道だろう。
さあ聞かせてもらおう。〝魔法少女〟フラッシュバニーちゃんとして。
「保健体育と性教育は完全一致ではありません……。う、う~ん、ホントはあんまり主観入れて生徒にそのことを教えるなってことになってるんですけど」
「硬く考えないでください。日ごろ魔法少女にお世話になりすぎてる男の子の素朴な疑問です」
「そっか。でも、難しいね。逆にまねきくんはどういう風に思っていたのかな?」
〝魔法少女〟についての対話など、教師と生徒が普通するものではないはずなのだが、なぜかその時はいつもに比べて真っ当な師弟関係になっていたような気がした。それはボクの名前を言い間違えていないという単純な理由だったのかもしれない。
さて、質問を返されてしまった形だが、ボクに確固とした考えがないのは従前の通りだ。でも流れ的に仕方がない。客観的なことから詰めていくとしよう。
「可愛いです」
「うん、男の子にも人気あるよね。まねきくん、ピンチの時でも結構よく見てるんですか?」
「まあ、落ち着いていると言えば落ち着いて見ているかも。絶対守ってくれるってわかってますし、年がら年中ともなれば慣れますよ」
「そっか、安心できますね。先生なんて、誰かと一緒でもびくびくしちゃいます」
この前のフラッシュ・バニーのことを思い出しているのだろうか、照れくさそうにしている。あの時は説教だけで終わったが、緊張が教師としての本性を出させていたのかもしれない。
なるほど、安心感というのはあるか。
「そうですね。触られたり、見せられたりとかは防げないけど、大きな傷を残されるようなことにはならない。これは確かに他では得難いです」
数々の被害歴に照らし合わせてもこれは断言できそうだった。
「でも、うさ先生の時はきてくれませんでしたよ」
まったく表情を変えずに、いつも通りにそう言う。いつもその仮面を付けていたのではないかと思うほどに。
「それ――」
詳しく聞きたかったが、言葉に詰まってしまう。悪戯に穿っていいことではない――そう殊勝な心が反応したのだろうか。その程度のこと――人の心にずけずけ入り込んで踏み荒らす程度のこと、平気でできるつもりだったのに。しかし、ボクが黙ってしまうと宇佐美は何かを決意したように続けた。
「――昔、付き合っていた人がね、ちょっと、その……変わった趣味で、先生もその人のことがすごく好きだったから少しくらいならって我慢していたんです。あの……魔法少女って恋人同士のことまで介入しないの。普通の猥褻事件もお互い合意じゃないから犯罪になるわけでしょ。合意でもダメなのもあるけど」
売春や児童に対しての性的な行為は確かにそうだ。社会の風紀を乱したり、意思形成が未熟だったりとかそんな理由だろう。ただ、どちらも〝魔法少女〟の出番とならないケースが多い。警察のように取り締まるのが目的ではなく、被害者救済という英雄的構図こそが大事だからだろう。誰が見ても悪い犯人がいて、そいつを叩きのめす。それが〝魔法少女〟の大原則だった。
「――でも、その内エスカレートしてきて、耐えられなくなりました……。嫌で嫌で……もし魔法少女が現れたらそこで止めよう、魔法少女も認定するんだからしょうない、そんな風に考えていました」
微妙なところだ。完全に受け入れてはいないまでも拒絶までは達していない。〝魔法少女〟システムを支える監視プログラムが当時の宇佐美の機微までを読み取ったかどうか、見ていないのではっきりは言えないが、もし今同じことがあったとしても引っ掛からなかったのではないだろうか。
それより、小学生のような宇佐美も辛い恋愛を経験するような大人であったということがボクにとっては衝撃的だった。そして、決定的なところまでは傷つけられなかったことで安心していた自分の足下を掬われた。ひっくり返ったままぐらぐらと揺れるようだ。
ボクの側に宇佐美が立っていたことがあったのだとすれば、これはもうワンサイドゲームではない。ボクが理想としていた、勝負以前の一方的な蹂躙とはなっていない。
〝魔法少女〟に守ってもらえなかった女教師。〝魔法少女〟が、かえって影を落とすようになることもあるのだろうか。
深い考察もできそうだが、今のボクには関係がない。
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巽さんに聞いてみた。
宇佐美からのヒアリングは、思いの外、新しい発見をもたらした。それで、弾みがついたのだ。相変わらず大きな手で小さなたこ焼きを踊らせている巽さんに質問を投げかける。
「巽さんは魔法少女ってどんなものだと思いますか?」
「……」
言った瞬間、ああ、これは失敗したかなと思った。元来無口な人だし、タコを切らしても武勇伝の在庫切れを起こすことのないこの人には――
「必要があるとは思えない」
「え?」
思っていたことを読み取られたのかと思った。そう、巽さんに必要があるはずがない。頑健な肉体は、ノーマルな人間であれば、問答無用で叩きのめせるほどだ。どれほど強化スーツを着ていたところで、この人の技の前には敗北を喫するしかないだろう。それはわかる。というか前に見た。しかし、巽さんは、ボクの浅い考えを置き去りに、自分の言葉を続けた。
「俺も、ミツもただの変質者なら自分の力で追い返せる」
「あ……」
そうだった。巽さんにとって巳津さんは大事なヒトだ。ダブルドラゴンなどと呼ばれるのを嫌った一番の理由は、半身のように感じている相手を外野の都合で引き裂かれるようだからだ、と聞いたことがある。もちろん、巽さんはそんなことは言わない。巳津さんからだ。だけど、あの人が相方について語ったことというのは相手も同じことを考えていると思っても良かったはずだった。去年1年の付き合いと、ボクが失った記憶の断片で十分感じてた。己の身一つのことにしか頭が回らなかった自分を恥じた。
しかし、巽さんの話はそこで終わりでもなく、むしろそこからが始まりだった。
「だけど、そうじゃない奴はごまんといる。その中の何千分の一か何万分の一かは知らないが、実際に危険に晒される奴も出てくる。その中に知り合いがいたならば、不要だと言ったことも詫び、ただ感謝したい……そんなところだ」
淡々と語っているが、ボクのことだというのはわかる。わからなきゃバカだ。なんで自分ばっかりと世を拗ねていただけのボクをちゃんと考えていてくれていたというのが素直に嬉しかった。
嬉しかったんだけど……聞きたかったのとはちょっと違うかな。
***
オカマの立場からはどう見えているのかにも少し興味が沸いた。まあ、はっきり言えば必要があるとも思えなかったが、ここまでくれば勢いに任せて聞いてしまっても良い。
「騎……サラさん、魔法少女ってどう思います?」
「あら、マネちゃんがアタシに興味持ってくれるなんてウレシーわぁ」
「あなた個人への興味じゃありませんから」
こういうところはキッパリキッチリ言っておくべきだろう。肩をすくめてちょっと口を尖らせる気持ち悪いポーズを作ると騎馬は吐き捨てるように続けた。
「あんなの必要あんのかしらね」
「不要……だと? できれば理由を」
実際に被害に遭っている人じゃなきゃ関心が薄いだろうとは想像していたが、ここまで直截的な物言いには引っ掛かる。巽さんと一見同じ意見にも思えるが、声のトーンがまるで違う。巽さんが「自分にとっては」という主観的な言葉だったのに、騎馬からは〝魔法少女〟の存在そのものが不要物であるかのような物々しさを感じたのだ。
しかし、仔細を求められた騎馬は一転明るい調子に戻って言った。
「別にたいした理由じゃないのよね。魔法少女だけが痴漢を撃退できるわけじゃないでしょ? 他にいくらでもやりようってあるんじゃない?」
確かに、〝魔法少女〟自体は異星人のプロパガンダに過ぎないわけだし、それも相当捻じ曲がった思想が入り込んだ悪趣味なものであるという批判はある。
手垢が付いた紛い物よりは、まっさらの地球産でやるべきだという主張もある。
「でも、実際助かった人もいるんですよ? ボクもその一人ですし」
「あら、そうね。でも本当に百パー助かってるのかしら。昔は同性からのイタズラはスルーされてたって言うのよ」
宇佐美の話が頭をよぎった。騎馬の話は伝聞に過ぎないが、〝魔法少女〟が出動できる基準というのは時代によって違っているのは確からしい。各国警察機構が纏める魔法少女白書には犯罪の統計が出ているのだが、明らかに不自然な曲線を描くことがよくある。
元々が性別や生殖すらあるかどうかあやしい宇宙人が始めたことだ。多様性を含んだ地球人のセックス事情を理解し損なうというのはあってもおかしくはない。表向き「完全に犯罪を防いでいます」と謳っている以上、非を認めたくはないのだろう。しかし、あえて過去形で語るとすれば、不公平感からくるデモはよく起こっていたらしい。最近はほとんどカバーできているということだろうか。
魔法少女システムに一石を投じる意見ではあったかもしれないが、ボクがどうこうできることじゃないな。
***
玉子にも聞いてみた。リリー・バードの一件については触れずに。穿った見方をされずに素直な感想が欲しかった。まあ、最近はこいつこそが異常の最先端であるような気もするが。
「うーん。『可愛い』かなぁ?」
こちらが照れてしまうほどの真っ直ぐで素朴な意見だった。
ていうか、こんな奴と意見がカブってしまった。
「もうちょっと、皆にとって魔法少女ってなんなのかなって話なんだけど……」
「じゃあ……希少価値?」
「希少って……絶滅危惧種なのかよ。あれって死んだらどんどん補充されるんだぞ」
「あ、そうなん? でも、それでも変わらないなあ。だって他にいないじゃないさ、あんな女の子」
「全世界で数万人単位でいるはずだけど」
まあ、それでも少ないとはいえるのか。
しかし、玉子はわかってないなぁと首を振る。
「まんまちゃんは魔法少女をひと括りに考えすぎなんよ。魔法少女やってるってことについては、一人一人個人個人それぞれおのおのバラバラのもんでしょ。はーい、私は魔法少女Aですけど、実は魔法少女Bでもありますとかそんなわけない。魔法少女になった事情もそうだし、魔法少女を続けていく考え方もそうだし。そういうそれぞれの個性がとても愛しいと思うわけさ」
ちょっとナルシシスト的に潤んだ瞳が鬱陶しい。自分に酔ってるような――あるいは恋する乙女か。
「それって魔法少女でなくても良いってこと?」
「んー、まあ、そうかな。お母さんやってたらお母さんの、女子バスケ選手なら女子バスケ選手、学芸会の村娘Aなら村娘Aなりにその役割だとか価値をわかってやっているのなら同じかも」
まあ、「全魔法少女が泣いた」とかキャッチコピーつけたいような良い話だとは思うけど、ボクには関係ないな。
***
最後に、あいつに聞いてみようと思った。
携帯電話を握りしめるが、そこから動けなかった。
ようやく指を動かし、メール機能を呼び出す。
……。
…………。
………………。
件名すら入れられずにただ画面を睨む作業が続いた。何もしていないと言うなかれ。人間というのは息をしているだけで大変な仕事をしているも同然なのだ。それに比べたら親指がぷるぷると震えさせるだけのなんと重労働なことよ。
いや、そんな逃避思考をしていても仕方がない。
犬神のはら――あいつと〝魔法少女〟の話をするのはやはり特別なことだ。
結局、件名はつけずに、『魔法少女ってなんだと思う?』とだけ書いて送信ボタンを押した。
そんな抽象的なこと訊かれても困るよなと送信取消できなくなって後悔する。
早過ぎず、遅過ぎず、息を吸うよりも自然に、指を動かすよりも繊細に、ただ恋人同士が視線を絡ませ合い、気持ちが予感に、予感がすぐさま現実に変わる瞬間のように抜群のタイミングで返信がきた。
件名は『:Re』。本文はただ一行。
『わかんない』
噴出してしまった。時刻を見ると日付が変わっていた。ずっとぐだぐだと考えて、姿のない敵に怯えて、当てにならないならない意見を聞いて、答えを出せない自分に苛立っていた。
その難題のもっともシンプルな答えに一瞬にして到達したのはらに、入り組んだ迷路の先に答えはあると思い込んで道を失っていたボクに、ドロドロと溜まっていたもの全てが笑いの形で噴出してしまったのだ。
どんな奴が相手だろうと関係ない。敵味方関係なく手当たり次第に炙り出し、出歯亀が目を覆いたくなるような遠慮の要らない観察をし、糞尿に手を突っ込むがごとき手段でも使い、そして――一方的に勝つだけだ。
返信として、本文のないメールを出した。件名にはただ一言、『ありがとう』。
これで第2章は終わりです。
分量的にはまだまだありますが、次がいわゆる『解決編』のようなものになっています。
この章では新しい魔法少女も出てきました。
いやーいったいだれなんでしょーねー(棒)
それでは、続きをお楽しみください。そんなに早くはきませんが。