第二章 その7
「お、お姉さんと一緒にいいことしましょ。ね、すぐ、すぐ済むから。ね、ね?」
はぁ……、今日は痴女か。
吹き抜ける風に対抗し、鼻息がぴるぴると音を立てる。
日の暮れた住宅街。コンビニの買い物袋を下げたボクの前には、似たようなビニール袋を頭から被った女が立っている。
覆面を被ろうが、声が不明瞭だろうが、痴女だというのは明白だった。大きく盛り上がった筋肉や見上げるような上背があろうとも、性別を表す肉体的特徴についてはまったく隠すところがなく、むしろ明確に主張している。要するに全裸に近い。もしもこれが肉体改造をした男だったとしても、その完成度からボクはこいつを「痴女」と呼びたい。
痴女に遭遇することはよくある。こいつらは外見で人を判断する最低の人間だからだ。そして、ボクは外見に関しては超一級品と自負している。
一応ボクも男なので、男の変態よりはマシ……と思いたいけれど、見たくもないものを見せられたり、したくもないことを強要されるのはたまったものではない。自分の意思が踏み躙られていくのは我慢がならない。
もしもこれが絶世の美女だったとしたら少しは考えないでもないのだが。
しかし、痴女相手だと〝魔法少女〟の登場が妙に遅い。多分、ボクが性的な理由で嫌がっていないというのが性犯罪チェッカーの決め手として弱いのだと思う。発汗だとか、瞳孔の散大だとか、脈拍だとか、脳波だとか、肉体の一部の変化だとか、宇宙人の超技術がどの程度まで観察し、どのように判断しているのか詳しくは知らない。だけど、チェックが疎かになっているのは明白で、ウレシハズカシとか苦笑みたいな人情の機微というのは異星人にとってわかりにくいところなのだろうか。もちろん最終的には助けてもらっている。いくらボクでもどこの誰かもわからない相手と成り行きでいたしてしまうような倫理観は持ち合わせてはいない。最終防衛ラインは死守できていると言えるだろう。
とはいえ、〝魔法少女〟抜きの本気で抵抗しようと思っても、男女差というのが通じないのが最近の犯罪の面倒臭いところだ。こいつが着ている妙にゴテゴテした競泳水着のような格好はパワー増強スーツだろう。生身の人間の世界記録(男子)など鼻歌交じりに飛び越えていける。力強さ・速さ・反射神経に至るまで強化されるので厄介だ。
イタせるように穴まであいているのも非常に厄い。何のためにデザインしたんだコレ。改造だろうけど。
犬娘はまだだろうか。白いビニールが荒げた息でさらに白くさせるほどに興奮した痴女を呆れて眺めていた時だった。
「そこまででしてよ!」
性犯罪の増長を止める正義の声が轟く。しかし、またしてもその色は犬娘の持つ透明感とはほど遠く、ゴージャスではあるけれどケバケバしい黄金の輝きがあった。というか、犬娘が名乗りを上げたことは一度もないが。
「何!?」
痴女が驚きの声と共に振り返る。ボクも視線を斜めにずらして痴女の肩越しにそちらを見た。
電話ボックスの上にラインダンスでも始めそうな大きな鳥の羽を付けた女が傲然と聳え立っていた。コバルトブルーのしっとりとした長髪と体の線を覆い隠す羽飾りは孔雀のようだ。
孔雀が吼える。
「この世の醜い邪を、西方浄土へ流して差し上げます。魔法少女リリー・バードここに参上!」
そいつが広げた腕を振るうと光が流れ、Lily Birdと筆記体の残像を残した。
パーティー・グッズとして売り出されている発行する玉を指の間に挟んでいるようだ。
「そ、そのしもべ、マジカル・ラム!」
どこに隠れていたのか、小柄な人影が飛び出してリリー・バードの足元に膝を立ててしゃがみ込む。白色の強化スーツを着込んでいるが、手足には黒い布がもこもこと巻かれていた。ハーフフェイスヘルメットのバイザーを下ろし、頭の両脇にはくるくるとした羊の角を模した飾りが付いている。
チキンとマトンがやってきた。
「また、ニセモノかよ……」
嘆息交じりに見守ろうと思うが早いか、マジカル・ラムが音もなく飛び出す。
ボクの相手をしていた痴女もただならない危険な臭いを感じ取ったのか、構えを取る。両手を前に出し腰を落とした、空手系の隙のない良い構えだ。こんなのに跳びかかられる前に横槍が入って助かった。スーツ着てなくても玩具にされていた自信がある。
リリー・バードはと言えば、
「がんばれー、がんばれー、らぁーぁむぅーぅ」
登場した立ち位置から動かずに、声援を送っていた。ただ喚いていたわけではない。
ふりふりと手を動かすとそこには光の軌跡が残る。手に持った玉を使ってLAM・LAMとエールを送っている。
黙ってじっとしてろと言いたくなる。どうでもいいが、子羊はlambだな。
その応援が効いたわけでもないが、勝負は一瞬にして決まった。低空を這うマジカル・ラムに打ち下ろす形の正拳を繰り出した痴女だったが、ラムはその手を捌きつつタックルを決めるとひょいと担ぎ上げ、そのまま路上に叩き付けた。まったく見えなかったが、捌いた腕も同時に極めた複合的な投げで、腕の関節も殺している。
ラムが着ているのも相当に高性能な強化スーツだろう。その上で格闘センスを叩き込まれた戦士の仕事だった。
「ラムー! よくやってくれましたわー!」
電話ボックスの上からリリーも喜んでいる。だが、ひとしきり騒ぐと急におろおろと覚束なくなる。縁にしゃがみ込んで下を覗き込んだり、立ち上がって気合を入れたかと思えばまたしゃがんだりと何をしたいのかよくわからない。
「ら、らむ! らむ、ちょっときて!」
しばらくして、リリー・バードが叫びに近い声でラムを呼ぶ。仮面の上からでもわかる狼狽が痛々しい。
どうやら高所が苦手だったようだ。だったらそんなとこに上るなよ。それにスーツあれば楽勝だろ。
ラムはといえば痴女を拘束したままだったので、どうしたものかと首を傾げていたが、結局ぐったりとした痴女を担いだままリリーの元へ走って行った。そして、手を差し伸べたり、下で受け止める仕草をしたりしていたが、結局、電話ボックスに飛び乗ると、リリーを片腕で抱き上げて飛び降りた。
ラムが暴れないように押さえていた痴女の前に立ったリリーは、すぐに冷静さを取り戻すと、痴女が掛けていたサングラスを剥ぎ取った。そして、片手でくいと顎を持ち上げると妖艶な笑みを浮かべた。
「あら、素顔は意外とお美しいじゃないの。あんな顔だけで性格の悪い男子高校生なんて相手にしなくても、男なんてあっちから寄ってくるでしょうに。……もちろんオンナも……ね」
そう言うと、視線を絡めてソフトタッチで痴女の身体に僅かずつ触れていく。トークとタッチ、それにリリー自身の魅力を見せ付けるような手管で、いつしか痴女からは抵抗する力が抜け落ちてしまった。ラムも拘束を解き、支えるだけにする。
そして、ついにキスをする段になって骨抜きになった痴女が自分から強化スーツを脱いでリリーのカラダに腕を回した。完全に堕ちた。そして後は上り詰めるだけだろう。色んな意味で。だが、それでテンションが切れたのはラムの方だった。
「あ、あのお嬢様……!」
「なぁに? 今忙しいんよ。後にしてや」
「あの……見られてて恥ずかしいのですが」
ラムはちらちらとボクの方を見て言う。なんだか、こっちが悪いことをしているみたいな気分になってしまった。
「そうね。じゃあ、場所を変えましょうか」
そう言うと、痴女を抱き上げたリリー・バードはバサっと翼を広げる。もちろんそれで飛び立つというようなことはなかったが、広げた翼には透かし彫りになった三本足の烏が空に舞っていた。
そう言えば、あのマークはよく見かける。ラムのスーツにも縫い取られているし、そして――痴女の脱ぎ捨てられたスーツにも。
ボクの思いを余所に、リリーはラムを呼び寄せると最後の口上を述べるべく口を開いた。
「そこのキミ、正義の味方に助けられたら多くは語らずそっと立ち去るものでしてよ」
それはセイギの味方がすることだ。
その後、あの痴女がどうなったかは杳として知れない。
鳥に子羊ねえ……まさかとは思うけど、どうも背格好が似ている。というか、これは勘に過ぎないわけだけど……
あいつら玉子と日辻だろ。