第二章 その6
お客様が神様なら、山の神も貧乏神も疫病神も死神もいることだろう。即座にお引き取り願いたい。
諸手上げて歓迎の意を表して拍手喝采平身低頭千客万来拝み倒してわざわざ呼び出そうとしなくても、変質者サマというのはやってくる。
今日のお相手は盗撮魔だった。居残りでランニングをさせられた汗を流そうと、学校のシャワールームを使っていたボクは嫌な気配を感じた。ぬめっとしながらも、ぎしぎしと締め付ける――蛇のような不快なまとわりつきだ。
実のところ、ボクは覗き被害にはあまり遭ったことはない。いや、意識していないだけで、ないわけではないだろうが、ボクだって男だし、裸やトイレをちょろっと見られたくらいじゃそこまでの抵抗を感じはしない。
ちんこ見られるのがイヤなら大勢で風呂にも行けないじゃないか。
どうせ修学旅行も声を掛けてくれる連中なんていやしなかったからこっそり入ってたけどさ。そもそも、このシャワー室だってちょっと顔を横に向ければ長いのや短いのや太いのや細いのやオトナなのやコドモなのや黒いのや白いのやといったモノが目に入ってくるような構造だ。
まあ、公衆共同施設ではあるし、秘め事に臨むかのようなギンギンにおっ勃ててるようなものは目にしたことはないが。
今この瞬間までは。
ズボン越しで直視しなくて済むのは不幸中の幸いだろうか。
まあ、まだ余裕があるから続けるが、そもそも、覗きに関して1人の男性として理解できないということもある。もちろん他の性犯罪だって許容できるわけないが、見るだけで完結する性欲というのがどうも納得がいかないのだ。
裸見たいならポルノでも見てろよと。
覗きだろうが強姦だろうが〝魔法少女〟にこっぴどい目に遭わされるのは同じことなのだし、どこにそのリスクを背負う理由があるのかがさっぱりわからない。一縷の望みに賭けるという痴漢気はないのか。他人のあられもない姿を見るという行為で完結してしまうこの犯罪に、さほど憤りを覚えられないでいるのはその辺りが原因なのではなかろうか。
でもまあ、目の前に荒い息した変質者が現れりゃ話は別だ。
振り返るとカメラ片手にまん丸メガネを掛けたオッサンがいた。裸を撮られたくらいで騒ぎはしないけれど、良い気分じゃないのは確かだった。
覗きだけならともかく撮影されてるとなると流出とか困るなあ、そろそろ犬娘が来てもおかしくないんじゃないかなあ、でも今来られても意味ないんだけどなあと、水の流れる音をBGMにしばし男と睨み合いを続けているとカタンと物音がする。
なんだろうとそちらを向くと、入り口に隠れるようにして犬娘が立っていた。
さっさとこの盗撮魔をやっつけてくれないかと待っていても、なんだかもじもじと入りにくそうにしている。いつものような薄着を晒け出すのが恥ずかしいのでもないだろう。それとも隠れた半身は変身失敗で何も身につけていないのだろうか。まあ、魔法少女システムはそんな柔なもんじゃないけど。
〝魔法少女〟でも出待ちはするということだろう。ワープに近い移動方法を持つ〝魔法少女〟たちでも、いついかなる時も犯人の目の前にどかんと現れるわけではない。この間のフラッシュ・バニーの時も、来るだけは来ていたのかもしれないな。出番を取られて微妙に気まずくしていたのだろうか。
そんなことを考えていると、バスタオルを投げつけられた。そういえば、裸だった。タオルは脱衣場に置いてある。誰のものかわからないのが嫌だったが、じっとりと湿っていたりはしなかったので我慢してやろう。
「別にお前になら見られても良いんだけどな」
タオルをひゅんと回して肩に引っかけると未だ自由な下半身がぷらんと揺れる。まるで馬車馬のような荒い息になる覗き魔と、満開のサクラのようにかんばせを染める犬娘。
〝魔法少女〟へのセクハラというのはどうなのだろうか。性犯罪被害者が性的な意味で露出の高い格好になるのは不可抗力といえるだろう。だったら猥褻物を見せられることも職務上の危険として織り込まれているはずだ。もちろん〝魔法少女〟だからといって何をされても良いということはない。しかしながら一般的に見て極々弱い立場なのは被害者に他なら無い。それでもなお被害者に対しても無理を強いるのだろうか。
しばし思索に耽っていると、バキンとコンクリートの壁をぶち抜くような音が聞こえた。『握力だけで人が殺せるなら』――無言の圧力が襲いかかる。やれやれ、隠せば良いんだろ。隠せば。それと握力で人を殺すのは普通だ。
ボクが前を隠している間に、カメラを叩き壊しその所有者をも床に這い蹲らせたのであろう犬娘は立ち去っていた。
どこか幸せそうな盗撮魔を見下ろす。壊れたカメラが捉えた最後の画は羞恥と怒りで真っ赤になった見た目だけは年端も行かない少女だろう。気持ちが悪い。やっぱこいつらの思考も嗜好もわからない。
***
などと先日は思っていたものだが、『見る』という行為にはその先があるのではないだろうか。想像するだけでもおぞましいのだが、ボクを撮っていた犯人もきっとボクと触れ合いたかったのではないか。しかし、それは世界の果てまで遙かな旅をして天を貫く神々の山の頂を目指すようなものだ。そこに実る禁断の果実を求めて。人はそれを『現実』という。そこに至るまでの困難に諦め、麓の温泉ででもゆっくりと、うっとりと、眺める愉悦を見つけ出してしまったようなものなのだろう。
まあ、そんなことは想像というか妄想というかボク自身が今思っていることを当てはめてしまっただけだが。
玉子の横顔を見て、本当にこいつはキレイだなと思ってしまっただけだ。
見ることが目的ではなかった。〝魔法少女〟探しの成果が上がらない。そこに焦りを感じ、直截的なしかしなかなか手の届かない手段を用いるべきかと悩む姿勢が「ちらちらと横目で伺う」という仕草に表れているだけだ。
どうも成果が上がらない。焦る必要などないけれど何も動かないことに不安を感じる。だから、玉子と下校していてつい口を滑らせてしまった。
「玉子……猪塚ってヤツ知ってるか?」
「名字だけじゃわからんよ」
それもそうだ。それにイヅカと読んでしまっていたがイノツカかも知れないしイノシシヅカや見間違えでシシブタである可能性もある。
とはいえ、他に提示する情報がない。いや、下の名前も知ってるな。……太。か……、いや、ふ……なのか?
「あれだ、股しゃぶろうみたいな」
「……セクハラで魔女っ子呼んでもいいかな?」
「あ、いや、間違えた。それはシモネタでモジった方だな。風の又三郎っぽいので『太』が付く。なんとか太みたいな」
「ホントに間違えただけか……?」
鞄を胸に抱いて疑いの眼を向けてくる。人を信じるピュアな心がないのかこいつは。
「ボクにだって間違えることくらいあるさ。あ、風太だ。風に太いで風太。もしかしたら、かぜたかも知れないけど」
「ああ、なんか動物タレントでそんな名前の子あったねえ。腹グロの。性格の悪い。まんまちゃんとお揃いで」
「あれはそういう種類だ。性格は関係ねえよ」
「猪塚風太……猪塚風太。知っとるよ。ウチらが行ってた中学にまだおるのと違うかな?」
「なんだ、中学生かよ」
ちょっとほっとするのはなぜだろう。中学生と言えば沼でザリガニでも採って喜んでる年代だ。それは言い過ぎにしても2~3年前なのにリアリティがわかない。そんな隔絶した世代だ。
「中坊っても、そこいらの高校生よりずっと背ぇ高いしねえ。中々の男前よ? スポーツ万能でモデルもしてるとか。漫画みたいなモテ方して大学生、OLとも付き合ってる……なんて噂が立つほどの。根も葉もなかったらしいけど。来年はウチの高校入るかもしれんしねえ。海外留学しなければのハナシで」
何そのスーパー中学生。リアリティの欠片もないよ。
「え、そ、それでどういう奴なんだ?」
「んー、特徴としてはそんなもんかなあ。あ、まんまちゃんの近所の子よ」
「なるほど、近所……って周良町か?!」
「んにゃ、ムサシ。あれ? どっちかな? ……でもどっちでもいいでしょ?」
あの辺りは町境が複雑過ぎるという玉子の文句は耳に入ってこなかった。
武蔵町なのか……住所はまず最初に考えるべきだった。これで猪塚が犬娘という線は薄くなったな……。
「どしたの?」
「いや、なんでも」
きっと顔は引きつっていただろう。相当追い詰められてしまったのだから仕方ない。とうとう言っちゃいけないことまで口にしてしまうことになる。
「の、のはらはそいつのことどう思ってるんだ?」
「そこまで知らんわ。のはらちゃんに聞けば?」
に、っと人の悪そうな笑みを浮かべる。事情は知ってるけど、あえて教えないという双方の友人として妥当な態度をとりますという意味だろうか。それとも、真綿で首を締める快感に酔いしれる狂気の死刑執行人の顔なものだろうか。
「ボクだって知らないさ」
「なんだ、ホントに知らんだけか。普段よく話さんの? オサナナジミさんでしょ」
「お前は幼少期に過ごす時間が多かったというだけのことに過度の幻想を抱いている」
「ふぅん、……ならまだ望みはありそか」
ギリギリ聞き取れるかどうかの彼女にしては珍しく小さい声で呟いた。
「じゃあ、また明日」