第二章 その5(後)
おかしい。
寡黙な龍さんの代わりに巳津さんの冗談に付き合いながらもボクは焦っていた。いつもならこれだけ歩き回れば2、3人は引っかかってくるのだが。もちろん、ボクを狙う変態どものことだ。
でもそりゃそうか。
夕日に伸びる影を見て溜息を吐く。凸凹に並んだ3つの影はまるで小さな子供の手を引く親子のようだった。
大きく逞しい父親は龍さん。長い髪を揺らす細長い母親の影は巳津さん。そしてボク。
高校生男子として決して極端なチビとは言えないほどのボクが未修学児に見える。それくらい両脇の2人のシルエットは大きい。そして、実物はさらにごつい。服を押し上げるみっちりとした筋肉の陰影は影絵だけでは決して浮かび上がることはない。
こんなプロレスラー夫婦みたいなのに囲まれてりゃ性犯罪者も躊躇するだろう。
強化服を着ていれば良いというものではない。生物的な強者というものは、ただそこにいるだけで格下連中を臆病という病に取り付かせる。恥知らずの勇気を与えるために囮になったは良いが、大きな体に隠れてボクという餌が見えにくくなっているということもあるだろう。
これじゃあ折角日辻への貸しまで費やして2人を犬娘と鉢合わせる計画が台無しだ。ボク自身はこの2人が犬娘である可能性は低いと思っているが、潰せる可能性は早めに潰しておきたい。
それなのに、
「なあ、猫まん。お前蚊に食われたらやっぱ爪でバッテン付けて潰すよな?」
「いや、ボクは痒みはペシペシ叩いて我慢してすぐキンカン塗りますよ」
虫さされの話とかしてる場合じゃないだろう。体質なのか昔から刺されやすいしシーズンが近付けば性犯罪者どもと同様に切実な話にはなるのだけれど。
でも、今は藪蚊はどうでも良いんだよ。
どうしよう。今日は諦めて後日、日を改めてから1人ずつ同じことさせてみるべきだろうか。2人まとめてよりは遭遇率が上がりそうだ。
ボクが退くか進むか決めあぐねていると、そいつらはやってきた。
無言で姿を見せたそいつらは、一方は筋肉質の力士のようにがっちりと、他方はバスケット選手のように背が高い。それでも龍さんと巳津さんに比べるといくつもサイズか下回っている。迷彩柄の上下を着込み、頭部にはゴーグルとマスクをして顔を隠している。しかし、淫蕩に揺れる眼差しは確実に下半身の淫らな欲望を滾らせているに違いない。存在自体に性犯罪臭がないために、接触を待たなければ〝魔法少女〟は喚ばれてこないだろう。
それにしても、見た感じではかなり危険な雰囲気だ。性欲の解放よりもまずは制圧を考えているであろう隙のなさは、ボクの経験からいって強姦魔とかに多い。暴力によって抵抗を奪い、卑劣で卑小な妄想を遂げるために他者を蹂躙する人の皮を被った悪魔どもだ。
一見するとただのミリタリーマニアが着てるような服装だが、あの下には強化服が着込まれているのだろう。不自然な盛り上がりが背筋に冷たいものを走らせる。
おそらくボクに不法な接触をすればそれをトリガーに〝魔法少女〟はやってくる。だが、それは同時に多少の攻撃を覚悟しなければならないことだ。掠っただけでも大怪我を負わせられるであろう相手に。
だが、覚悟なんて自分を囮に犬娘と決着をつけようと思った時点でとっくにできている。もしかしたら骨の2,3本も折られてしまうかも知れない。それでも構わないという決意はある――後はそれに体が追いつくだけだ。震える足を地面から引き剥がし、前へ、前へ進まなくてはならない。自分自身を追い越すために。
自分でこうあるべきだと決めた姿へと距離を縮めるのに苦心するが、さらにその先までも軽々と追い越していく影がふたつ。
照り映える背中を赤々と燃やし、巨大な壁となってボクの歩みを止めさせる。
「フクライ。ちょっと下がっとけ」
巽龍の地鳴りのような声が巨躯を揺らして轟く。
「すぐ片づけっからよ」
巳津辰美は荒野を抜ける風のようにボクの心をかき乱す。
怒濤、疾風の2人の姿に見惚れてしまったが、相手は強化服を着込んでいるのだ。止めなければ。あれは人間相手を想定していない。機械の力を借りた破壊力を浴びせられては、いくら勇名を馳せたダブルドラゴンであっても危ないはずだ。
「――だめです、そいつらは――」
注意を喚起する間もなく、動いたのは変態どもが先だった。龍さんと巳津さんそれぞれに分かれて向かっていく。筋力強化型としてもダッシュ力であれば人間のそれとは比較にならない。文字通りケダモノのように襲いかかる。
しかし、その瞬間ボクは見た。ゴーグル越しの目線が、一瞬ボクの上を通り過ぎ、がっちりとした方が龍さんに、のっぽが巳津さんに、それぞれねっとりと絡み付いていた。ぞわりとくるのは、自分に浴びせられるそれをより客観的に見られたからだろう。厭な話、慣れてしまっていたが、第三者にして体験者支店ではこうまでおぞましいものだとは。
ていうか、ボクじゃなくてガチムチ兄貴と凶悪女王様が目当てかよ。想像以上の変態だな。
「♪~」
鼻歌交じりに巳津さんの長い脚が這い上がる。全身が1本のロープになったようにくにゃりと曲がって男の攻撃をかわす――と同時に靴先が喉に食い込む。と、思う間もなく腕や脚の裏側へと蹴りを叩き込む。体勢や攻撃する部位によって踵、つま先、拇根、足刀と器用に変えての連撃だった。軽く蹴っているように見えても一撃一撃の重さも並大抵ではないだろうことも男の体が縮こまっていく様子でわかる。
そして男が呻きながらも繰り出す反撃は巳津さんには当たらない。見た目のスピードだけならば男の方が上だろう。しかし、攻撃を誘導し最小の動きでかわす巳津さんにはいいようにあしらわれているだけだ。
強化服がパワーやガードを上げたとしても、当たらなければどうということはないし、剥き出しの生身への打撃は普通にダメージを負う。そして、蓄積したダメージを背負えるほどには男の基本性能は高くない。
最後は強化服の上から蹴り飛ばされ、仰向けになったまま起きあがることはなかった。
そして、龍さんの方へ目を転じると、こちらも心配に及ぶほどではなかった。
「ふん!」
力で圧倒したはずの巳津さんが華麗であったと思えるほどに、龍さんは豪快だった。
相手を易々と抱え込むと、関節技の要領で身動きを取れなくする。そして、下半身を覆う強化服の要となる部分へと爪を食い込ませ――一気に引き千切った。それを機に逃れ出た相手が苦し紛れの――上半身だけとはいえどおそらくは岩をも砕く剛拳となった右ストレートに合わせて拳を繰り出す。
派手な音を立てて砕け散ったのは、仮初めの力を与えていた機械の手の方だった。戦争に使うわけではないにしても過酷な労働環境下を想定し耐久度もそこそこあるはずのメタルフレームが、熱々で外はカリっと中はしっとりした柔らかいたこ焼きを焼いていた人間の手によって引き裂かれる。
強化服というのは、繊維状の金属を極小の機械で制御するもので、変形や緊張、弛緩を瞬時に行うことで装着者の運動性能を飛躍的に向上させ、時に人体を守る装甲となってくれる。
それをこうも容易くあしらうなんて計算違いもいいとこだ。同じ学校ということで武勇伝は耳に入ってきてたけど、話半分で聞いていた。やれ牛の角を折っただの熊を倒しただの大陸から渡ってきた殺し屋を半殺しにしただの信用に足る内容ではないと思っていたからだ。とんでもない、実際はそれの倍以上だ。
「あ、す、すごいですね……」
犬娘に対して以外の礼は用意していなかった。暴漢のターゲットがボク自身ではないということから感謝の念も湧き出ずることはない。結局、口を吐いて出てきたのは間抜けな賛辞だった。
ところが、讃えられたはずの本人たちの反応は薄い。きょとんとして、一瞬何を言われたかわからなかったようだ。成人間近にもなってよちよち歩きを誉められりゃこういうリアクションにもなるのだろう。
「は? あ、ああ、これか。まあたまに金持ってるバカがこんなの着て乗り込んできたからな~」
「真の強さは肉体に宿らない」
鋼の肉体そのものの人が言っても説得力がないなあ。
まあ、そりゃそうか。強化服なんてただの作業服だしな。ただ勝ちたいだけの『金持ってるバカ』ならそりゃ使ってくるよ。それでもなお不敗神話を崩さなかったのだから〝魔法少女〟の出る幕もない。
誤算の上に誤算を重ねて何をやってるんだ、猫魔福来。獣欲を出す間もなく、伸びている男どもを見下ろして嘆息する。
そこに追い打ちを掛けるようにあまり会いたくない人物の声が届いた。
「あら~、マネちゃん。おひさ~♪」
時間的にこれから出勤なのだろう。化粧も衣装もあまり濃くない騎馬駆がくねくねと揺れながらウィンクをする。
「……騎馬さん、もう2年くらい会ってないかと思いましたよ」
出会う前に戻ってしまえ。片手を振って応える。もちろん、挨拶的な意味合いではなく、ウィンクに続いて飛び交う投げキッスをはたき落としつつ向こうへ行けと想念を込めている。
「やあねえ、サラよ。サ・ラ。それに昨日会ったばっかりでしょ~、ダブル忘れんぼ」
「はいはい、その騎馬駆さん男性38歳さんでしたね」
ひょんなことから本名から年齢まで知っているのだが、オカマに現実は厳しいだろう。まあ、いやんいやん言っても堪えてるようには見えないのがしゃくだが。
ところが意外な反応を見せたのは、変態どもの襲撃にも平然と対応していた龍さんたちだった。厳めしい顔に埋め込まれた眼球をくわっと見開いた姿は何かの光線でも出そうな迫力がある。巳津さんはそれに比べたら大人しいものだったが、冷や汗を垂らして口笛を空吹きしてしまっている。
2人はお互いを見つめ合って何かの確信を得たらしい。こくりと頷くと、
「騎馬さん、お久しぶりです」
まず龍さんが腰を折って頭を下げた。接客でも滅多に見せない姿だった。巳津さんはあくまで軽く「どうも」挨拶をするが、引きつった笑みでぎこちない。
「ああ、巽龍に巳津辰美か。元気にしてたか?」
そのバリトンの響きはどこから流れ来たのか。源流を遡れば、そこには紅に彩られた口唇がある。しかし、どんな女物の服を着ても似合わない怒り肩の長身よりも、ややぴっちりとしたパンツにもっこりと浮き出た股間の一物よりも、取り出した煙草をくわえた口の周りを薄く覆う青い髭よりも、ただ何気なく発せられた素の声は、騎馬を何よりも男として意識させる。
煙草の煙をふーっと吐き出す騎馬と巽・辰美のコンビは親しげで、どのような関係か気になった。
「あの……お知り合いだったんですか?」
「……まあ、色々とな」
元から口数の少ない龍さんだが、今は歯切れも悪い。それを見かねて巳津さんが言葉を添える。
「騎馬さんさ、刑事なのよ。ケーサツ」
「まあ、元――だがな」
そう答える一瞬に眼がギラリと光った気がした。なるほど、尋常でない気配は感じられる。
「え? ケーサツ辞めちゃったの?」
「じゃなきゃオカマバーで働くかよ。このご時世再就職も大変なんだよ」
紫煙に目をしょぼつかせるも、半分は演技のような。
「へえ、じゃあ、巳津さんたちと知り合いってのは……」
「……まあ、察してくれや」
荒事の多かった高校時代、そりゃ警察のご厄介にもなろうというものだろう。その後、誰も当時のことには触れなかったが想像はつく。
「じゃ、マネちゃんまたね~」
煙草一本分を吸い切ると、それまでの男らしいナリをどこかへすっ飛ばし、オカマバー『パドック』のホステス、サラはやはり気持ち悪いほどにくねくねと去っていった。
「あの人、元刑事だったんですね……その頃からアッチの気が?」
ものすごく長く感じた数分間でげんなりとしたボクは、どちらへともなしに呟いた。その呟きを拾ってしまった巳津さんも目と口で平行線を作りながらぼそぼそと呟く。
「う~ん。少なくともアッチじゃなかった気がするんだけどなあ……」
「仕事熱心な人だったぞ」
「ま、『元』なんつっても、実は潜入捜査してるだけかもな。モグラのように」
「なるほど、オカマだけに掘る……」
しょうもない冗談を言ったのはボクではなく龍さんだったが、ボクらは揃って聞かなかったことにした。
強化服相手に圧勝する怪物2人と眼光の鋭い元か現かわからない刑事か。彼らに囲まれててなお襲ってくることはないだろうな。
その日はそこまでにした。