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第二章 その5(前)

 放課後、ボクは羊飼いになった。

 か細く鳴く仔羊の首に縄を付け、一歩一歩がしばしの別れへと近づかせていく。気分を変えようと口笛でも吹いてみたかったが、流れ出てくるのは生い茂る草を揺らす風に散りゆく物悲しいメロディーだけだっただろう。

 とにかく、めえめえめそめそとうるさい日辻を引き連れて歩くのは気が滅入る作業だった。公園を突っ切るのは避けたのだが、外周が結構長い。一刻も早くこの駄羊を市場に売り払いたい。そう考えると、家畜を市場への出荷を見送るだけのあの歌も気楽なもんだと思えてくる。運ぶだけの業者にはダウナーな気分から逃げ込むストーリーさえ与えられていないのだから。

 仔羊は犠牲の象徴であり、それだけで胸を締め付けられる。

 いや、悲壮感漂うあの歌は牛の話だったか。

 玉子と別れてからの日辻はボクの首を締め付けようとしたけれど。まあ、ひょいと戻ってきた玉子が「仲良くお達者で」と捨て台詞を吐くと半泣きになって意気消沈してしまったようだが。

「なあ、日辻。いい加減泣き止んでくれよ。ボクが悪いヤツみたいじゃないか」

「……ぐす……間違ってないと思う」

「言いたいことだけは言うヤツだな。大丈夫だよ。ちょっとそこまで行ってもらうだけだからさ」

「……そこには複数の男たちが撮影機材とおぞましい性具を手に待っていて、私がどんなに嫌がろうとも、また無関係の人の目があろうともお構いなくいやむしろ羞恥に震える様を撮りたくてこんなところを選んだと私のセクシーな肢体を目で犯すだけではなく言葉で耳までも犯すようにねっとりとした……」

「別になんもしねえよ! ていうか、今のご時世迂闊に手なんか出すかよ。ボクだって命は惜しい」

 無理矢理じゃなきゃ一応かいくぐれるかも知れないことは黙っておこう。誰かに止められるまでもなく、ボクはそんなことはしたいとも思わない。あと、どさくさに紛れて自分を過大評価すんな。

 そうこうしている内にボクらは巽さんの店まで来ていた。

「おう、フクライ久しぶりだな」

「何言ってんだリュウ、昨日も来てただろ。おっ、猫まん、そっちのお前のコレか?」

 のんびりと談笑していた巽さんと巳津さんが、こちらに気付いて挨拶してくる。『コレ』と小指を立ててきた巳津さんはスルーしてやりたい。

「巽さん昨日はどうも。今暇ありますか? あと、こいつはそんなんじゃありません」

「ひひっ、わかってるって。ちんまりしてカワイイけど、どう見てもお前の趣味じゃねえもんな」

 日辻は異様な髪型をしている以外は見た目だけなら可愛いんじゃないかと思うが、まあボクの恋愛対象じゃないのは合ってる。なぜわかるのだろう。

 チラリと日辻を見ると、ボクの背中に小さな身体をさらに縮ませて隠れるようにしていた。巽龍と巳津辰美といえば去年まで我が校の有名人それも悪名的なものを轟かせていた人たちだ。巽さん側は日辻を知らなくとも、日辻は噂くらい耳にしたことだろう。緊張するのも無理はないか。2人ともバカでかいし。

「で、どうなんですか?」

 ダブルドラゴンを誘いにきたのが目的だ。

「ん? ああ、暇かって? 客足は落ちたしこれから店仕舞いしようかと思ってたけど、営業中だぞ、営業中。立ち話くらいなら付き合うけどな」

 巳津さんはわざとらしく腕まくりなどしているが、そこまで真剣味は感じられない。

「そんなあ、ちょっとそこまで散歩付き合ってくださいよ。お2人とも」

「お2人って店ほっぽって離れられるかよ。散歩なんかそこの可愛い嬢ちゃんとやれ、色男」

 日辻を指さす。と、そこでボクも日辻の背を後ろから押し出す。そして、満面の笑みを意識して言う。

「あ、こいつ店番に使えますから」

「え? おい、猫魔……君、聞いてないんだけど」

 ボクに指名された日辻はぐぅっと目を押し潰すようにして睨んでくる。

「これが対価だよ。店番だけでボクの貸しをひとつ消化できるなんて出血大サービスだぜ?」

 もちろん、断るなら次はどんな無茶を要求するかわからないからなと脅すと、日辻は青ざめながらも「お願いします」と2人に向き直って頭を下げる。

「ん~、じゃあ、ま、しゃあないか。リュウ、猫まんとお散歩しようぜ」

 厭々という素振りも見せず、早々にエプロンを取る巳津さんだった。

 仕事を放置することに巽さんは渋っていたが、客商売で客がこなけりゃ仕事はないだろと巳津さんに尻を数度ひっぱたかれると重い腰を上げた。ここはカカア天下になるんだろう。計算通りだ。


「あ、今作り置きしかないから、売る前に焼き立てはできねえけど良いかって確認しておいてくれよ。楊枝追加するならそこいにある。他は青ノリ、かつお、紅ショウガ、ソースと増し増しのリクエストあったら追加OK。マヨネーズはウチじゃやってねえって断れ。そこはこだわりだ。金はそこの袋入れといてくれりゃ後で計算すっから。お釣りもそっからな。タチの悪い酔っ払いとか来たらそこのボタン押してくれりゃすぐ飛んで戻るからよ」

 軽く支度を整えた巳津さんは、ワゴンの中に立たせた日辻にテキパキと指示を出していく。ぼそぼそと恨み言を重ねていた日辻もまくしたてる勢いに流されて口を開く余裕もない。新しいメモを取りだしてはせっせと髪に結びつけていく。傍から見ると結構異常な光景だが、巳津さんは気にする様子もない。巽さんはごつごつとした顔に埋め込まれた小さな目を丸くしていたけれど。

「よし、覚えたな? ああ、覚えてなきゃテキトーにノリでやってくれりゃいい。金勘定間違えたらこいつに請求するから、なんでも好きなもの食っても良いぞ」

 はて、こいつとは誰のことか。業務上横領を教唆しつつ笑っている巳津さんを遮って、ボクは再度本題の「散歩」を促す。街灯がパチパチと点き出した。ちょうど宵闇が押し寄せて良い頃合いだ。

 2人はいつもの営業用Tシャツの上にベストを羽織る。こちらはプライベート用の正真正銘のお揃いだ。巽さんがタオル頭巾を取ると針金のような髪を逆立った。逆に巳津さんはツバ付きの帽子を被る。

「じゃあ、よろしくな」

 ボクは日辻に手を振る。

「屋台が爆発炎上しないようにだけ気を付けてくれれば良いから」

 巽さんは「えっ?」と目を丸くして驚いたが、巳津さんは冗談だとでも思ったのかカラカラと笑っていた。

「おい、フクライ、この子1人にして大丈夫なんだろうな?」

「え、ああ、はい、大丈夫でしょ。……日辻、お前何歳だっけ?」

「16だよ。私は早生まれだからな」

 だから私に手を出すのならばお前が考えている以上にハードルは高いぞ、見た目に騙されても法律は非情だぞ、あんまり近寄ってもだめだからな、などと訳の分からない供述を繰り返すので無視する。

「なるほど、免許は持ってないな。え? 来年は教習所行ってみたい? 龍さん、こいつが原付で大破炎上したことを思い出して大人しくしてれば大丈夫っす」

「俺は無免許運転という恐ろしい言葉を思い出したぞ」

「心配性ですねえ。いくらなんでもそりゃ無理ですよ」

「そ、そうか……?」

公園(ここ)って、実は私有地なんですよ。公けの園なのにね」

「俺はとてつもない不幸に見舞われる厭な予感がする。ミツと2人で行ってくれ」

「福が来ると書いてマネキですよ、ボクは」

 素早く両手で25通りの幸運のサインを作ると、龍さんは幾分表情を弛め――

「車から見たら福が離れてくってことじゃん」

「!?」

 巳津さんの余計な一言で顔面が裏返るほど引き攣った。

「くれぐれも火気厳禁だからな。オネショするぞ」

「こどもじゃないんだからわかってるよ!」

 頬を膨らませている日辻に念を押すと、やっぱり龍さんは「フクライ、本っ当っに! 大丈夫なんだろうな?」と狼狽える。終いには巳津さんにケツを蹴り上げられていた。

「大丈夫ですって」

 まあ、充分離れてれば、ボクの身ひとつくらいは安全だろう。

 さて、変態どもが潜んでそうなポイントへ「散歩」と行きますか。

 

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