第二章 その2
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いつの間にか寝てしまっていたらしい。
のどの渇きに目を覚ますとタオルケットを透かして蛍光灯の光が薄目を刺す。電気も消さなかったのかとぼんやりと考える。
時計を見ると0時を回っている。そういえば夕飯もまだだったなと思い出したが、不思議に空腹は感じない。布団を1枚剥ぐほどには暑かったのだろう。からからになった口を癒したかった。
キッチンへ下りると、おすそわけするくらいには大量に作ったオカズが山盛りでラップされていた。母さんには悪いが、今は食べる気はしない。腹が減ったらコンビニにでも行こう。そいつはマタギと朝にでも食べてください。
冷蔵庫にコーラの缶があったので開けて飲む。プルタブを引くとプシッと小気味良い音が鳴る。ボクは開ける前に軽く振るのが好きだ。勢いよく飛び出た泡を口で受け止め、冷たい液体で流し込む。
犬娘の正体を暴くアイデアもこんなふうに簡単に吹き出してくれれば良いのだが。
だが、弾ける炭酸で多少はリフレッシュできた。はっきり言って今、犬娘が誰なのかとか言い当てることができたらそいつは名探偵でもなんでもなく、ただの当て勘の山師かそうでなければ詐欺師だ。現時点では調理法があっても食材が足りない。
考え方を変えるべきだ。誰が犬娘なのかではなく、犬娘ではありえないのは誰なのかと。
〝魔法少女〟の変身は完璧だ。
ある人物が犬娘であることを証明するのは困難を極める。
だが、その逆、絶対にその人物が犬娘ではない、と断じるのはさほど難しくはない。〝魔法少女〟へ変身するということは、どこかからポンと呼び出すとかそういうわけじゃない。Xという人物がいくら巧妙に変身してもそれはあくまでX本人だということだ。〝魔法少女〟となったXと変身していないYが同時に存在した場合に、YはXではあり得ない。
両者を並び立てることで、〝魔法少女〟という殻の中に不在証明を作る。そうすることでその人物を除外することができるわけだ。
つまり、アタリを付けた人間がいるその場に犬娘が現れたらその人間は容疑から外してしまって構わないということだ。
鼻を押したら、押した人そっくりの姿形と記憶まで受け継いでくれる身代わりロボットが〝魔法少女〟に供給されているなんて話はついぞ聞いたことがない。まあ、その時は鼻の色でもよく観察するとしよう。
ボク自身を生贄にして変態どもをおびき寄せ、容疑者がいる場に犬娘を召還する。この作戦ならば上手く行くはずだ。
などと結局腹が減って食べ物を調達に出たついでに考えてみた。
消去法作戦自体は問題ないだろうが、予測不能にして作戦の根本に関わることとしては、そう都合よく変質者が現れるのかということなのだが……いた。
街頭も少なく高い塀が住人の目を遮断する人通りの少ない道の前方。薄暗さのさらに暗がりへと身を寄せるように、電柱の陰。サングラスにマスク、トレンチコートの襟を立てつつも裾からは毛深い臑を覗かせた、いかにも露出狂ですという男が、こちらに背を向けて様子を窺っていた。
ちょっとコンビニに買い物へ行こうとしただけでこの遭遇率。流石ボクだ。独りでいる所でエンカウントしてもしょうがないんだけどな。不運の無駄遣いだ。
だが、被害に遭うとは限らない。変態にも趣味嗜好がありそれは多岐に渡る。ロリコン……ババ専とかがボクみたいな美少年を襲っても仕方ないからだ。まだこちらに気が付いていないし、少し様子を見ることにした。
目の前をちょっとブサイクなOL風の女性が通っていった。
しかし、無反応。
次に、ちょっと顔の造作の悪い女子高生が通っていった。
しかし、無反応。
その次は、将来ルックスで苦労しそうな女子小学生の一団が現れた。
親はどうしたと思わないでもないが――やっぱり、無反応。
そして……と次の通行人が現れる前に、あちらもボクに気付いたようだった。塀伝いに近づいてくる。明らかに目の輝きが違っている。男女の区別を付けているかまではわからないが、これは当たってしまったようだった。いや、ハズレなのか。
コートの前を合わせる手には興奮と緊張が読みとれる。すでにその下には男自身の汚い砲身が準備完了とされていることだろう。露出するだけならそんなカタくならなくても良いのに。いくら見慣れたモノでも無理矢理見せられるのは嫌だなあ。
ともあれ、嫌悪の感情も形成され、これならば痴漢被害と認定されそうだった。このまま待ってれば犬娘が来るかもしれない。ダメ元で牛頭にメールでも打ってみようか。返ってくれば牛頭が犬娘である確率は下がる。無駄だろういややっぱり試そうかと考えている内にそいつはやってきた。小さな身体をフラッシュライト(懐中電灯)に照らし、露出狂に立ちはだかる。
期待していたのとは違った甘ったるい声が――耳に届いた。
「魔法少女、フラッシュバニー、煌びやかに推参!」
目を疑った。
3メートルはある塀の上に腕組みをして立つ1人の女がいた。いや、正確にはそいつの右足と左足の下にはそれぞれ別の男が肩を踏み台にさせている。合計すると5メートル近い高見から見下ろす格好だった。心理的に高いところにいる相手は大きく感じるものだが、ボクがそれを見た感想は「やっぱりちっちゃいなあ」というものだった。
割と体格の良い男との対比になってしまっているので、離れていても小ささが際だつ。
ウサギ耳のヘアバンドにもこもことした毛足の長い飾りを首と手足に巻き、白いワンピースタイプの水着を着た女がハイヒールで立っていたのも相当にアレなのだが、変態を見慣れたボクを唖然とさせたのは逆に言えばそういう奇抜さを取り払っただけでとある人物にしか見えなかったからだ。
声にしても同様だった。
話は変わるが、防犯グッズで蚊の鳴くような乙女の声がドスの利いたオッサン声に変換するボイスチェンジャーというのも最近出ているらしい。口調まで変わってしまう優れものだった。たとえか弱い女性が怯えながらボソボソとしゃべっていても気っ風のいい江戸っ子やら、大統領でも殴ってみせる特攻野郎にでも早変わり。関西弁への変換なんてどうやっているのか不思議なほどだ。外宇宙技術に頼らずとも地球人の科学技術の進歩も侮れない。
さて、話を戻すが、偽名を名乗り正体を隠すのならばそういう変声機を使っていてもおかしくはない。そして事実首に装着されているのは雑誌か何かに掲載されていた最新機種だった。
こうなってくると、耳を疑ってもしょうがなくなってくるというものだ。
確かに声色は変わっている。変わっているのだが、どう聞いても同一人物だ。一応使っててあの程度だったら機械に勝ったことになるのだろうか。そんな知恵と努力と汗とロイヤリティーの結晶である文明の利器を凌駕するとは逆の意味でたいしたものだ。
ともかく、フラッシュバニーを名乗る女は、微妙に統一感のとれたコスチュームを着た2人の男の肩に立ち、魔法少女の名乗りを上げたのだった。
ただ、名乗ったは良いが、そこから動かない。
露出狂の男も一緒になって固唾をのんで見守った。1秒、10秒、1分と経つと「見守る」が「観察する」に変わってしまっていたりする。ウサギのように膝が震えていやがるのも見て取れるのだった。
まあ、ちょっとした2階建ての屋上ほどの所に立っているわけで、親譲りの無鉄砲さでもなければ飛び降りる前から腰を抜かしてしまう高さだ。そのまま永遠と時が過ぎゆくのも覚悟したが――
「えい」
可愛らしい掛け声と共にフラッシュバニーは宙に躍る。
そして、墜ちる。頭から真っ逆様に。下は硬いアスファルトだ。そのままなら大怪我どころで済まない。
しかし、地面への激突音がすることもなく、ウサ耳魔法少女はそこに立っていた。普段の彼女を知るものであればきっと魔法でも使ったに違いないと思うことだろう。だが、奇術の種は簡単だ。水着に見えるがあれは身体能力を強化する特殊な衣服だ。目にも留まらぬスピードで繰り出された両腕が落下の衝撃を完璧に吸収し、体勢を立て直したのだった。
まあ、多分そんなところだろう。目にも留まらないんだから見てわかるはずもない。
それにしても、最近の強化服は超極薄型も出ているのだな。サポートするのも単なる筋力補佐に留まらず、プリインストールや独自にプログラムを組んだ動作を装着した人体に影響を及ぼすことなく再現するらしい。今の受け身もそのひとつだろう。動体視力に頼ることなく野獣の動きを再現するともっぱらの評判だ。
それだけにお値段もかなり張るのだが……そう言えば宇佐美のやつ最近高い買い物をしたらしいな。
ボクがぽかーんとしていると、オトナなのにちっちゃいその人は、露出狂の元へすたすたと歩いていった。妙に音がしないなあと思ったら、ハイヒールは手に持っていた。登場では頑張って履いてたけど、履き慣れてないものだから歩くのはつらかったんだろうなあとしみじみ思う。どうせロリ系なんだからヒールじゃなくて良いのに。
露出狂の正面までくると、ビッと指を突きつける。ちょっと離れているので声は聞こえないが、男の方もトレンチコートの前が肌蹴ないようにしながら姿勢を正して頭など掻いているところを見ると、説教でもしているのだろうか。やがて、しきりにお辞儀をしながらトレンチコートはどこかへ消えていった。
それを眺めながらふんふんと頷いていた兎女がこちらへやってくる。ボクの真ん前までくるとVの字を指で作って高らかに宣言した。
「悪は滅びたわ!」
「……いや、先生危ないから止めた方が良いよ。たまたま軟弱な露出狂だったけど、強化服同士なら先生弱そうだし」
360度どこから見ても宇佐美だった。
「え、え、なんでわかっ……じゃなくて、アタシはフラッシュ・バニー! 宇佐美先生なんて知りません」
もはや何も言うべき言葉が見つからない。むしろ堂々としすぎて何かの罠だと思ったくらいだ。へっぽこさでなりすましの裏の裏を掻こうということもなくはないかもしれないかもしれない。その沈黙を納得したと取ったのか、晴やかな笑顔を浮かべると捨てゼリフを残してどこかへ去っていった。
「じゃっ! 気をつけるんだよっ、ままねきくん!」
やっぱり先生本人だろ。
だけど、断言するほどでもないのかなと呆れ半分で去っていった方向をずっと眺めていると、先生を担いでいた男2人もいつの間にかいなくなっていた。兎女の退場で混乱した意識がまとまりを持つとあの人影の片方についてひとりの人物像が浮かび上がった。
薄暗くてもなんとなくわかる。薄暗がりが支配する時間に会うことが多かった相手だから。明とも暗とも付かない放課後の時間に、こどもともおとなともつかない境界線上の学校で、ボクに理不尽な暴力を振るっていた相手――寅田維賀だった。