第一章 その9
「おや、まんまちゃん。奇遇ねえ」
自転車置き場の側を通りがかると烏丸玉子に出くわした。両手で茜色に染まった自転車を押している。玉子の脚では届きそうもない高いサドルが目立っていた。のはらに貸すのは朝だけで、夕方には返してもらっているとか言っていたはずだ。こいつこのまま押していくつもりだろうか。
「ああ、玉子か。まだいたのかよ」
「まんまちゃんこそ友達もおらんのに遅すぎ」
宇喜多に付き合っていたら思いの外時間が過ぎてしまっていた。人が少なくなってから帰るのが好きなのだが、今日はちょっと長居しすぎたか。
「友達いないやつが遅くなったって良いだろ」
チャリチャリと自転車を鳴らして校門へ向かおうとする玉子のふわふわの髪が羽ばたく背中へ文句を投げつけつつも、足は自然と止まり、目は落ち着きなくさまよう。玉子はボクが動かないので不思議そうに振り返った。
「まんまちゃん、帰らんの?」
くりっと首を曲げ大きく柔らかな瞳を向ける玉子は、ガキみたいなちんちくりんでも、光源を背にして薄暗さの中に沈んでも、清楚で可憐なお嬢様らしい風格が漂う。どちらかと言わなくても人生において主演女優となるべき人間だ。ただし、メインヒロインであるならばサブヒロインがいてこそ存在感が際だつ。いなくてはならないのはむしろ助演女優賞に値するサブヒロインと言ってもおかしいことはこれっぽっちもありはしない。
だから、こういうことを訊いてもおかしくはないだろう。仲の良い2人が一緒に帰らないのを疑問に思うのは当然であり自然なことだしな。よし訊こう。
「……のはらは?」
「なんて?」
聞こえない振りをされたんじゃないかと勘ぐりたくなる。逆光の中で玉子がどんな顔をしているかわからない。夕日が頬の辺りを灼くのを意識してもう一度はっきりと声を出す。
「のはらは?」
「部活よ?」
素っ気なく返される。そういえばそうだった。美術部が毎日活動しているかどうかは知らないが、まだ帰るには早いだろうな。
「んじゃ一緒に帰るか? 玉子もこれから帰るんだろ?」
「部活と言えば、まんまちゃんはコレ、いいの?」
パチーンと口で言って、指を2本前に振り出す。
「え? ああ、将棋部ね。いいさ。別に相手にもならないし」
そういえば、将棋部の面々を忘れていた。もちろん〝魔法少女〟の候補としてだ。
確かあの日は合宿に行っていたんじゃなかったかな。詳しくは調べなければわからないが、レンタルワゴンで1泊2日。調度あの時間は車中のはずだ。少なくともこの町にいたはずはない。
では、距離が離れていればアリバイが成立するのかといえば、そうとも限らないのが複雑なところだった。魔法も使えず徒手空拳で悪を叩きのめすフィジカルで真剣狩るな〝魔法少女〟だが、変身以外の唯一ともいえる特殊技能に、犯行現場に移動する時に限り、亜光速で移動することができるというものがある。
異星人は地球文明を超越した技術を地球人と接触させないことを原則としている。その中の例外として〝魔法少女〟があるわけだが、さらに例外中の例外として提供されているのがその移動手段だった。これは一刻を争う犯罪行為へ対応するために仕方がないからということらしい。魔法少女装甲も超技術であるので、システムを支えることについては別枠の技術供与に当たらないという判断なのだろう。この高速移動に関しては本人たちの体験談がないとぴんとこないだろう。手記を引用してみる。
――と思ったが、存在と時間について余りにも深く思索したよくわからないものしかなかったので割愛する。
無論、皆無とかいうわけではない。適当なものがないだけだ。
大抵の手記にはこの地球人類が体験したことがない移動について書かれてはいるのだが、平易なものを探すとなると今度は「気分が悪くなった」「今後はなるべく使わないようにしたい」といったネガティブで表層的すぎる感想がほとんどになってしまう。要するに、〝魔法少女〟たちもほとんど認識できていないようだった。気づいたら犯行現場付近に移動しているのでは感想もへったくれもない。
それでも場合によっては数キロメートル離れていても一瞬で移動したという記述が発見されたりもしているので、移動方法については推察が繰り返されてきた。
例によって異星人は口出ししてこないので資料を読み漁り現地へ飛んで実測するといった泥臭い作業がこなされたらしい。それらの活動によって、なんとか光速に近い速度で移動しているのではないかという推測に至ったらしい。なんの役に立つのか知らないが。
実はこの移動方法が判明した際は少なからず問題提起がなされた。付近住民の生活と安全に関わる重大な問題であると位置付け議論が紛糾した。
つまり、「それって危なくないのか?」ということだ。
街中をジェット戦闘機どころではない高速で飛来する物体があるというのだ。そりゃ、知らない人が聞いたら仰天するだろう。実際に被害が出たことはないのにも拘わらず頭の中で捏ねくり回した理屈が横行しても無理もない。
『衝撃波が発生する』
『わき見して衝突したら人体は消し飛ぶ』
『いや、すでにそうなっているから陰謀によって問題にすらなっていないだけだ』
音速を超えた際に生じる衝撃波とか経験したこともなかったり、実際に〝魔法少女〟がどういう軌道で移動しているのかを知らない連中に限ってそういう要らない心配をする。
貞操を至上の価値としている魔法少女システムだが、尻を触った程度と肉片が細切れになって吹っ飛ぶような死の危険では分が悪い。反発だけが増えてしまう。流石にボクだって無辜の人命と指も入らないようなのだったらちょっとは言葉に詰まる。なむあみだぶつ。
犯罪者相手の行き過ぎも一部からは批判もあるが、自業自得の言葉もある通り、自分に被害の及ばないのであれば大多数は見て見ぬ振りで済ましてしまうだろう。
まあ、全部杞憂に過ぎないのだけれど。
未だによくわからない噂が独り歩きする割には、数十キロ離れた場所へ行くにもその倍以上の距離を必要としていることはあまり知られていない。要するに〝魔法少女〟は一端上空まで飛び上がってから誰も居ない空間を越えて目的地近くになると急降下しているわけだ。それにそのままの質量で移動しているわけでもない。変身によってすべての細胞を作り変える〝魔法少女〟にとって、変身中にどのような物質に構成されようともさほど意味がない。たとえ密閉された空間にいようとも、原子レベルで見ればスカスカなもんだ。まあ、障害物は無い方が良いらしいので上空を利用させてもらっているとか謎技術の都合とかなんとかよくわからない。
ともあれ、被害など出るはずもないし、これで死亡した〝魔法少女〟もいない。
せいぜい電離層の外で全身にそれこそ細胞の一片にまで宇宙線に冒される程度で済むんじゃないだろうか。
普通に考えたら死亡も同然だが、その程度なら外宇宙のメディカルシステムで簡単に治せるらしい。まあ、この辺りは情報ソースが怪しくなってくるので真面目に考えても仕方ないとも言える。死傷事故が1件もないというのは事実らしいし。
地球の裏で起こった事件であっても時すでに遅しとなる前に参上できるようすにするための能力らしい。ただし、それでも前述したように冗長なことをやっているので、危機一髪で駆けつけるというのは確率がぐんと下がってしまうのは十分考えられる。殺人などの手遅れになりやすい事件に介入させないのもこの辺りの事情が関係しているのではないかと思うのだが、真実はわからない。
そんなわけで、集団でバスに乗っていたとしても誰にも気付かれずに〝魔法少女〟としての任務を遂行できる可能性はある。
しかし、考えてもみてもらいたいが、そんな密室状況で知った顔が突然消えてしまったとしたら大騒ぎにならないと考えるのはいかにも不自然ではないだろうか。駆けつけるのは数瞬でも、現場には数分単位で留まっている必要がある――少なくともあの時は刹那に犯人をぶちのめして去っていったわけではなかった――のだから、誤魔化しきれるものではなかったと考えるのが道理というものだ。
もっとも、休憩中であれば多少姿を隠すのも可能かもしれない。だが、性犯罪はいつ何時発生するかわからないのだ。休憩時間を当て込んで旅行になど行っていられないはずだ。
もう一つ、〝魔法少女〟のある制約により旅行は事実上の任務放棄に繋がるのだが、以上の理由だけで奴らを容疑から外すには十分だろう。
それに、あんなカス連中の弱みを握ったところで、利便などあるわけもない。部活の勝負でわざと負けさせる? ふん。わざと勝たせてやる方が難しいヘボ揃いじゃないか。
「忘れられたん?」
眉根を寄せてかわいそうな子を見るように言わないでもらいたい。
「知ってたよ。前日の出発直前にばったり会ったからな」
「はぁ……」
溜息を聞こえるようにするやつは大嫌いだ。お前が言いたいことなんて、本人が一番良くわかっているものなんだぞ。
「まんまちゃんさ……なんかすごくハブ……仲悪いように聞こえるんだけど」
「まあ、実際良好ではないからね」
「なんでそんな溝が生まれてるの?」
困った子を諭すような声のトーンにむかつくが、別にそれ自体は話すことに抵抗はない。
「将棋ってさ、ハンデ付けるのに駒を落とすんだよ。『手合割』って言うんだけど」
「てあいわり?」
「ああ……角落ちとか飛車落ちとかの」
専門用語で言われてもわからないなと思ったので補足する。
「あ、わかるわかる。それで?」
「あいつら弱いから何枚か落としてくれって言うんだけど、ボクは絶対それやりたくないわけ」
「なんで? それでも勝てるん違うの?」
「勝つのは当たり前。でも、面白くないんだよ、それじゃ」
玉子はわからないというような顔をする。
「勝負は拮抗してた方が面白くない?」
「それは別。あと、言い添えておけば『圧勝』結構だね。すこぶるつきで気分が良くなるよ。でも、1手目でさえものすごく時間を掛ける棋士がいるんだぜ? 勝負ってのは頭の先からしっぽまで詰まった鯛焼きさ。実力がさほど離れていないのなら駒を落として対局するなんてことはない。手合割を何回やってもその時のためにはならないと思うんだよ。囲碁だって最後に帳尻合わせればいいのになんで最初から石置かせてやるのさ。自転車の補助輪は本当に乗りこなすためには不要なものなんだぜ」
ずっと自転車を押している玉子をチラリと見て言ってやる。動揺は見られない。実は玉子が自転車に乗っている姿は一度も見たことがないのでもしかしたら乗れないのではと思ったのだが。
「でも、正式にハンデとして採用されてるってことは、将棋の歴史的にそういう風にやるのがベストだってことなんじゃないの?」
「だからっ! ボクはあいつらと意見が合わないの。多面指しや持ち時間制限ならやってやるっつってるのにさ」
「ふぅん、それはハンデになるの?」
「いや、ならないね。ボク同時に物考えるの得意だし、こっちの回転も早いから」
頭を指さす。
「まんまちゃんって、ホント性格悪いなあ」
笑ってそんなこと言われてもな。
「やるんなら、あいつらが飛車角落とせばいいんだよ」
「まんまちゃんって、ホンット性格最悪だねぇ……」
そう、そのくらい蔑んだ色を含ませた方が良い。
「そんなだと、まんまちゃんの後ろには怖くて乗れないねえ」
チャリ、チャリ、と自転車の音は続いていく。