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序章 犬も歩けば

推理ジャンルですが異端です。

ただ、流れ的には推理がメインかなという感じがしたので、まともに推理して〝魔法少女〟を探し出せたり真相に到達できるものではないような気もするのですが、このジャンルにしています。

 犬も歩けばというけれど、良い意味でも悪い意味でも使われる。

 ボクなんかはかるたに描かれる痛そうな犬の顔を思い出してネガティブに傾いてしまうが。

 でも、それが赤錆の浮いた泥塗れの鉄棒なら、うんと悪い方と言って良いだろう。ウンコでもくっついてれば間違いない。

 そして、もしそれが安全で清潔で頼もしく信じられないほど――まるで魔法のようにキレイだったら、幸運と呼べるだろうか。

 例えば、その棒がぷにぷにと柔らかそうであったならば。

 初夏の風に煌めく長い金毛を生やしていたならば。

 凹凸の少ない純潔なボディーに、夢色を光らせる布を巻き付けた外装。若木が伸びるように細くしなやかな手足。

 あどけなさの中にも強く前を向く。映じた蒼穹のままに澄み渡る瞳が印象的なまでに頼もしい。

 ボクが当たったのは、そんな〝少女〟の形をした棒だった。

 信じられない気持ちで、〝少女〟の横顔に見入るボクは棒立ちになる。

 林に面した田舎道の景色が消え、葉擦れの音も、遠くを走る車の音も消え、温度が、匂いが、ボクと〝少女〟以外のすべてが消える錯覚に包まれる。濃密な空間に取り残された二人の間には視線さえも質量を持つのか、凛とした表情を崩し、見詰められていた〝少女〟がボクに振り向く。

 そして――なんとも頼りない顔になる。いや、情けないと表現するべきか。 どのくらい情けないかと言えば、自分よりも弱そうで好き放題できると踏んで痴情の赴くままに性犯罪を犯そうとしたものの、〝魔法〟のように現れた〝少女〟に阻まれ間抜け面を晒す男の、股間からはみ出た棒切れくらいは情けない。すでにしっかり萎れているし。

 現状を説明しよう。

 要するにボクを襲おうとしたド変態が〝魔法少女〟に懲らしめられようとしているとしているのだった。

 でも、もういいから帰ってくれないかな。

 〝魔法少女〟とボクの間にできた神秘的力場に似つかわしくないし、その後に訪れたなんとも言い難い微妙な空気にもマイナスフェロモンなおっさんなんてお呼びでない。 今にも喚き散らしそうな鬱陶しさが漂いだしてきたが、裏返った怒声で存在感を主張しようとしたって、その醜い身体を揺らして主役でいられたのは数秒前まで。ピギーピギー哀しく鳴く豚がせいぜいだ。〝魔法少女〟を呼び込むだけのために供せられた哀れな犧だった。

 ここからは〝魔法少女〟の――いや、ボクと〝魔法少女〟の舞台だ。そのためにはまず――

「おい、こっち向け」

 そこで見なかった振りして性犯罪者に見得切ってる〝魔法少女〟に小石をぶつける。

 痛みなどあるはずもないのだが、ビクッと全身を震わせ、こわごわと振り向く。

 数分前のことがフラッシュバックする。

 人気のない道に立つ男。不自然なコート姿に嫌な予感がした。何事もなく通り過ぎようとするボクの動きに合わせてふらり、ふらり、と揺れ動く。牽制しあう内に伏せられた視線に宿る粘つく獣欲やもぞもぞと動く下半身の辺りが目に飛び込んでくる。そして、逃走態勢に移れるギリギリを狙い澄まして男が欲望を解き放つ。

 不快感と貞操への危機感が一気に上昇し、性犯罪を認識するその瞬間、突風のように何かが吹き込んでくる。

 薄目を開ける前からわかった。小さな背中で確信した。来て欲しい時に駆け付けるこんなに頼もしくもミニマムな背中なんて〝魔法少女〟以外にない。

 犯罪に巻き込まれたボクの緊張が解けていくのを視覚化してくれているように〝魔法少女〟はゆっくりと動き出す。悪を打ち倒すのではなく、弱きを助けにきたのだと、安心を運んできたとそのことをしっかりと伝えようとボクの顔を見詰め――


 ――そこで今と重なった。


 大きな瞳には不安だけが。

 朱に染まる頬には羞恥だけが。

 ふるりと震える口元には恐怖だけが。

 安心を過積載してきた暴走トラックが横転、炎上、爆発、一面火の海の大惨事へと無残な姿を晒していた。見ている側に被害がないのが幸いだった。

 〝少女〟が目を丸くし、滝のような汗を流してうろたえる姿は、かえってこちらの落ち着きを取り戻させてくれたほどだ。

 ふと見れば、犯人はとっくに気絶させられていた。この〝魔法少女〟が驚いた拍子に力が入ってしまったのだろう。無残にも絡まった糸くずのようになって転がっている。本来ならば、〝魔法少女〟とそれなりに丁々発止のやりとりをしてから虫けらのように捻り潰されるくらいの権利は持っていたのかもしれないのに。まったく、いいざまだがな。

 そして、男を意識すらせずに瞬殺してしまった〝魔法少女〟はといえば、ボクと目を合わせないようにしてもじもじと身体を捩じらせている。おどおどとした態度が妙に犬っぽいと思ってしまった。格付けの済んだ後の、負け犬のようで。

 そして、ボクもまだ冷静さを欠いていたとも言えるだろう。いくら犬をイメージしたとは言え、

「お手」

 人間の姿をした相手に向かってそんなことを口走るなんて。

 なんて馬鹿らしい。反射にせよ犬のマネゴトなんてするはずもない、本当の犬でもない限り。

 しかし、広げた手の平にはひんやりとした感触が飛び込んできた。ぱふ、と軽く握りこんだ拳をボクの手に載せるその腕の先には、微かに涙ぐんでいる〝魔法少女〟があった。健気にボクの命令を聞くその姿を見て、


 にやり、と顔面が歪むのが自分でもわかった。


 犬を飼う時に注意すべき点は多いが、中でも特異なものに『図に載せるな』というものがある。

 犬は社会的な動物で、群れの中での格付けを非常に重視する生き物だ。そのため、『自分よりも下』と思わせると暴力的に振舞うことがある。人間も集団になれば似たような構図になるから理解はしやすい。さすがベストフレンド。

 誤解しないで欲しいが、これは何も犬をいじめろというのではなく、円満な関係を築くためのヒントのようなもので、たとえば、自分の子供が飼い犬に大怪我を負わされたとして、貴方はその犬とそれまで通りの関係を続けられるだろうか?

 意思疎通の難しい相手と付き合っていくのならば、必然、距離の取り方が大事になってくる。

 人間も集団になれば個人の心なんてさておいて、まず目に見える形での力関係を第一に考えるものだ。善しにつけ悪しきにつけ、それが集団的生物が取るべき最良の形の一つだからだ。効率性に富み、安定性がある、多少の犠牲は全体の利潤のために切り捨てる。非情な機械のようだが、細胞というのは元々そのようにできている。それが個体生物となった時に同様に扱われることを否定するならば全生物を否定することと同じだ。

 だから、弱みを握った相手に対して、完全に下だとわからせるのは当たり前のこと。そして、その後は好きなように弄ばせてもらおう。

 卑怯だと言うのならば言えば良い。

 清廉潔白で王道を往けるようなゴリッパな方々にこっちは用なんてない。

 時には負けることも必要だとか大層な御託もたくさんだ。これ以上一度たりとも負けたくないヤツがいることすら想像できない脳みそが天国へ旅立っているようなアホの言う事を聞くなんて鼓膜の無駄遣いだ。聞きたくない。

 負けたくない。完膚なき不敗であり続けたい。

 この信条に不快感を覚え、そこまで負けて悔しい思いをしたくないなら、やらない方がまだマシだなどと言ってしまえるのは救いがたいバカだ。

 絶対負けない方策など、ただひとつしかないのだから。その単純な真理に気が付かないのであれば、既に負けた事実に目を瞑って、それからの一生すべてを負け犬に甘んじることしかできなくなるのだ。

 負けたくないのならば、勝ち続けるべきだ。たとえどんな手段を使ったとしても、負ける要素など徹底的に排して万全の布陣で臨むべきなのだ。

 恨めしげに見上げる敗者を踏み躙り、冷淡な風を吹きつける聴衆を撥ね退け、轟然と笑うに如くはない。

 やるならば、一方的に相手を叩きのめすワンサイドゲームに限る。だから、助けてもらった〝魔法少女〟といえども、取るべき行動はひとつだ。

「ほらどうした? しゃべれないんじゃなけりゃ挨拶くらいしてみろよ」

 言外に「お前のご主人様と認めろ」と臭わせる。何がどうなっているのかまではわからなくとも、こいつがボクに逆らう気などまるでないのがわかった。仮に押し黙ったままでも、少し突付けばパーンと弾けてすべてを曝け出してしまったことだろう。後はほんの少し押し込むだけ。

 だが、意外なことにアクションは向こうが先だった。

「わん」

 子犬のような啼き声とも泣き声とも付かないちんまりとした一言だった。その時だけはまっすぐにこちらを見上げて、熱い息を吐きかけるような必死な表情になっていて、思わず降参して抱きしめたくなるほどの可愛らしさを感じてしまった。

 予想以上の抵抗の無さに意表を衝かれたボクが何も言えずにいると、またしても先手を取られた。たった一語を発してから見る見るうちに真っ赤になった顔を覆うと、そいつはくるりと踵を返して駆け出したのだ。ひくひくと震えていた犯罪人の股座を踏みつけて。惨めったらしく蠢いていたゴミムシもこれで完全に動きを止めた。

 認めたくない敗北感は残った。先手を二度も取られたのはこちらに油断があったからだ。悔しさをやっとの思いで振り払うと、当然のような疑問が沸き上がってくる。

「しかし、あいつは一体誰だったんだ?」

 ボクを見ただけで従順な犬のようになってしまった〝魔法少女〟。その正体へ思いを馳せる。 身の回りにあんな人物像は思い浮かばない。だが赤の他人とも思えない。つまり、普段は〝魔法少女〟であることをひた隠し、なにごともないように振舞っているであろう人物がいるということだ。

 息を潜め静かに紛れているのだろうか。偶然に助けられ背景に溶け込んでいるのだろうか。ボクを嘲笑い、高をくくり、大胆にもその証を見せびらかしながら隣を歩いてでもいるのか。

 そこまで一方的にコケにされていたとしたら、断じて赦すわけにはいかない。地に這い蹲らせ靴の先でも舐めさせて恥辱の限りを尽くすまで屈服させてやる。そのためにはまず誰が〝魔法少女〟かを突き止めることだ。 それがわからなければ傲然と勝利を収められるわけがないじゃないか。

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