過去の実績と後悔
インターホンが家に響く。
「…いらっしゃいます〜?畦倉さーん。いやー、この前は偽名を使われてたみたいで、まんまと引っ掛かっちゃいましてねー。私も随分、緩くなったもんですよ」
インターホンを押しながらそう呟いていた。
いるのはもうバレている。
隠れる場所もない。
「開けてもらえないなら扉破っちゃいますよー?いいんですかー?あっ、もしかして、お連れさんもいらっしゃいます?だったら話が早いんですよねー。山奥で見たかったらしいんですよー。あの男の遺体が」
嘘だ。
遺体は既に骨となり、海に撒いた。
ということは、奴は証拠をでっち上げようとしているということだ。
すると、アイラの目が険しくなる。
「いやー、困りましたね。それじゃあ、無理やり開けますよー?いいんですねー?」
緊迫の瞬間、何かドアの外で鈍い音が聞こえた。
すると、別の声が聞こえた。
「どもっす。えっと、居るのは山坂先輩と、ゆあちゃんと、笹ヶ峰さんと、秋野さんで間違い無いっすか?俺、社長の部下なんす。とりあえず、進藤は今眠らせたんで、安心してください。あー、いきなりすぎてわけわからんと思うんで、詳しい話は事務所の方で」と言った瞬間、俺の携帯が鳴る。
電話は社長からだった。
◇1995年 春
東京都内のとある警察署。
朝8時。
まだ肌寒い春の風が署の窓を叩き、埃っぽいカーテンがわずかに揺れる。
進藤健一、27歳。
刑事課に配属されて3年目の若手刑事は、狭いデスクに腰を下ろし、目の前の書類を睨みつけていた。
テーブルの上にはコーヒーの染みが付いたマグカップと、灰皿に山積みになった吸い殻。
昨夜の徹夜捜査の疲れが顔に滲み、目の下には濃いクマが刻まれている。
「進藤、また徹夜か?」
隣のデスクから声をかけてきたのは、上司の笹ヶ峰さん。
50代後半のベテラン刑事で、がっしりした体格と穏やかな口調が特徴だ。
あと2年もすれば定年退職らしい。
進藤にとっては父親のような存在でありながら、時折その優しさが鬱陶しく感じることもあった。
「ええ、まぁ。昨日の傷害事件の容疑者が口を割らなくてね。ちょっと粘ってみましたよ」
進藤はニヤリと笑い、タバコに火をつける。
煙がモクモクと立ち上り、狭い部屋に漂う。笹ヶ峰は眉をひそめたが、何も言わず自分の書類に目を戻した。
進藤の頭の中は、昨夜の取り調べの情景でいっぱいだった。
薄暗い取調室。
鉄製のテーブルに手錠で繋がれた男は、30代前半のチンピラ風。
顔には殴られた跡があり、目は虚ろに宙を彷徨っている。進藤は椅子に座ったまま、男の顔を覗き込むように近づき、低い声で囁いた。
「お前さぁ、黙ってても無駄だよ。こっちは証拠握ってんだ。昨日、西町の路地裏で暴れてたの、お前だろ?目撃者がちゃんといるんだよ。さっさと吐けよ。楽にしてやるからさ」
男は唇を噛み、目を逸らす。
進藤は苛立ちを抑えきれず、テーブルをバンッと叩いた。
金属音が部屋に響き、男の肩がビクッと跳ねる。
「黙ってりゃ済むと思ってんのか?なぁ、お前みたいなゴミが生きてんの、見てて腹立つんだよ。吐けよ、今すぐ!」
男の目が泳ぎ、額に汗が滲む。進藤はさらに畳み掛ける。
「お前がやったって分かってんだよ。証拠だって揃ってる。嘘ついても無駄だ。なぁ、正直に言えよ。楽になりてぇだろ?」
実際、証拠は曖昧だった。
目撃者の証言も曖昧で、物的証拠はほとんどない。
ただ、進藤の勘が「こいつが犯人だ」と叫んでいた。
そしてその勘は、これまで何度も的中してきた。
男はついに耐えきれず、震える声で「…やりました」と呟いた。
進藤は満足げに笑い、椅子に背を預けた。
◇午後2時 取調室
その日もまた、別の事件で容疑者を締め上げていた。
今回は窃盗事件。
コンビニから金を盗んだとされる20代の男だ。
進藤は取調室の椅子に座り、足を組んでタバコを吸いながら、男を睨みつける。
「お前、昨日コンビニで店員脅して金盗んだろ?言い逃れできねぇぞ」
男は首を振る。
「違います、俺じゃないです…」
その言葉に進藤の目が鋭く光る。
立ち上がり、男の首元を掴んで壁に押し付けた。
「嘘つくなよ。お前みたいなゴミが生きてるだけでムカつくんだよ。さっさと吐け!」
男の顔が恐怖で歪む。
進藤の手がさらに力を込め、男の呼吸が荒くなる。
そこへ、ドアが開き、笹ヶ峰が入ってきた。
「進藤!やめろ!」
笹ヶ峰の声が響き、進藤は渋々手を離す。
男は咳き込みながら床に崩れ落ちた。
笹ヶ峰は進藤を睨みつけ、低い声で言う。
「お前、やりすぎだ。こんな強引なやり方じゃ、後で問題になるぞ」
進藤は鼻で笑った。
「問題?こんなゴミどもが生きてる方が問題ですよ。笹ヶ峰さん、あんた優しすぎるんです。犯罪者なんて生きる価値ねぇんですよ。俺はただ、早く片付けてるだけだ」
笹ヶ峰はため息をつき、進藤の肩を叩く。
「正義感は分かるが、やり方を考えろ。俺だって昔はお前みたいだったがな…限度を超えると、取り返しがつかなくなるぞ」
進藤は聞く耳を持たず、タバコを灰皿に押し付けて席に戻った。
笹ヶ峰の言葉は耳に届いても、心には響かなかった。
彼の中では、犯罪者は全員「ゴミ」で、正義のためなら手段を選ばないという信念が固まっていた。
◇
進藤の強引な捜査は、次第に署内で話題になっていた。
「進藤の取り調べ、怖いらしいぜ。容疑者が泣きながら自供したってよ」
「でもさ、件数上げてるのは事実だろ?上も黙認してるっぽいし」
「いや、でも証拠が曖昧なもの多いらしいぞ」
若手の間では畏怖と尊敬が入り混じった目で見られ、ベテランからは苦言を呈されることもあった。
しかし、進藤本人は意に介さない。
むしろ、自供を引き出した件数が増えるたびに、自分のやり方が正しいと確信を深めていった。
ある日、強盗事件の容疑者を締め上げていたときのこと。
進藤はいつものように威圧的な態度で迫り、ついに男が「やりました」と自供した。
事件は解決し、上司からも褒められたが、後日、その男が冤罪だった可能性が浮上した。
アリバイを証明する証人が現れるも曖昧だったのだ。
笹ヶ峰が警告した。
「進藤、お前あの事件、証拠薄かっただろ?強引に自供させたんじゃないのか?」
進藤は肩をすくめる。
「自供したんだから、そいつが犯人でいいでしょ。証拠なんて後から揃えりゃいいんですよ」
笹ヶ峰の顔が険しくなる。
「お前…それが冤罪を生むんだぞ。人の人生を狂わせるんだ。分かれよ」
進藤は目を逸らし、タバコに火をつけた。
そりゃ100件に1件くらい冤罪だってあるだろう。
けど、何だろうが、犯罪者を仕留めるのが自分の仕事だ。
そう思っていた。
◇1996年 秋
進藤が手掛けた事件の一つに、詐欺事件があった。
30代の男が、高齢者から金を騙し取ったとされる案件だ。
進藤はいつものように強引に取り調べ、男を自供に追い込んだ。
男は泣きながら「やりました」と認め、裁判で有罪判決を受けた。進藤はまた一つ「ゴミ」を片付けたと満足していた。
しかし、数ヶ月後、その男が冤罪だったことが発覚した。
真犯人が別件で逮捕され、証拠が揃ったのだ。
その冤罪をかけられた男は刑務所で自殺を図り、命は取り留めたものの、心に深い傷を負った。
そして、その男の妻が動き出した。
ある雨の夜。
進藤は署を出て、いつものようにコンビニに寄って帰路についていた。
傘をさし、タバコを咥えながら歩く。背後から足音が聞こえ、振り返ると、そこに立っていたのは30代の女性だった。
瘦せこけた顔に憔悴しきった表情。
手にはナイフが握られている。
「お前…お前が夫を…!」
女の声は震え、涙と雨で顔がぐしゃぐしゃだ。進藤は一瞬呆気にとられたが、すぐに状況を理解した。
「お前、誰だ?落ち着けよ」
女が叫ぶ。
「落ち着けだと?お前が夫を陥れたんだ!冤罪で…人生を壊したんだ!死ね!お前なんか死ね!」
ナイフが振り上げられ、進藤に向かって突き出される。
その瞬間、横から飛び込んできた影が女を押し倒した。
笹ヶ峰さんだった。
「進藤、逃げろ!」
笹ヶ峰さんの声が響くが、次の瞬間、女のナイフが腹に突き刺さった。
鮮血が雨に混じり、アスファルトに広がる。進藤は目を丸くし、動けなかった。
女は泣き崩れ、ナイフを落とす。
笹ヶ峰さんは膝をつき、進藤に呟いた。
「お前…やりすぎたんだよ…だから…」
その言葉を最後に、笹ヶ峰さんは動かなくなった。雨が冷たく頬を叩き、進藤はただ立ち尽くすしかなかった。
◇その後
笹ヶ峰さんの死は署内に衝撃を与え、進藤への風当たりは一気に強くなった。
しかし、事件は表沙汰にならず、女は精神的な問題を理由に不起訴となったが、進藤の心には深い傷が刻まれた。
「俺が…やりすぎたのか…?」
初めて自分のやり方に疑問を抱いた夜、進藤はアパートで酒を煽りながら涙を流した。
笹ヶ峰さんの言葉が頭から離れない。
それでも、彼は刑事を辞めなかった。
信念は揺らいだが、正義を貫くため、強引なやり方はやめ50代になった今、彼は若手の成長を見守りながら、かつての自分を戒めるように生きている。
あの雨の夜の記憶は、今も胸に重くのしかかっている。




