怪しい影
社長室の空気が一瞬で凍りついた。
アイラの「莉乃葉が…っ! 居なくなりました!」という言葉が、錆びた蝶番の悲鳴と一緒に頭の中で反響する。
俺は思わず立ち上がり、アイラの慌てた顔を見つめた。
普段は冷静で、仕事中も無駄な動き一つしない彼女が、肩で息をしてる。
額に汗が滲んでて、目が揺れてるのが分かった。
「どした、そんなに慌てて」
社長がタバコを灰皿に押し付けて、眉を寄せた。声は低くて、でもどこか落ち着いてた。
「莉乃葉が…っ! 今日、私、休みだったんです。コンビニに行ってる間に、いつの間にか居なくなってて…!」
アイラの声が途切れ途切れで、言葉を吐き出すたびに胸が詰まってるみたいだった。
「秋野さんが…」
俺が口を挟むと、アイラがこっちを向いて小さく頷いた。
アイラが目を伏せて、震える声で続けた。
「最近、少し様子がおかしかったんです…。それで私が目を離した隙に…」
社長がデスクに肘をついて、ため息をついた。
「山坂、今日はもう上がれ。アイラと一緒にその秋野ってやつを探してこい」
「…いいんすか?」
「ダメな理由がねーよ」
その言葉にすぐに頷いた。
「分かりました。ありがとうございます。アイラ、行くぞ」
社長室を出る時、振り返ると、社長がタバコをくわえて火をつけるのが見えた。
煙が薄暗い部屋に広がって、古びたビルの重苦しさが一層濃くなった。
◇
3人で車に乗り込む。
俺が運転席、助手席にアイラ、後部座席にゆあちゃん。
古いセダンのエンジンがガタガタ唸って、駐車場から外に出た。
外は曇り空で、灰色の雲が低く垂れ込めてた。
アイラが助手席で膝に手を置いて、窓の外をじっと見てる。
「莉乃葉、どこに行ったんだろう…。コンビニから戻ったら、部屋が静かで、靴もなくなってて…」
その声が小さくて、俺はバックミラー越しにゆあちゃんを見た。
ゆあちゃんが心配そうにアイラの背中を見つめてて、俺に目で「大丈夫かな?」と聞いてくるみたいだった。
「とりあえず、元カレの家に行ってみよう。アイラ、住所わかるか?」
俺が聞くと、アイラが頷いて住所を呟いた。
ナビに打ち込んで、車を走らせた。
◇
元カレの家の近くに到着してから、キョロキョロと周りを見渡す。
だが、姿は確認できず、気配もない
あいつにバレたら面倒だと少し隠れた場所からしばらくの間見ていたものの、秋野さんの影はなかった。
しかし、結局、元カレの家では手がかりが得られず、車に戻った。
アイラが助手席で唇を噛んで、「次はどこに行けば…」と呟く。
「とりあえず、秋野さんがよく行きそうな場所を回ってみよう」
「公園とか、カフェとか…莉乃葉、静かな場所が好きって言ってたから」
俺は頷いて、車を再び走らせた。
昼から夕方、そして夜になっても、秋野さんの姿は見つからない。
公園を歩き、カフェを覗き、アイラが思い出した場所を片っ端から回った。
ゆあちゃんは疲れた顔をしてても、「唯斗くん、もう少し頑張ろう」と励ましてくれた。
アイラは黙って助手席に座り続けて、窓の外を見つめてた。
夜の街灯が車内にチラチラ映って、3人とも疲れがピークに達してた時、俺のスマホが鳴った。
総一からだ。
「唯斗、今どこだ? 秋野さん、俺と一緒にいるよ。公園にいるから来てくれ」
その声に、俺の心臓が跳ねた。
「マジかよ…いや、分かった、すぐ行く」
アイラが「莉乃葉いたんすか!?」と叫ぶ。
「総一が秋野さんを見つけたって。公園だ、今から行くぞ」
アイラの目が一瞬光って、でもすぐに不安に揺れた。
◇
車を急いで走らせて、指定された公園に着いた。
街灯がまばらに点いてて、暗い芝生の向こうにベンチが見える。
そこに、総一と秋野さんが座ってた。
総一はいつもの革ジャンを着てて、隣の秋野さんは俯いてる。
長い髪が顔を隠してて、遠目でも分かるくらい虚ろな雰囲気が漂ってた。
車を停めて、3人で駆け寄った。
「莉乃葉!」
アイラが叫んで秋野さんに抱きつくと、秋野さんが少しだけ顔を上げた。
でも、その目は虚ろで、昔のゆあちゃんを思い出すような空っぽさがあった。
俺は総一に目をやって、「どういうことだ?」と聞いた。
総一が肩をすくめて、説明し始めた。
「たまたまカフェで考え事してたらさ、外で秋野さんが男に手を引かれて歩いてるのを見たんだよ。様子がおかしかったから、後をつけてた。そしたら、なんか雰囲気がやばそうでさ。チンピラのフリして絡んだら、その男が逃げ出しやがった」
総一がニヤッと笑ったけど、その目には怒りが滲んでた。
「で、秋野さんをここに連れてきたってわけ。元カレじゃなかったっぽいけど、怪しい奴だったのは確かだ」
「そっか。総一、助かったよ。ありがとう」
俺が言うと、総一が「まぁな」と軽く笑った。
アイラは秋野さんの肩を抱いたまま、「莉乃葉、ごめん…私がちゃんと見てれば…」と呟いてた。
秋野さんは何も言わず、ただじっと俯いてる。
ゆあちゃんがそっと近づいて、秋野さんの手を握った。
「大丈夫だよ…私たちみんなここにいるから」
その優しい声に、秋野さんの肩が微かに震えた。
「アイラの家がバレてる可能性もある。しばらくは総一の家で預かった方がいいんじゃないか?」
俺が提案すると、アイラが頷いた。
「そうですね…お願いできますか、総一さん」
「おう、任せとけ。うちなら安全だ」
総一が胸を叩いて請け負った。
◇
総一の家は、街の外れにある古い一軒家だった。
木造の外壁が剥げかけてて、庭には雑草が伸び放題。
でも、中は意外と片付いてて、総一らしい無骨な雰囲気が漂ってる。
リビングのソファに秋野さんを座らせて、アイラが隣に寄り添った。
ゆあちゃんはキッチンで水を汲んで、秋野さんに渡してた。
俺と総一は少し離れて、壁に寄りかかって話してた。
「総一、あの男ってどんな奴だった?」
俺が聞くと、総一が少し考えて答えた。
「30代くらいで、スーツ着てたけどヨレヨレだった。なんかヤバい感じがした」
またレンタル彼氏でも派遣させたのか。
その時、リビングの窓の外で車のエンジン音が響いた。
ヘッドライトの光がカーテンを突き抜けて、壁に鋭い影を落とす。
総一が「誰だ?」と呟いて、窓に近づいた。
俺も後ろに続いて、カーテンの隙間から外を見た。
そこに停まった黒いセダンから、男が降りてきた。
街灯の光に照らされた顔は、見間違いようがない。
進藤だ。
その後ろから、1人の部下が降りてきて、総一の家の玄関に向かって歩いてくる。
進藤の目が、まるで獲物を捕らえたみたいに鋭く光ってた。
「総一、まずいぞ…!」
俺が振り返ると、総一の顔が硬くなってた。
リビングにいるアイラとゆあちゃんが、俺たちの様子に気付いて顔を上げた。
秋野さんの虚ろな目が、窓の外の光に反応して、少しだけ揺れた。




