クズ④
あのクズを叩き起こすと、目が覚めた瞬間、顔が怯えで歪んだ。
額に汗が滲み、縛られた手足がガタガタ震え出す。
「お、俺は…悪くないッ!許してくれっ!俺は脅されたんだ!あの刑事に…ッ!」
正気に戻ったのか、いつもの言い訳が口から溢れ出す。
声が掠れ、目がキョロキョロと俺と総一を交互に見る。
「…質問に答えろ。ゆあちゃんを家に帰して…どうするつもりだった」
「そりゃ、今までのことを反省してッ!これからは優しく…!」
言葉が早口で飛び出し、口元が震える。
「…じゃあ、なんでお前は今働いてないんだ?家のことも何もしてないんだ。そんなんでどうやって、ゆあちゃんを幸せにするつもりなんだ」
「それは…あの…こ、これから…しようと考えていて…」
目を逸らし、額の汗が顎まで滴り落ちる。
「…斉藤さん。どう思いますか?」
斉藤さんが倉庫の隅から一歩踏み出す。
長身で無表情、取り立てのプロフェッショナルだ。
腕を組んだまま首を軽く振って、「聞くまでもねえだろ」と鼻で笑う。
鋭い目がクズを一瞥し、冷たい空気が漂う。
「な、なんだよ…なんだって言うんだよ。おい…ひ、人を殺して…いいと思ってるのか!?」
クズが椅子に縛られたまま身をよじり、ロープが軋む音が響く。
「…あの時のゆあちゃんは死んだも同然だった。被害者ヅラはやめてくれよ」と返すと、彼の目がさらに見開いた。
「お、俺を殺せば…あの刑事が黙ってないぞ!絶対にお前を…捕まえる!」
「…そうだな。けど、せいぜい10年程度だろ。お前を殺したら今日の夜は宴だな。飲んで、笑って、騒いで…近所の人たちもお前の死を喜んでくれるだろうな。お前の奥さんも…これで平穏な日を送れる。そして、10年も経てばお前のことなんか誰も覚えていない」
その言葉に、クズの体がガタガタと激しく震え出す。
顔が真っ青になり、涙と鼻水でぐしゃぐしゃだ。
「ごめん…なさい…ごめんなさい!ごめんなさいごめんなさい!ごめんなさい!許してください!許してください!許してください!」と、泣き喚き、椅子が揺れるほど暴れる。
「…お前はそう言って助けを求めたゆあちゃんを助けたのか?」
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい」
死ぬ間際まで自分のことしか考えてない。
他人がどうなろうが、自分がどうだったかなんて一切顧みない。
…生かしておいても、誰のためにもならない。
「…本当に自分でやるのか?」
総一が隣で静かに問いかける。
暗い倉庫の光が彼の顔に影を落とし、真剣な目がこっちを見てる。
「…はい。これだけは…俺がやらないといけないんです」
「やめろ…やめろー!!!!」
クズの叫びが倉庫に反響し、埃が微かに舞う。
◇
帰りは総一に運転してもらった。
助手席に座る俺の手はまだ震えてる。
窓の外を流れる山道の木々がぼやけ、エンジンの低い唸りが耳に響く。
血の臭いが鼻に残り、服に染み付いた汗が冷たく感じる。
「…強がってたくせに…このザマか。あんなやつでも…殺したことに少なからずの罪悪感を感じてるのかな」
総一がハンドルを握りながら、チラッとこっちを見る。
声は軽いが、目が真剣だ。
「…人間は考えられる生き物だからな。もしとか、たらればで、選択しなかった世界を夢見るものだ。例えば、あのじじぃが改心して、ゆあちゃんとも仲直りしてなんて…妄想の世界でならいくらでも幸せは描ける。選ばなかった世界での幸せを妄想するくらいなら、その妄想よりいい現実を描こうぜ」
いつになく真剣な総一の横顔に、思わず笑みがこぼれる。
目尻に微かなシワができ、夕陽が彼の髪を赤く染めてる。
「…んだよ、笑いやがって。たまに真剣に喋ったらそれかよw」と総一が肩をすくめる。
「いや、似合わねーなって。けど、ありがとうな。俺…頑張るよ」
少し走ると、総一が急に口を開いた。
「…おう。そういや、俺…ちょっと夢ができたんだよな」
「なんだよ、いきなり。どんな夢だ?」
「…弁護士になろうと思ったんだ。人を助けるボランティア弁護士みたいな?」
助手席から見る彼の目は、どこか遠くを見てるようだ。「…お前ならなれるよ」
「…笑わねーのかよ。俺が弁護士だぜ?」
「笑うほど無謀には思えない。頑張れ」
「…おう」
そっか…お前は弁護士になったんだな。
◇
家に帰ると、部屋は真っ暗だった。
玄関の靴が揃ってて、静寂が重く響く。
時計を見ると19時。
まだ寝るには早い。
まさか…あの刑事に!?
心臓が跳ね上がり、急いでゆあちゃんの部屋へ駆け込む。
ドアを勢いよく開けると、ベッドに横たわる小さな影。
ゆあちゃんが毛布にくるまり、穏やかな寝息を立ててぐっすり眠ってる。
良かった…でも、こんな時間に寝てるなんて珍しい。
ほっとした瞬間、今日の出来事が脳裏にフラッシュバックする。
血の臭い、クズの叫び声、震える手…。胃が締め付けられ、気持ち悪さが込み上げる。
急いで洗面所に駆け込み、洗面台にしがみついてえずく。
唾が喉に引っかかり、吐き気が止まらない。自分は神経が太いと思ってたのに…。
こんなんじゃダメだ。
あの刑事に簡単に看破される。
あいつが消えたことはすぐ突き止めるだろう。
そして、真っ先に俺を疑う。
その時にこんな状態じゃ、「やりました」と白状してるようなものだ。
水をかぶって顔を洗い、冷たい滴が首筋を伝う。
洗面所を出てリビングへ向かうと、テーブルの上に一枚の紙が置いてある。
…なんだ?電気をつけると、白い紙にゆあちゃんの少し歪んだ文字が並んでる。
『いつもありがとうございます。本当に感謝してます。これからもずっと一緒にいて欲しいです。ご飯は温めて食べてください』
眠い中で書いてくれたんだろうな。
フラフラした字に温かさが滲む。
「…うん。ずっと…一緒に居ような」と、文字を指でなぞりながら呟く。
大変な日だったからか、その夜は久々に悪夢を見た。
◇
子供の頃の口癖は「ごめんなさい」だった。
父は医者、母は弁護士。
裕福で厳格な家に生まれた俺は、両親や周囲から大きな期待を背負わされてた。
広いリビングには本棚が並び、父の医学書と母の法律書が威圧的に鎮座してる。
でも、生まれた俺は全然賢くなかった。
むしろ馬鹿な部類だ。
言葉を覚えるのも遅く、友達とスラスラ喋る才能も、運動神経もなかった。
ただの不出来な子供。
物心がつく頃には、両親は俺に期待しなくなってた。
それでも「人並みであれ」と強要され、泣き喚いて嫌がる俺に無理やり勉強を押し付けてきた。
「あんたは馬鹿なんだから」が母の口癖だった。冷たい声がダイニングに響き、鉛筆を持つ手が震えた。
小学生の頃は家庭教師のおかげで何とか点数を取ってたけど、私立中学にギリギリ合格したことで人生が暗転した。
中学の勉強は桁違いに難しく、あっという間に置いてかれ、最初の大きなテストで全教科50点前後を叩き出した。
答案用紙を握り潰し、机に突っ伏したあの日が忘れられない。
それで両親は完全に俺を見放した。
家では無視され、暴言が飛び交う。体罰はなかったけど、言葉の暴力は容赦なかった。
「お前なんか産まなきゃ良かった」が父の口癖だった。
低い声が書斎から漏れ、俺は部屋の隅で膝を抱えた。
中3の期末テストで、初めて全教科70点台を取った。
嬉しくて、「俺だってやればできる」と父に見せに行った。
テストを手に持つ父は鼻で笑い、目の前でビリビリに破いてゴミ箱に捨てた。
そして、「お前なんか産まなきゃ良かった」と吐き捨てた。
その言葉が胸に突き刺さり、涙が溢れた。




