交渉
あれから1週間が経った。
あまり家に帰らないと怪しまれると思い、事務所に泊まる日と家に帰る日を交互に繰り返すことにした。
俺が家に帰る日は、ゆあちゃんを事務所かアイラの家に預けている。
これでアイラには相当な貸しを作っちまったが…まぁ仕方ない。
その間に、ゆあちゃんとアイラはすっかり仲良くなっていた。
事務所の休憩室。
タバコの匂いが薄く漂う中、机の上にはトランプが散らばり、アイラがニヤニヤしながらゆあちゃんに絡んでいる。
「…ふっふっふっ…ゆあ…右がジョーカーだよ?お姉さんを信じなさい」と囁く。
「…うん」と素直に頷き、ゆあちゃんが左のカードを引くと…ジョーカーだった。
「ふはっはっはっはっw まだまだ子供よのぉw 人生経験の差がすごいのよw」
20歳の女が11歳相手に高らかに笑い声を上げる。
赤髪を振り乱し、派手なバンドTシャツの裾が少し跳ねる姿は、まるで子供の喧嘩を制したような得意げさだ。
「…大人げねーな」
「先輩っ、分かってないですねー。僕は今、ゆあに人生の厳しさってやつを叩き込んでやってるんですよ」
「…いや、それを大人げないと言ってるんだよ」
アイラが少し頬を膨らませると、ゆあちゃんが真似するように「…右がジョーカーです」と仕返し。
「…ククククク。同じことをやり返すなんて…まだまだ子供だなー。お姉さんには全てお見通しだよ?同じ作戦を使った…と見せかけて実は逆にしたパターンだな!読み切った!」
アイラが自信満々に右のカードを引くと、またしてもジョーカー。
「な、なんだと!?」
「人生経験の差が出たな」と笑うと、アイラがムッとした顔で睨み付けてきた。
昼休みの事務所は、いつもの喧騒が少し落ち着き、遠くでコピー機の音が響く。
そんな中、トランプで遊ぶ二人の声が妙にほのぼのしていて、つい口元が緩む。
すると、少し離れた廊下から社長の低い声が聞こえてきた。
何事かとアイラと一緒にそっと近づくと、入り口近くに立つあの刑事が目に飛び込む。
恰幅のいい体をスーツに包み、丸メガネの奥で鋭い目が社長を捉えている。
新米らしい若い刑事は少し後ろに控え、緊張した面持ちで立っている。
バレないように物陰に隠れ、息を潜めて会話を盗み聞きする。
「…いやぁ、山本さんも大変ですね。問題児ばかりを抱えて」
「…うちの社員の悪口はやめろ」
「ははは、一端の社長気取りですか…クズのボスが」
「さっさと用件を言え」
「いえ、そちらの社員の山坂さんの約束をしていましてね。親戚の子供を預かっていて、今度会わせていただける…と。しかし、家にお邪魔してもなかなかタイミング合わなくて…。ですので、一度直接話がしたいと思いましてね」
全てを見透かしたような、嫌らしい口調。
社長が舌打ちする音が聞こえる。
「悪いが山坂は外に出てる」
「そうですか。では、中で待たせてもらっても?」
「客でもねーやつを事務所の中に入れるわけにはいかねーな」
「ちょっと勘弁してくださいよー、山本さーん。自分の立場をちゃんとわかってます?会社ごといっちゃっても全然構わないんですよ?」
「令状は?」
「いやー、今日は持ち合わせてないんですけどね。山本さんがその気ならいつでも持ってきますよ」
これ以上、社長に迷惑はかけられない。
アイラに目配せしてゆあちゃんを連れてくるよう指示し、俺は刑事の前に進み出た。
社長が驚いた顔で振り返る。
「お前、なんで…」と言いかけたが、刑事の方が先に口を開いた。
「あら〜、山坂さん!いらっしゃったんですね!ちょうど良かった!話を聞きたくてね!」
とぼけた声で手を広げるその仕草に、背筋がゾワッとする。
社長に頭を下げ、「迷惑をかけました。あとは俺1人で大丈夫です」と伝える。
社長は何か言いかけたが、言葉を飲み込んで「何かあったらすぐに呼べ」とだけ言い残し、踵を返した。
「いやー、お会いできてよかった。もう少しで令状持ってガサ入れに行くところでしたよ」
「…逃げてたつもりはないですが」
「追われてる自覚はありましたか?」
「…ここでは迷惑になるので外で話しましょう」
「我々は構いませんよ」
その時、アイラがゆあちゃんを連れてやってきた。
ゆあちゃんはアイラの後ろに隠れるように立ち、不安げに俺を見上げる。
「…さんきゅ、アイラ。お前はここで待ってろ」と言うと、アイラが首を振る。
「僕も行きます」
刑事の目がアイラに移り、ニヤリと笑う。
「おやぁ?もしかして、そちらの美しい女性は笹ヶ峰さんかな?いやいや、こうして会うのは何年振りかな」
「…お久しぶりです。進藤さん」
「こんなところで働いてるなんて…お爺さんも天国で泣いてるよ」
「おじいちゃんを殺したあんたがそれを言うか」
「…」
まさかアイラとも知り合いなのか?
この刑事、一体何者だ…。
「笹ヶ峰さんも事情を知っていると言うことであれば、是非同席してください。その方が話がスムーズに進みそうですから」
そうして、事務所御用達の喫茶店に向かった。
◇
喫茶店に足を踏み入れると、コーヒーの香りとタバコの煙が混じった重い空気が鼻をつく。
平日の昼間なのに、店内はほぼ満席。見慣れない男たちがテーブルを囲み、新聞を広げたり煙草をくゆらせたりしている。
視線がチラチラとこちらに集まり、背中に冷たい汗が滲む。
これは…囲まれたな。
空いている一卓に俺、ゆあちゃん、アイラが横に並び、向かいに二人の刑事が腰を下ろす。
ベテラン刑事は丸メガネを指で押し上げ、ゆったりと背もたれに体を預ける。
新米は少し緊張した様子でノートを取り出した。
「やっぱここですか。いやー、働いている方々が元従業員の方と聞いていましたからね。話し合いをするのならばここで話すと思っていましたよ」
女の子一人にここまでするか?
普通じゃない。一体何を考えてるんだ。
「…それで? 話というのは」
「いえ、何も難しい話じゃないですよ。そのお子さん、親戚のお子さんなんですよね?まずはその親戚のお名前を聞かせてもらえますか?」
「…言いたくありません」
「言いたくない? 言いたくないですか…困りますねぇ。では、質問に変えましょうか。そのお子さんは伊藤ゆあちゃんでお間違いないですか?」
やっぱりバレてたか。
ここで嘘をついても無意味だ。
「…間違いないです」
「…伊藤さんと親戚関係であると?」
「…いいえ」
刑事が小さく微笑む。
「そうですか。では、我々に嘘をついていたと」
アイラは全て知っていたかのように、表情一つ変えず黙って座っている。
「…結局どうしたいんですか?ゆあちゃんをあの家に返せと言ってるんですか?この子があの家でどんな目に遭ってたか知りもしないくせに…」
「知っていますよ。問題にはなっていましたからね。あいつは児相の人達も要注意人物としてあげていましたから」
「それなら…」
「ははは、だからって反社のような人が子供を誘拐していいことにはならないんですよ。それに出ちゃってるんですよ。あのお父さんからこれがね」
そう言って、捜索願のコピーをテーブルに滑らせてきた。
あのクソ野郎…警察に頼りやがったのか。
殺意が湧き上がり、拳が自然と握り潰されそうになる。
「…すごい表情ですね。いやね?我々も事情は把握していましたから、彼女をそのまま家に帰すつもりはないんですよ。ですから、施設に」
その瞬間、ゆあちゃんが声を上げた。
「…いやだ!!」
店内の視線が一斉にこちらに集まる。
彼女は引かず、刑事をまっすぐ見据える。
「お嬢ちゃんの気持ちはよく分かるよ。今の生活はお嬢ちゃんにとって、それはそれは快適な場所なんだろうね。それに施設は怖いし、人と関わるのも、それも同年代となると余計にね。だから、小学校に通うことも今は難しいだろう。それでもね、この日本では家族の縁を完全に断つ方法なんて存在しないんだ。絶縁状を叩きつけようと、養子縁組に入ろうと、戸籍を分けようと、親子関係を完全に断つ法律はないんだ」
ゆあちゃんの目に涙が溜まり、唇が震える。
「…親が死ねば、関係はあろうと関係ないでしょ」
「それはそうですね。けど、彼は生きてる」
アイラがため息をつき、静かに口を開く。
「…相変わらずそんなやり方しかできないんですね。そんな方法で恨みを買ったせいで、僕のおじいちゃんはあなたを庇って死んだんですよ」
「そうですね。だからこそ、私は私を貫く。死ぬまでね」
「つまり、ゆあちゃんを施設に入れろと言いたいんですか?」
「…本当はそれが一番いいと思っていますね。けど、ここで無理やり彼女を奪おうものなら、あなたは何をするかわかったものじゃないですから。ですから、交渉と行きましょう。私たちも少女の誘拐となると動かざるを得ない。ですから、書類上は彼女は施設に入っていることにする。あの親父に関しては私の力を使えばいつでも務所にぶちこめますし、子供を返せない納得できる理由はこちらで用意しましょう」
「…見返りはなんですか?」
「…山本社長を裏切っていただきたい」
刑事はニヤッと笑い、丸メガネの奥で目が光った。




