警戒心
目を覚ますと、まだ真夜中だった。
携帯を手に取ると、画面に映る時刻は2時。初夏の夜特有の静けさが部屋を包み、遠くで虫の鳴き声が微かに聞こえる。
深夜に目が覚めたってことは、途中で眠りに落ちたのか…?
そんなことを考えながら寝返りを打つと、部屋の扉の方に視線が移る。
そこには真っ暗な闇の中、枕を抱えた女の子のシルエットがぼんやり浮かんでいて、思わず叫び声が飛び出した。
「ぎゃああああああああ!!! お化けぇええええ!!」
ちなみに、お化けが大の苦手だ。
ホラー映画なんて一人じゃ絶対見られないし、お化け屋敷に至っては入り口で足がすくむレベル。
叫び声と同時に、その女の子がビクンと体を震わせた。
お化けだって驚くんだな、と一瞬冷静に考える。
でも、次の瞬間、「あの…」と小さな声が聞こえてきて、慌ててスマホのライトを点けた。
光に照らされたのは、ゆあちゃんだった。
冷静に考えれば、そうだよな。
こんな時間に他に誰がいるってんだ。
少し息を整えて、「…どうしたの?」と声をかけると、よく見ると彼女の体が小刻みに震えている。大声でびっくりさせたせいか…?
「ごめんな、いきなり大きな声出して…びっくりしたよな」と謝ると、ゆあちゃんはゆっくり首を振った。
「…違う…。怖い…夢…昔の夢を見て…あの家に戻ったんじゃないかって…思って…」
震える声でそう呟く彼女を見て、胸が締まるような感覚がした。
そうか…あの家での夢を見ちまったんだな。まだ2ヶ月しか経ってないんだから、簡単に忘れられるはずがない。
いや、もしかしたら一生消えない傷なのかもしれない。
「…よし、今日は思い切って一緒に寝てみようか」
そう提案すると、ゆあちゃんはモジモジと恥ずかしそうに枕を抱きしめながら小さく頷いた。
その夜は一緒に寝た。もちろん、ただ横に並んで眠っただけだ。
布団の中で聞こえる彼女の小さな寝息が、静かな部屋に溶け込んでいく。
◇
体をゆすられる感覚で目を覚ます。
「…あの…もう…8時です…よ」
ゆあちゃんの声に一気に意識が覚醒した。
「…8時!? マジかよ!?」
飛び起きて時計を確認すると、本当に8時を指してる。
慌ててスーツに着替え、ゆあちゃんが用意してくれたサンドイッチを口に咥えながら準備を急ぐ。
爽やかな風が窓から吹き込んでくるけど、そんな余裕を感じる暇もない。
そのタイミングでインターホンが鳴った。
こんな時間に誰だよ…まさか総一か?
モニターを確認すると、口からサンドイッチがポロッと落ちた。
『こんにちわ~、山坂さん。ちょっとお話いいですか~』
映し出されたのは、50代くらいのおじさんと、俺と同い年くらいの若者の二人組。
雰囲気から一発で分かる。刑事だ。
最悪のタイミングで来やがった…。
出ないと怪しまれるよな。
でも、まさか…あのおっさんが約束を破ってあの子を…?
いや、そもそも俺の家を知ってるのはおかしい。
ストーキングでもされてたのか?
頭の中でいろんな考えがグルグル回り始める。
浅く呼吸を整え、目線でゆあちゃんに「隠れてて」と伝える。
彼女は小さく頷いて部屋の隅に身を潜めた。通話ボタンを押した。
「…どうも。こんな朝からどうしたんですか? お巡りさん」
『あ、こんにちは。朝早くからごめんね? 朝なら確実に話を聞けると思いましてね。ここを開けて玄関でお話しできますか?』
「あー…いや、ちょっともうすぐ家を出ないといけなくて。また今度にしてもらえますか?」
『お仕事ですか?』
「はい。もちろん」
『お仕事は何をされているんですか?』
明らかに知ってるくせに聞いてくる。
こっちをイラつかせるつもりか…?
「金融のお仕事をしてまして」
『金融…ですか。そうですね、まぁ朝早いですしまた出直すとします。ちなみに、今日来た理由なんですがね…。最近、ここの近所の方から通報をいただきまして…。小さい女の子があなたの家から出てくるのを見た…と。お子さんはいないようですけど…親戚のお子さんを預かっていたりするんですか?』
「えぇ、そうですね。親戚に頼まれまして」
『そうですかそうですか。いや、それならいいんですがね? いやなに…健康状態もあまりよくなさそうで、顔に痣があるなんて聞いたものでね…。良ければ今度その子に会わせていただいても?』
「えぇ…ぜひ」
『わかりました。それではまた』
二人はモニターから消え、足音が遠ざかっていった。
だが、油断はできない。
帰ったフリして外で張ってる可能性もある。その間に大家に頼んで部屋に入られたら終わりだ。
今日は…ゆあちゃんを連れていくしかない。
「ゆあちゃん…悪いけど今から外に出れる格好に着替えてくれる?」
「…私…戻されるんですか…?」
不安そうな声に、胸がズキリと痛んだ。
彼女の頭を優しく撫でて、目を合わせて言う。
「大丈夫…絶対そんなことはさせないから」
「…はい」
誰にも傷つけさせない。この子のことは、俺が守る。
◇
路地裏で、二人の刑事が車に乗り込む。
「…先輩、いいんすか? あっさり帰っちゃって」
「ん? いーんだよ。これは探りみたいなもんだから。確かにいきなり家に押し入れば証拠を見つけられるかもしれない。けど、もし何もなかったらこっちがただの不法侵入になる。そうなれば向こうに主導権握られるだろ。いつでも見てるって思うだけで、人間って結構精神削られるもんだからな。それに、家に女の子を置きっぱにもできなくなるし、行動も読みやすくなる。そしたらこっちのもんだっての」
「…さすがですね」
「当たり前だろ。ベテラン刑事を舐めんな。あいつは間違いなく黒だ。証拠をたっぷり集めた後に、ゲロってもらうぜ」
不敵な笑みを浮かべながら、二人は車を発進させた。
初夏の陽光がアスファルトに反射し、彼らの背中を遠ざけていく。




