第5話
土煙を超えていく馬車の中で、ミナは何事もなかったかのように戦斧槍を光の粒子に変え、アイテムボックスへと収納した。
そして屋根から車内へと戻り、土埃を払いながら乱れた髪を指先で整える。
「……終わりました、会長」
「ああ。ご苦労」
数秒前まで城門を吹き飛ばしていた戦乙女と同一人物とは思えない、冷徹な秘書の顔。
ワイズは満足げに頷くと深く息を吐き出し、革張りのシートに重そうに背中を預けた。
その額には、うっすらと脂汗が滲んでいる。
そんな主の様子に、ミナがわずかに目を見開いた。彼女にしては珍しい、意外そうな表情だ。
「……おや? 顔色が優れませんね」
「ああ、少しな……」
ワイズはこめかみを指で揉みほぐしながら、自嘲気味に口の端を吊り上げた。
「例の聖剣だ。……ただの目くらましに使っただけだというのに、予想以上に魔力をごっそりと持っていかれた」
「勇者専用装備、ですか」
「ああ。やはり燃費が悪すぎる。私のような一般人が安易に扱う代物ではないな」
ワイズは苦笑しながら肩を回した。
謁見の間で放った『閃光』。ただ光らせるだけの初歩的な魔法だったが、聖剣という媒体を通したことで、その出力は桁違いに増幅されていた。
代償としてワイズの保有魔力もまた、桁違いに吸い上げられていたのだ。
そんな彼をじっと見つめていたミナが、ふと真顔で呟いた。
「安心しました」
「ん?」
「会長も人間だったんですね」
「……」
あまりにも大真面目なトーン。
ワイズは呆れたように彼女を見返すと、やれやれと肩をすくめた。
「当たり前だろう。君は私をなんだと思っているんだ」
「金貨と契約書でできた妖怪の類かと」
「失敬な。私は善良な市民だよ」
軽口を叩き合っているうちに、ワイズの呼吸も整ってきたようだ。
やがて馬車の速度が緩やかになり、御者台からランドルフの声が掛かる。
「会長、着きましたぜ。北区画、コールマン商会王国支店だ」
ワイズは居住まいを正し、スーツの乱れを直した。
疲労の色は一瞬で消え去り、そこには再び冷徹な商会長の顔があった。
「ありがとう、ランドルフ。……よし。行くぞ、ミナ」
「はい、会長」
王都のメインストリートである中央大通り。その一等地に、周囲の建築物を圧するほどの威容を誇る白亜の建物が聳え立っている。
大陸全土に支店を持つ巨大コングロマリット、「コールマン商会」の王国支部だ。
庶民向けの安価な雑貨から、王侯貴族御用達の最高級品に至るまで、ありとあらゆる物資を取り扱う商業の殿堂。
普段であれば多くの顧客たちで賑わうそのロビーは、今やその様相を一変させていた。
そこはさながら、高度に統制された戦場。
数百名の従業員が忙しなく行き交い、物資が次々と運び出されていく。だがそこにあるのはパニックによる混乱ではない。
徹底的な訓練によって培われた、プロフェッショナルたちによる迅速かつ組織的な撤退作戦だった。
「総員、緊急時退避計画『プランC』へ移行! 硬貨は後回しでいい! 帳簿、証券、顧客名簿が最優先だ!」
「什器やインテリアは全て廃棄! 一般商品は捨てて、高純度魔石と貴金属のみをトランクに詰めろ!」
「現金輸送車の護衛班、配置につけ! 荷馬車には限りがあるぞ、詰め込めるだけ詰め込め!」
支店長の鋭い指示が飛び交う中、重厚な正面エントランスの扉が開かれた。
カツン、と。硬質な靴音が一つ、大理石の床に響く。
それだけで、喧騒に包まれていたロビーの空気が一変した。従業員たちが一斉に作業の手を止め、入口に立った人物――会長であるワイズへと向き直り敬礼を捧げようとする。
だがワイズはそれを片手で制し、掌を軽く上げる。『挨拶は無用。作業を続けろ』という、無言の合図。
その意図を即座に汲み取った従業員たちは、一瞬の停滞を取り戻すかのように、再び猛烈な勢いで作業へと戻っていった。
ワイズはコートの裾を翻し、その忙しない波の間を縫って歩を進める。小走りで駆け寄ってきた支店長が、額の汗を拭うことも忘れて報告を始める。
「会長! ご無事で何よりです!」
「迷惑をかけてすまないな。状況は?」
「いえ、いずれこうなるだろうと準備をしていたので! すでに帝国の受け入れ先には連絡済みです。商会員とその家族、計三百名の移動準備、完了しております!」
「流石だ。帳簿周りは?」
「裏帳簿を含む重要書類は全て私の手元に。情報は全て通信の魔道具にて本部へ転送済みです。王国に残すものは、塵一つありません」
淀みない報告。ワイズは満足げに頷いた。
この手際の良さこそが、コールマン商会が世界最強たる所以。
「よろしい。十分後に出発する。……それと」
ワイズは足を止め、搬出エリアの一角を指差した。
そこには運び出しの優先順位が低いため後回しにされていた、山のような木箱が積まれている。中身は一般的な保存用小麦粉や干し肉、安価な布地といった、いわゆる庶民向けの生活物資だ。
「あれらの生活物資類は全て、第一倉庫に格納して施錠しろ。この国に置いていく」
「施錠してですか?」
これらの物資は嵩張るため、元からこの場所に置いて行くつもりではあった。
だがなぜわざわざ第一倉庫で、しかも施錠まで指示する必要があるのだろうか。
疑問に思った支店長は念の為に確認した。
「そうだ。しっかり施錠してくれ。そして鍵も私に」
「承知しました。……理由をお聞きしても?」
支店長の問いを聞いたワイズは、計算高い笑みを浮かべた。
「届け先が、すでに決まっているからだ」




