第13話
国境での一幕を終え、帝国将軍ザイードと別れたワイズたち一行は、そのまま帝国の広大な街道を北上した。
整備された石畳。
行き交う大型馬車の数々。
そして何より、すれ違う人々の顔に悲壮感がない。
そこにあるのは、金と物が循環する健全な経済の空気だった。
「……空気が美味いな」
馬車の窓を開け、ワイズは独りごちる。それは単なる感想ではなく、これから始まる新たなビジネスへの期待を含んだ言葉。
王都を出奔してから、およそ三週間。
コールマン商会の馬車団は、ついに最初の目的地である帝国南方の最大都市『交易都市ガルディア』へと到着した。
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交易都市ガルディア。東西南北の街道が交差するこの巨大都市は、帝国の物流の心臓部とも呼ばれている。
その中心街にある最高級ホテル『インペリアル・クラウン』。馬車寄せに滑り込んだワイズたちを出迎えたのは、整列したホテルマンたちと、その中心に立つ二人の男女だった。
一人は、恰幅の良い初老の男性。交易都市ガルディアのコールマン商会支店長、ベルナルド・ロッソ。
そしてもう一人。ワインレッドのスーツを隙なく着こなし、眼鏡の奥の瞳に理知的な光を宿した女性。
彼女こそが、この広大な帝国の商流を束ねるコールマン商会帝国統括支店長、ソフィア・ランバートである。
「ようこそお越しくださいました、会長」
ソフィアは馬車から降りたワイズに対し、深々と、しかし洗練された動作で一礼した。隣のベルナルドも恭しく頭を下げる。
「長旅、お疲れ様でした。最上階のスイートルームをご用意しております。ワンフロア貸し切りにしてありますので、どうぞごゆるりと」
「ありがとう、ソフィア。それにベルナルドも、急な相談ですまなかったね」
「滅相もございません。会長をお迎えできるなど、ガルディア支店にとって最高の名誉です」
ベルナルドが恐縮しながら答える横で、ソフィアの視線がワイズの背後にいる男へと向けられた。
「……あら? ずいぶんと顔色が悪いようだけれど、大丈夫かしら? ヘンドリック」
声をかけられたのは、コールマン商会王国統括支店長、ヘンドリック・ゾラ。
彼はワイズの右腕として王国エリアを任されていた男だが、元々は共和国にあるコールマン商会《《本店》》で重責を担ってきたエリートだ。
ソフィアとヘンドリックは旧知の間柄であり、共にコールマン商会《《本店》》の最高意思決定機関である『総会』に議席を持つ、商会内でも指折りの実力者同士である。
「確かに顔色が悪いな。大丈夫か?」
ソフィアの言葉を聞いてヘンドリックの顔色を確認したワイズも、心配げに声をかけた。
「誰のせいですか、誰の。会長が『移動中に全ての資産台帳を洗い直せ』なんて無茶を言うから、三週間まともに寝ていませんよ」
「正確な数字が必要だからな。今回の損害……いや、王国への貸しがいくらになるのか。正確に把握しておかないと、取り立てる時に困るだろう?」
「……ええ、全く。おかげで完璧な数字が出ましたよ」
ヘンドリックは眼鏡の位置を直しながら、分厚いファイルを掲げてみせた。
「ふふっ、相変わらず真面目ね。でも、その生真面目さがあなたの長所よ。……久しぶりね、戦友」
「ええ。貴女の方こそ、元気そうで何よりです」
ヘンドリックは眼鏡の位置を直し、苦笑しながらも親愛の情を込めてソフィアと握手を交わした。
担当エリアこそ違えど、共にコールマン商会を支える柱として切磋琢磨してきた二人には、言葉以上の信頼関係がある。
「さあ、こちらへ。旅の疲れを癒やす準備は万端です」
ソフィアの先導で、ワイズたちは大理石のロビーを抜けていく。最上階のラウンジに足を踏み入れると、そこには活気ある光景が広がっていた。
豪奢なシャンデリアの下、王国各地から集結していた三人の幹部たちがソファでくつろいでいる。
その周りでは、ベルナルド率いるガルディア支店のスタッフたちが、甲斐甲斐しく食事や酒を振る舞っていた。
「おっ! 来たねえ大将! それにヘンドリックも!」
真っ先に声を上げたのは、太陽に焼けた小麦色の肌を持つ長身の美女だった。
王国海運部門統括マネージャー、ベルタ・カスティロ。彼女の手には、スタッフが注いだばかりの極上のワインが握られている。
「ガハハハ! 相変わらずシケた面してやがるな、ヘンドリック! 馬車酔いかい?」
「……うるさいですよ、ベルタ。貴女のように潮風と酒でできている人間とは体の構造が違うんです」
「へっ、ひ弱なこった。ウチの船団を見習いな! 海軍の連中を振り切って、最高速度でここまで来たんだからね!」
「派手にやったようだな、ベルタ。船の被害は?」
ワイズが笑って問うと、ベルタは胸を張った。
「ゼロさ! ……ただ、船に積みきれなかった安酒を置いてきたのが心残りだけどな」
「安い酒ならかまわん。船が無事なら上出来だ」
ワイズが頷くと、部屋の隅で、帝国支店の技術者たちと何やら熱心に話し込んでいた巌のような大男が顔を上げた。
「……酒なんぞより、俺の鉱石だ」
王国鉱山都市支店長、ギガル・ヴァーガン。丸太のような太い腕に、無骨な作業着。
彼は帝国支店側が用意した最新の精錬設備のカタログを片手に、低い声で唸る。
「会長。ミスリルとオリハルコンの在庫は全て持ち出した。ただ、鉄鉱石の山を置いていくのは断腸の思いだったがね」
「輸送コストを考えれば正解だ、ギガル。鉄はこの国でも採れるが、貴重な鉱石は代わりが効かない。そして何よりも技術者は替えが効かない」
「フン……まあ、アンタがそう言うならそうなんだろうよ。帝国の連中も、俺たちの技術を受け入れる準備は万端だとよ。新しい精錬所はド派手なやつを作らせてもらうぜ」
「ああ、予算は気にせず好きにやってくれ」
そして最後の一人。
優雅に扇子を仰ぎながら、窓辺でソフィアと並んで街を見下ろして何やら会話をしていたドレス姿の女性が振り返った。王国商業都市支店長、シェリー・ル・フィーナ。
流行の最先端を行く華やかな装いとは裏腹に、彼女の武器はその情報網にある。
「あら、ようやくお着きになりましたの? 随分と道草を食っていらしたようで」
「そういうなよ。道中で少しばかり楽しいイベントがあってね。……で、王国の様子はどうだ? シェリー」
「ええ、もう最高ですわ」
シェリーは悪戯っぽく微笑み、扇子で口元を隠した。
「王都の貴婦人たちは今頃、顔面蒼白でお茶会どころではありませんわよ。だって、新作のドレスも、化粧品も、お気に入りの紅茶も、みーんなお店から消えてしまったんですもの」
「物流が止まれば文化も止まる。当然の帰結だ」
「ええ。おかげで王家と勇者に対する不満が、貴族の奥様方の間で爆発寸前だとか。……ふふっ、女の恨みは魔王軍より怖いですわよ?」
四人の王国支店幹部たち。彼らはワイズの手足となり、王国経済を支配していた凄腕の商人だ。そして彼らを迎え入れたソフィアたち帝国支店の面々。
両者がこうして帝国の地に揃った。
それはすなわち、王国の経済基盤がまるごと帝国へ移動したことを意味している。
「皆さん、お茶が入りました」
そこへ冷徹な声が響いた。
ミナがワゴンの上で紅茶を淹れ、静かな足取りで彼らの元へと近づいてくる。彼女は会長秘書としての完璧な所作で、酒に手を出していなかった幹部たち一人一人にカップを配っていく。
「ありがとう、ミナちゃん。気が利くねえ」
「頂くわ、ミナ」
ソフィアやシェリーたちも、自然な様子でそれを受け取った。彼らは知っている。彼女が伝説の『朱き災厄』であることを。
だが同時に、彼女が誰よりも会長に忠実な「商会の一員」であることも理解している。そこにあるのは、プロフェッショナル同士の静かな信頼関係だった。
「よお、旦那方。俺の分も残ってるか?」
その横から、御者のランドルフがニヤニヤと笑いながら入ってきた。馬車の回送を終えて合流したのだ。
「ランドルフ! 元気そうだな!」
「まあな。そちらも元気そうじゃないか! まずは再会を祝して一杯奢ってくれよ」
「相変わらずだな! いいだろう、帝国の美味い酒を開けてやるよ!」
ベルタがランドルフの肩を組み、ギガルとシェリーも苦笑しながらそれに続く。
久しぶりの再会。死線を潜り抜けた者たちだけが共有できる、安堵と連帯感が部屋を満たしていた。
ワイズは琥珀色の液体が入ったカップを片手に、その光景を静かに見つめていた。
過去を捨て、国を捨て、それでも自分についてきてくれている優秀な部下たち。
彼らを守り、勝たせ、そして彼らの夢を叶えることこそが、トップである自分の義務。
「……さて」
ワイズが短く声を上げると、場が静まり返った。
全員の視線が、自然と一人の男に集まる。
「まずは全員が無事に揃ったことを嬉しく思う。だが遊んでいる暇はないぞ。ヘンドリックの試算によれば、今回の一件で我々が被った損失は莫大だ」
ワイズはヘンドリックから受け取った分厚い台帳をテーブルに置くと、不敵な笑みを浮かべた。
その瞳にあるのは嘆きではない。これから始まる反撃への、静かだが確かな闘志だ。
「だが、ただ損をして引き下がるつもりはない。元本の回収は当然として、そこに関連経費、慰謝料、諸々を上乗せして、きっちりと黒字にする」
ワイズは窓の外に広がる帝国の煌びやかな光景を、まるで自分の庭であるかのように指差した。
「現在の世界情勢は、我々にとって最大の好機だ。失った資産の十倍……いや、百倍にして稼ぎ出す」
その宣言に、場が熱を帯びる。
ワイズは口角を吊り上げ不敵な笑みを浮かべると、号令を発した。
「まずは手始めに、帝国商業ギルドへの挨拶回りといこうか。……札束で相手の頬を叩く準備はいいか?」
その問いに、四人の王国支店長たち、そしてソフィアをはじめとする帝国支店の幹部たちも獰猛な笑みを浮かべる。
それは善良な市民の顔ではなく、獲物を前にした肉食獣の笑みだった。
「「「「「「承知いたしました、会長」」」」」」




