第11話
決起は、夜明けと共に行われた。
東の空がわずかに白み始め、街がまだ微睡みの中にある頃。石畳を叩く軍靴の音が、腹の底に響く地鳴りのように城塞都市の静寂を破った。
第三軍団の精鋭たちである。
彼らは松明すら灯さず、飢えた狼のような鋭い眼光だけで、領主の城館を完全に包囲していた。
「ガンター伯爵! 貴様には帝国への内通、および軍事物資横流しの容疑がかかっている!!」
ボルドーの怒号が、早朝の静寂を切り裂いた。何事かと遠巻きに見守っていた市民たちは、状況を察すると我先にその場から逃げ出した。
クーデターが、《《ついに》》発生した。
自身の大義を周囲に喧伝したボルドーは、改めて自分についてきてくれた部下たちを見回した。彼らの表情は、すでに覚悟は決まっている。
一瞬目を閉じた彼は、一つ息をつく。
そしてしばらくの後。目を見開いて剣を高々と掲げると、そのまま勢いよく振り下ろした。
「突入せよ!!」
ボルドーの裂帛の気合いと共に、正門が破城槌によって粉砕される。怒号と金属音が交錯し、静寂は一瞬にして戦場の喧騒へと塗り替えられた。
寝耳に水の事態に、パジャマ姿で飛び起きた領主ガンターは、状況を理解する間もなく自室に踏み込んできた兵士たちによってねじ伏せられた。
「な、何だ貴様ら!? 乱心したかボルドー!!」
「黙れ国賊め! 貴様が私腹を肥やしている間、兵たちがどのような生活を送っていたのか理解しているのか!? その罪、万死に値する!!」
「ひ、ひぃぃぃッ!?」
抵抗しようとした私兵団も、正規軍の圧倒的な殺気と、何より未払い給与の恨みを込めた気迫に圧され、大きな抵抗も見せず降伏していく。
ボルドーの手際は鮮やかだった。
彼は即座に領主の拘束を宣言すると、封印されていた地下食料庫を力ずくで開放した。
さらに広場に整列した全兵士の前で、ワイズから受け取った軍資金の入ったトランクをひっくり返したのだ。
騒々しい金属音と共に、朝日に照らされた黄金の滝が流れ落ちる。
金貨五千枚。
その圧倒的な輝きに広場がどよめき、そして水を打ったように静まり返った。
「これはガンター伯爵が隠匿していた不当な財産だ! 本来、貴様らに支払われるはずだった給与である!! ……受け取れ!!」
その瞬間、湧き上がったのは歓声ではない。野獣のような絶叫だった。
ある者は金貨を握りしめて号泣し、ある者はその真偽を確かめるように歯を立てる。
金と、食料。
兵士にとっての命そのものを前にして、ボルドーへの忠誠は、王へのそれを遥かに上回る鋼鉄の結束へと変わった。
「我々の行動は反乱ではない! 腐敗した貴族から、国王陛下と国を守るための正義の執行である!!」
ボルドーが高らかに剣を掲げる。
それに応える数千の将兵の鬨の声が、城塞都市の空気を震わせた。
わずか半日。王国の交通の要衝、バルディアの実権は、完全に軍部の手によって簒奪されたのだった。
・ ・ ・
そして、翌日。
依然として興奮冷めやらぬ都市の熱気を背に、コールマン商会の馬車団が出発の時を迎えていた。
重厚な城門の前には、ボルドーとその側近たちが並び立っている。検問など存在しない。今やこの都市の法は、彼らの意志そのものなのだから。
「……行くのか」
馬車の窓から顔を出したワイズに、ボルドーが短く声をかけた。
その顔立ちは、昨夜までの疲労困憊した指揮官のものではない。憑き物が落ちたように晴れやかだ。
だがその瞳の奥には、後戻りできない修羅の道を選んだ男特有の、昏い覚悟の光が宿っている。
「ええ。商機は待ってくれませんから」
「……そうだな。……妻と娘を、頼む」
「ご安心を。ご息女は帝国のアカデミーにでも留学させましょう。費用はツケにしておきます」
「フッ……、とんだ守銭奴だな、あんたは」
ボルドーは苦笑し、居住まいを正すと、一度だけ強く、美しい敬礼を送った。
ワイズもまた、商人の流儀で優雅に一礼を返す。
「ご武運を、将軍」
「ああ。……達者でな」
御者のランドルフが鞭を振るい、車輪が軋みを上げて回り出す。
遠ざかる城塞都市。その城壁の上に翻る旗は、いまだ王国の紋章のまま。だがその中身はすでに変質し、壊疽のように国を蝕み始めている。
ワイズは背もたれに身を預け、小さく息を吐いた。
向かいの席には、不安げな表情を浮かべるボルドーの妻と娘、そして彼女たちを気遣うミナの姿がある。
(ここからどう転ぶ?)
ガレオスには食料を。ボルドーには金と反逆のきっかけを。
この二つの火種は、やがて王国に訪れる冬の時代に、王国を内側から焼き尽くす業火となるだろう。あるいは、暖かな焚き火となるか。
それは彼ら次第だ。
「さて、ミナ」
「はい、会長」
「次は帝国だ。忙しくなるぞ」
馬車団は国境に向けて進む。
彼らが進む先には、広大な帝国領が広がっていた。
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第一部:第一章「お金の価値」 完
第一部:第二章「ひのきの棒と勇者」に続く




