第10話
「……このリストは?」
ボルドーは手渡された羊皮紙に視線を走らせ、眉間に深い谷を刻んだ。指先が微かに震えているのは、そこに記された内容の凶悪さゆえか。
羊皮紙に列挙されていたのは、領主ガンター伯爵による軍事物資の横領を裏付ける詳細な証拠。そして、帝国軍への物資横流しを示唆する通信記録の写しだった。
ワイズが商会の情報網を駆使し、事実と虚構を巧みに織り交ぜて構築した、芸術的なまでに完璧な告発状である。
「簡単なことですよ、軍団長。貴方の部下たちは飢えている。そして領主の倉には、不正に溜め込まれた食料と金がある。……これを正当な手段で分配すればいい」
「正当な手段、だと?」
「ええ。領主は私欲のために軍の補給を断ち、帝国の侵攻を手助けしようとしている『裏切り者』だ。……そう定義すれば、貴方が彼を捕縛し、資産を差し押さえるのは『国を守るための正義の行い』になる」
ワイズは淡々と、しかし確実に相手の逃げ場を塞ぐように、悪魔の論理を積み上げていく。
それは領主個人に対する裏切りではあるが、国家への忠義という大義名分で粉飾された劇薬だった。
だが、詭弁だ。
所詮は言葉遊びに過ぎない。王都の勅命も待たず、一地方軍団が独断で領主を拘束するなど、クーデター以外の何物でもないのだから。
「……あまりに危険な賭けだ。王都の貴族たちが、私の言い分を信じる保証などどこにもない」
「仰る通りです。綱渡りのような危うい道だ」
ワイズは否定しなかった。
むしろ、その危うさを楽しむかのように目を細める。
「ですが、このまま座して待てばどうなりますか? 明日にも部下たちは飢えに耐えかねて暴発するか、あるいは脱走して野盗に身をやつすか。……座して死を待つか、賭けに出て活路を開くか。選ぶのは貴方だ」
ボルドーが奥歯を噛み締める音が、重苦しい静寂に満ちた執務室に響いた。
否定はできなかった。限界点は、とうに超えている。
このままでは、自分は部下たちを殺す無能な指揮官として終わる。
彼は長く、重い沈黙の中で天井を仰いだ。
どこにもいない神に救いを求めるように。やがて、喉から血を絞り出すような声で告げた。
「……条件がある」
「何でしょう?」
「私の妻と娘だ。この街の屋敷にいる。……彼女らを、あんたたちの馬車に乗せて帝国へ連れて行ってくれ」
それは実質的な亡命の依頼であり、彼自身の破滅を予期した遺言のようでもあった。
自分はここで泥を被る。
だが家族だけは、これから沈みゆくこの国から逃がしたい。そんな悲壮な決意を、ワイズはしかし、商談成立の合図として受け止めた。
「承知しました。奥様とお嬢様の身柄は、我が商会が責任を持って安全な場所まで護送しましょう」
「……感謝する」
ボルドーの肩から、憑き物が落ちたように力が抜けた。交渉成立だ。
ワイズは満足げに口元を緩めると、おもむろに虚空へと手をかざした。空間が歪み、床板を軋ませるほどの質感を伴って、巨大な革張りのトランクが出現する。
「では、これが契約金です」
ワイズが留め具を外し、重厚な蓋を開け放つ。
刹那。薄暗く、陰鬱だった執務室の空気が一変した。部屋の隅々までを焼き尽くすような、暴力的なまでの黄金の輝き。
「な……ッ!?」
ボルドーが絶句し、目を見開いたまま凍りついた。
そこに詰め込まれていたのは、溢れんばかりの金貨。
一枚一枚がずしりと重みを持つ、真正の王金貨。その数、およそ五千枚。
給与未払いに喘ぐ一個軍団を、半年は優に養い、武装させることができるだけの莫大な軍資金が、無造作に積み上げられていた。
「兵を動かすには飯と金が必要だ。……違いますか?」
「…………は、ははっ」
ボルドーの口から、乾いた笑い声が漏れた。
あまりにも現実離れした光景に、恐怖や警戒心を通り越して、感覚が麻痺してしまったかのようだ。
彼は魅入られたように金貨の山を見つめ、自嘲気味に、けれどどこか憑き物が落ちたような顔で呟いた。
「これが、『悪魔に魂を売る』って気分なんだな」
「人聞きが悪い。ただのビジネスですよ」
ワイズが差し出した右手を、ボルドーは武骨な手でしっかりと握り返した。
その掌から伝わる熱はもはや迷える指揮官のものではなく、覚悟を決めた反逆者のそれだった。




