侯爵の誤算。騎士を囲い込むはずが、母も娘も恋という檻に囚われる
ハイアン侯爵家に騎士カミーユが逗留して一週間。王宮への出仕は明日へ迫っていた。
従者フローラは憤りの言葉を吐いた。
「直ちに出仕することとあったのに、こんなに待つなんて、おかしいです。カミーユ様」
カミーユは、静かに、しかし厳しく従者を嗜める。
「フローラ。国王陛下はご多忙なのです。けっしてそのような事を口にしてはいけません」
フローラは身を縮こませ、主人の言葉を受け入れた。
一週間の公爵邸の逗留。その間、ロザリア・ハイアン侯爵令嬢は、騎士カミーユを側から離すことはなかった。
カミーユの王宮への出仕を明日に控えた夜半においても、それは変わることはない。
「カミーユ。やっぱり、あなたと寝ると温かいわ。確か、魔力のせい。だったかしら」
寝衣姿のロザリアは、カミーユに抱きつきながら話した。
「はい。ロザリア様。村の賢者は私の体には竜の血が流れていると申します」
ロザリアは鈴の音のような声で笑う。
「ああ、可笑しい。じゃあ、私はカミーユにがぶりと食べられてしまうかもしれないのね」
カミーユは少女が安心して笑っている姿を見て微笑む。
「もし私が竜になったら、背に乗せて差し上げます」
「ふふ、約束よ。カミーユ」
ロザリアはカミーユの手を握り、目を閉じた。
翌朝、カミーユは男装の礼服に身を包み、髪を整えていた。
「タイはもう少しボリュームをもたせたほうが良いわ」
侍女を押しのけ、ロザリアが鏡の前に割り込んだ。
「お嬢様、そのようなことは私どもが」
侍女が、困り顔で呟く。
「そうね。お前を困らせたいわけではないのよ。でも、タイの形は直してね」
それから何度もロザリアの横槍が入るも、カミーユの仕度がようやく整う。
そして、カミーユは、つい先ほど、領地から邸宅へ到着した当主。サラ・ハイアン公爵への挨拶へ向かう。
私兵に伴われ、応接室に入ったカミーユは、侯爵閣下に片膝をつき、頭を垂れた。
「ナイト・カミーユ・オヴ・クリンと申します。侯爵閣下。長きに渡り御邸に留まる事を許していただき、光栄の極みでございます」
ハイアン侯は、カミーユに告げる。
「久しぶりですね。騎士カミーユ。あなたは覚えていないかも知れないけれど、十歳のあなたを騎士に推挙したのは私だったのよ」
サラ・ハイアンは、悪戯っぽく笑った。
「それは。私、田舎者ゆえ、存じ上げておりませんでした。誠に申し訳ございません」
カミーユは、慌て、さらに深く頭を下げた。
「良いのです。騎士カミーユ。若年のあなたには苦労をかけたと思います。見事役目を果たし、嬉しく思います」
「もったいなきお言葉、身に余る名誉です」
カミーユは、この女性、サラ・ハイアンは自身を試しているのだと思った。
「顔を上げなさい。騎士カミーユ」
サラ・ハイアンは、カミーユに命じた。
カミーユはサラに顔を向ける。十人もの子供を産んだにも関わらず。サラの美貌は今なお輝いていた。
「騎士カミーユ。まるでつぼみが綻んだようですね。あなたの成長を嬉しく思います」
サラはカミーユの前進を見つめる。それは熱い熱情の瞳であった。
サラは口調を変える。子を案じる母の口調だ。
「よくロザリアを助けてくれました。母として礼を言います」
「は、お家の方々全てをお救いできず、申し訳ございません」
「良いのです。それに、手引きした者も、ようやく分かってきました」
カミーユの体に緊張が走る。
「それはまことに。いえ、そのような事、私などに」
お家の名誉に関わる事である。一介の騎士の聞いて良い話ではない。
「良いのです。騎士カミーユ。私はあなたを身内と思っています。あなたもそう思う事を期待します」
サラの言葉に、カミーユは困惑した。それほどの好意を持ってもらう由縁を思いつかないのだ。
「騎士カミーユ。先ほども言いましたが、あなたを騎士に推挙したのは私です。あなたの現在に対して、私は身内として、責任を感じています」
サラは言葉を続ける。
「此度の褒賞についても、私から陛下へ口添えさせていただきました。私やロザリアの騎士として、これからも尽くして欲しいのです」
なんとも直接的な勧誘であった。カミーユは、自らの王都での派閥の有り様を、求められているのだ。
「私の剣は、国王陛下のものです。その御心に沿うのであれば、侯爵閣下の意に従います」
カミーユは国王の名を出した。この国、ベラルーン王国の権威である国王に、カミーユも当然、剣を捧げている。
サラはそんなカミーユを見る。その瞳は熱情を帯びており、カミーユに色香を匂わせた。
「警戒しなくても大丈夫です。私、サラ・ハイアンは国王派の忠臣です。国王陛下の意のままに働きます」
サラは満足したように微笑んだ。
「さあ、もう出立の時間ですわね。騎士カミーユ、あなたは従者と共に我が家の馬車に乗って王宮へ向かいなさい」
カミーユは頷いた。
「ありがとうございます。ハイアン侯爵閣下。御恩は決して忘れません」
カミーユは鞘に入ったままの剣を突き出した。
「あなたに剣の忠誠を」
サラは熱に浮かされた瞳で、満足そうに微笑んだ。
こうして、騎士カミーユはこの母子に剣を捧げ、忠誠を誓うこととなった。
そして、カミーユは、陰謀渦巻く王都の権力闘争に巻き込まれることとなる。




