東方の知恵。掛け湯から始まる休息。剣の師ローレンがもたらした至福の湯船
晩秋、日ごとに寒さが厳しくなる中。
カミーユは政務の合間を縫って、剣の修業も怠ることはなかった。
剣士ローレンはそれによく付き合い、カミーユの剣術はより高みへと至っていた。
「カミーユ。お前の実力は、だいたい黒帯くらいにはなったな」
剣士ローレンが言う。
「ローレン。クロオビとは何ですか」
カミーユは不思議な言葉に興味を惹かれる。
「おおよそ、弟子を持てるくらいの実力ということだ。他人に指導ができる。そういうことだな」
カミーユは言葉を頭の中で繰り返す。自らが他人に指導することなど、まだ想像ができなかった。
「よって、これを渡しておく」
剣士ローレンは、黒色で綾織の帯をカミーユに差し出す。長さはカミーユの背よりも長いほどだった。
「お前がこれを身につけることはないだろうが、まあ、称号のようなものだ。部屋にでも飾っておくと良い」
カミーユは恭しく受け取る。
「ありがとうございます。剣士ローレン。これからも修業をよろしくお願いします」
ローレンはおざなりに手を降って答える。
「ああ、よろしくな。カミーユ先生」
このように稽古の日々を過ごしていると、剣士ローレンが不思議なことを言う。
「今日は特に寒いな。こんな日には風呂に入りたくなるぜ」
カミーユは再び変わった言葉を聞き、尋ねる。
「ローレン。フロとは何ですか」
「ああ、こっちにはなかったか。桶なんかの深くて水の入るものの中に、湯を入れて、その中に体ごと浸かるものだ。温かくて、身体が心地よく、さっぱりとする」
ローレンの言葉は、懐かしむ様な。惜しむ様な口調だった。
「ローレン。フロは、ここでも作れるでしょうか」
ローレンは答える。
「そう言えばそうだな。ここは幸い広い。庭園の隅の方についたてを作れば問題ないだろう」
こうして職人が呼ばれ、風呂桶が作られた。
風呂は広く、頑丈に作られた。
職人の努力により、螺子による排水設備も設けられた。
ローレンの言により、風呂は男女で分けられ、二つ作られ、その間にはついたてが作られた。
ついたての中には棚が置かれ、脱衣所も兼ねるようになっている。
湯は、熱した石を使い、温めることとした。
「まあ、だいたいこんなところだろう」
ローレンは満足そうに頷く。
「ローレン。男女で風呂を分けたのは何故ですか」
カミーユは不思議そうに尋ねる。
「風呂は裸で入るものだ。男女が共になると良くないだろう」
カミーユは納得した。
「なるほど、その様な決まり事があるのですね」
そのようにして、カミーユの邸宅に、風呂が設けられた。
噂を聞きつけたのか、ロザリアが駆けつける。
サラも政務で忙しいはずであるが、保護者として同行した。
カミーユは、客人を迎え入れ、早速風呂に入ってみることにした。
カミーユはローレンから様々な風呂の作法を伝授されていた。
一、湯に入る前に手桶で身体を流すこと。
二、湯に入る時は裸で入ること。ただし、怪我などで包帯を巻いている場合は、それはそのままで良いものとする。なお、その場合、入浴してよいかどうかは、侍医に確認を取ること。
三、身体を拭う布は、湯につけないこと。
四、布と同じく、髪は湯につけないようにすること。
五、風呂に入る時は、静かに入り、湯を掛け合ったり、泳いだりしない事。
六、湯に入る時、飲み物を持ってきても良いが、食べ物は持ち込まないこと。
七、小さな子供を風呂に入れる時は、溺れぬよう、洗い場で転ばぬよう、重々注意すること。
「随分決まり事が多いのね」
サラは侍女に衣を脱がさせながら、カミーユと話す。
「はい。ですが、湯に入ることは極上のものである。と、ローレンから聞いております」
ロザリアとエトナも、侍女に任せ衣を脱いだ。
「カミーユ。外で裸になるなんて、なんだかとっても不思議な気持ちね」
ロザリアは楽しそうに笑う。
「カミーユ。ついたてを高くしてくれて、ありがとうございます」
エトナは、カミーユの心配りに感謝した。
かくして、皆はお湯に使った。
体中が温まり、心地よさが全身を覆った。顔に当たる冷気が、心地よさを増している気がする。
「カミーユ。これは、もしかするととても良いものね」
サラは、驚き声を発する。日頃の疲労すら、お湯に溶けていくように感じた。
「カミーユ。私も気に入ったわ。とっても気持ち良いもの」
ロザリアは鈴の音のような声で笑う。
「私も温かくて心地よいです。カミーユ。広く作って頂き、ありがとうございます」
エトナが背を伸ばしても、風呂の端まで随分と距離があった。
「皆が喜んでくれて私も嬉しいです。剣士ローレンには後ほどお礼を言わねばなりませんね」
そのようにして、カミーユたちは、入浴を楽しんだ。
湯から出ると、体は温かく、服を着ても、それは冷めることはなかった。
見ると、ローレンがグラスで何かを飲んでいる。
「カミーユたちも出てきたか。これを飲むと良い」
ローレンは上機嫌で飲み物を勧める。
「これは、牛の乳ですか。何故そのようなものを」
ローレンは答える。
「これは寒気に晒した牛の乳だ。風呂を出てから、これを飲むのが美味いんだ」
カミーユらは勧められるがまま、それを飲んだ。
「カミーユ。これ、とっても美味しいわ」
「そうね。喉越しもちょうどよいわね」
「牛の乳は初めて飲みました。とても美味しいです」
女たちにも好評であった。カミーユもグラスに注がれたそれを飲む。
冷たく、爽やかで、火照った身体に染み渡った。
「ありがとうございます。剣士ローレン。とても美味しいです」
カミーユは礼をする。
「風呂というものを、我が家にご紹介いただき、ありがとうございました」
剣士ローレンは、後ろ手に手を振り、立ち去った。
こうして、カミーユの邸宅に、風呂が置かれることとなった。




