サラとのいつもの朝、いつもの謁見に、伯爵位の叙勲。そして訪れる戦火の報。
もう何度目だろうか、カミーユはサラ・ハイアン侯爵の寝室で目を覚ました。
サラはまだ眠っており、カミーユの腕の中にいる。
サラの白い体には赤い花のような跡が残っており、カミーユはそれを愛おしく撫でた。
カミーユはサラを起こさないように寝台を離れ、いつもの絨毯の上で座禅を組み、瞑想する。
カミーユの瞑想は、師ゴダールの教えに従い、自らを無にすることを目的としていた。
自らと周囲との境界線をなくすことで、瞑想が解けた際には、自らの力をどこまでも大きく。逆にどこまでも小さくできるようになるのだ。
しかし、カミーユはなかなか師ゴダールのようにはいかず。道半ばであった。
サラが起き出し、侍女の持ってきた紅茶の香りが漂う頃、カミーユは瞑想から目覚めた。
侍女から服を受け取り、身につける。サラはまだ寝惚けた様子で、カミーユの姿をぼうっと見ている。
カミーユはサラの頬を撫で、覚醒へと導く。サラはカミーユの手に頬をこすりつけ、ようやく立ち上がった。
今日は陞爵の下命をいただく晴れの場である。
カミーユはそれに相応しい、紫を基調とした雅な男装の礼服に身を包む。
ハイアン侯爵家には、カミーユの身丈に合わせた様々な服が揃っていた。
サラも後見人として、カミーユに負けず劣らず雅なドレスに身を包んだ。
その色は桃色で、髪はウェーブをかけて流した。サラの豪奢な顔にそれらはよく映えた。
「行くわよ。カミーユ」
サラはカミーユに声をかけた。名前で呼び会えるのは部屋の中だけだ。
「はい。行きましょう。サラ」
二人は部屋を出て、馬車に乗り込む。
馬車が王宮につくと、カミーユとサラは一時離れ離れとなる。
サラ・ハイアン侯爵と、カミーユ・ロラン男爵には、大きな身分の差があり、控えの間が別になっている。
カミーユは、下級貴族の控えの間で、先に待っていたフローラと合流する。
「カミーユ様。ご無事でしたか」
フローラは、まるで戦場に出た主人が帰ってきたかのようにすり寄ってきた。
「フローラ。何も心配はありません。無事です。それよりも、家は問題ありませんか」
カミーユは、旅から帰ってすぐに空けてしまった館のことを尋ねた。
「はい。お家は問題ありません。侍女さんたちの力で、今ではお屋敷は鏡のように磨かれています」
カミーユは、フローラの言葉に安堵する。やはり、家を任せるに、フローラほどの適任者はいない。
「ユマなどはどのように過ごしていますか」
カミーユは新たに加わった配下のことを尋ねた。
「はい。専用の部屋を用意し、そこに入っていただきました。一度だけ、寝台が上等すぎるという苦情を受けましたが、夜が明けると納得していただけたようでした」
カミーユは、フローラの答えに満足した。
そうして、カミーユとフローラは控えの間で待った。
フローラは相変わらず綺羅びやかな装飾を見つめ続けていた。
カミーユが、上級貴族の控えの間は、こことは比べ物にならないほど豪華なはずだ。と伝えると、フローラは想像もつかないと驚いていた。
そして、以前訪れたときと同じように、お茶菓子を食べさせ合い、カミーユとフローラは久しぶりに戯れていた。
ノーム、妖精の作った仕掛け時計が一時間を数える頃、王宮の家来がカミーユを呼びに来た。
「では、フローラ。待っていてくださいね」
「はい。カミーユ様。お待ちしております」
カミーユは謁見の間に入る。左右に貴族が並び、正面に王族が座る。
王族は、以前カミーユと舞踏会で踊った、王女アナスタシア・アレクセイ・プラソール殿下、それと、王弟ミハイル・アウドムラ・プラソール殿下、その息子の王甥リヒャルト殿下である。
カミーユは中央に進み、片膝を付いて頭を垂れた。
貴族たちも、立礼の構えを取った。
十分程時が過ぎた。
「偉大なる王にして、我が国の威信。ゲオルグ・アレクセイ・プラソール陛下。御入来」
衛兵の声が響き渡る。
扉が開き、国王ゲオルグが入室する。
国王は威厳に満ち、ゆったりとした足取りで歩み、玉座に座った。
「面をあげよ」
王がそう言い放つと、貴族たちは王に顔を向けた。続いてカミーユも、膝をついたまま顔を向ける。
カミーユは王を見つめる。玉座の王は威厳に溢れており、その深い皺の一つ一つが、重ねた知恵と経験を思わせた。
「ロラン男爵よ」
王は言葉を発した。皆に緊張が走った。
「過日の巨人の国、ガルヘルムでの親善活動。誠に見事であった。これにより、そなたは国難を取り除き、我が国に安寧をもたらした」
国王陛下はカミーユを褒める。
リヒテンハイム公を始めとする。王弟派閥の貴族たちは歯噛みする。
なお、サラ・ハイアン侯爵は王女派閥の筆頭であった。
そのサラ・ハイアンの子飼いの男爵が褒め称えられる様は、王弟派閥の貴族たちにとって、面白いものではなかった。
「加えて」
国王陛下は言葉を続ける。
「ガルヘルム国にて、先日即位されたカミン王。この姉上にあたられるエトナ王女。このエトナ王女と、ロラン男爵はただいま婚約関係にある。これもまた、両国の発展に寄与すること大である」
貴族たちはざわめく。エトナ姫とカミーユの婚約のことは、ごく一部のものしか知り得ないことだった。
「また、先に述べた、カミン王の即位。この即位の儀式にもロラン男爵は大いに寄与し、先王ゾンネより、感謝の意を伝えられている」
稀に見る王のお褒めの言葉が続き、貴族たちに動揺が広がる。
「よって、カミーユ・ロラン。その功績大にして、留まることがない。これら功績をもって、カミーユ・ロランよ。そなたに伯爵の地位を授ける」
小声ながら、流石に貴族たちの悪言が聞こえる。
「一つ飛ばしで伯爵など、聞いたことがない」「あの女の子飼い故、課題に評価されておるのだろう。陛下の目を曇らせる女狐め」「巨人の国だの何だのと、嘘か真かしれたものではない」
サラ・ハイアン侯爵率いる王女派は、栄光の時を得たりと、したり顔だ。
「カミーユ・ロラン伯爵よ」
国王陛下が声を張る。貴族たちの悪言は静まった。
「加増、褒賞については追って伝える。改めて言う。此度の功績。余は嬉しく思う。大義であった」
カミーユは頭を垂れた。
王は玉座を立った。退出する様子であった。
カミーユは頭を深く下げ、王の退出を待った。
王の気配が消え、顔を上げると、王女殿下。アナスタシアと目が合った。
アナスタシアはずっと顔を伏せていたが、今は、あの舞踏会の夜のように、カミーユを見つめていた。
王族の退出が始まる。王女アナスタシアも席を立つ。
見つめ合った時間は十秒もなかっただろう。カミーユの脳裏に、物憂げな王女の瞳が焼き付いた。
王族が退出する前、王家の退出の扉の前で、小さな騒ぎがおきた。
カミーユは、自然とその声を拾う。領地での略奪を知らせているようだった。
衛兵の声が響く。
「諸卿らは、そのまま待つようにと、国王陛下の御言葉である」
王族たちは座席に戻り、貴族たちは立礼を取り、カミーユは膝をついたまま頭を垂れていた。
一分もたたぬ内に、国王が再び入来した。衛兵の叫びはなかった。
国王は素早く玉座に座った。
「皆のものに告げる。先程、早馬により、ブログダン帝国の国境侵犯の報せがあった。複数の村々が襲われ、略奪も起きている。主だった諸侯らは軍議を行うため、会議室へ参内のこと。カミーユ・ロラン伯爵。そなたも来るように。残りの者たちは、控えの間で待機すること」
こうして、カミーユ・ロランは伯爵となった。時を同じくして、後に王国に吹き荒れる戦火の、最初の火種が灯った。




