夕焼けの剣客。怪力の限界と達人の閃光。カワウソ師匠は胸の谷間で結末を見届ける
サラ・ハイアン侯爵閣下と、御息女ロザリアは、カミーユが引越しの手配の日々を過ごすうちに、一旦、領地に帰る事となった。
朝、春の日差しに街が目覚める頃の市門。カミーユは侯爵閣下を見送りに出た。
「引っ越しが終わって、落ち着いた頃に遊びに行くわ。絶対に行くから。待っていなさいよ」
ロザリアは、人目があるにも関わらず、カミーユに抱きつき叫んだ。
「光栄です。レディ・ロザリア。その際は目一杯のおもてなしをさせていただきます」
カミーユはロザリアの体を優しく離すと、手の甲に口付けした。
「分かればいいのよ」
ロザリアは赤くなり、大人しく馬車に乗り込んだ。
「娘が迷惑をかけるわね」
サラ・ハイアン侯爵が、カミーユに詫びた。
「とんでもない。嬉しいことです。それに、閣下の御息女であらせられますから」
カミーユは、サラの手も取り、その甲に口付けする。
「カミーユ。私が不在の間、身の回りに気をつけなさい」
カミーユは面をあげることなく、手を取り続けた。
「私の王都での商売敵が、次はあなたの事を狙っているかもしれません」
カミーユは、顔を上げて答える。
「侯爵閣下におかれましては、道中お気をつけて」
サラは頷くと、馬車に乗り込んだ。
「お二人とも、どうかお気をつけて」
カミーユは、馬車が見えなくなるまで見送った。
カミーユが自身の館に戻ると、フローラが声を張っていた。
「そちらの荷物は一旦物置に。そちらの棚は台所です。そのベッドは客間のものなので、二階の二つ目の部屋にお願いします」
フローラは次々と指示を出す。
こういう仕事にも向いているのだな。と、カミーユは思った。
「あ、カミーユ様。お帰りなさいませ。その、申し訳ないのですが、館の方は私が手配いたしますので、カミーユ様は、近くのお店で、お茶など楽しんでいただけると幸いです。長居していただいても構いません。やることはたくさんありますから。ここでお待ちしています」
カミーユは、すげなく追い払われてしまった。
手持ち無沙汰のカミーユは、従者フローラの言う通り、館を離れた。
今日は師匠が必要だと言っていたものを、買い出す日にしよう。
カミーユは、服の胸元を開け、小さな師匠の頭を出させた。
「御師様。今日は時間がございます。御師様のおっしゃられた、道具や書籍、薬草を購入に参りたいと思います」
カミーユの師は相変わらず尊大な態度で答える。
「うむ。大魔導師ゴダールに相応しい品々を集めるのだぞ、カミーユよ」
そして買い物の時間は過ぎ、日も落ちる時刻となった。
「御師様。薬草がほとんど揃って良かったですね。道具も注文できましたし、書籍は取り寄せてもらうことが出来そうです。カイネン卿の魔物大百科だけは、古い本で印刷物がなく、写本を探すしかないと言われましたので、時間がかかるかもしれません」
カミーユは、自らの師であるこの小さく可愛いカワウソに、道具の収集具合について説明する。
「うむ。一日の仕事としては上出来であろう。良き働きをしたな。褒めて使わす」
カワウソの小さな小さなおててが、カミーユの顎に触れる。
「これから、魔法の技術を叩き込むゆえ、覚悟すること」
カミーユにとって、大魔導師ゴダールは、養父以来の師となる。
「はい。よろしくお願いします。御師様」
弟子と師匠が、夕刻の狭い街路を歩いていると、パタリと人通りが途絶えた。
カミーユは違和感を感じ、胸の隙間に師匠を押し込む。
刹那、カミーユの背後を鋭い斬撃が襲った。
カミーユは躱すことが出来ず、刃とカミーユの皮膚がぶつかる音。鉱物がぶつかったような高い音が鳴り響いた。
カミーユの背後には、抜き身の長剣を携えた男が立っていた。剣を構えることはなく、ダラリと剣を下げている。
カミーユの感覚に警告が響く。この男は危険であると。
「あなたは何者ですか」
返事の代わりに斬撃が放たれた。カミーユは自らの魔力を込めた抜刀で、その一撃を下から打ち上げた。
カミーユが戦った今までの相手であれば、今の一撃で手首を痛めるか、良くても剣を手放していた。
しかし、男の剣は飛ばず、手首を痛めた様子もなかった。
男はそのまま剣を滑らせ、カミーユの右手を切った。再び鉱物を叩いたような高音が響き渡る。
切られたカミーユの手は、真珠色に発光しており、傷一つなかった。
「着込みの類ではないか」
男は初めて言葉を発した。特徴の薄い男の顔に似合った、平凡な声であった。
カミーユは長剣を横薙ぎに振るう。剣先は音速を超え、衝撃波があたりのゴミを吹き飛ばす。
しかし、男はカミーユの剣に自らの剣を添え、僅かに軌道を逸らし、自らは剣の下に潜り込んだ。
そして、カミーユの剣が戻るわずかな間に、カミーユの脛を切り付ける。再度、高音があたりに響く。
カミーユは体勢が沈んだ男に向かって、袈裟がけに切り付ける。
男は体を前に進ませ、カミーユの斬撃を、自ら剣を背負うようにして受け流した。
そして、カミーユの膝を蹴り、反動で体を引き起こし、再び剣をだらりと下げて直立した。
カミーユは混乱していた。
自らの前に立ち、白刃を構え、立ち続ける存在。
そんなものに、自分は出会ったことがなかった。
横に薙ぐ、躱される。
胸を突く、受け流される。
首を刈る、屈まれる。
逆袈裟に切り上げる、剣を添えられ、軌道を僅かにずらされる。
カミーユの攻撃は、ことごとく躱され、受け流され、その度にカミーユは切られた。
カミーユは無傷であったが、精神的な衝撃は計り知れないものであった。
「獣の剣」
男が再び言葉を発した。呟くようであり、カミーユに聞かせるためのものではなかった。
すると、男は自ら先手を取ってカミーユに切りつけた。
カミーユは、男の刃を体で受け、返す刀で自らも剣を振るった。
カミーユが振るう剣の先には男はおらず。
カミーユは滅多斬りにされた。
刃で体は切られなかったが、徐々に打ち身ができ、体に痛みが走り始めた。
男のあまりの剣戟に、カミーユは両手で体を覆い、その剣を受けた。もう、反撃をする気にはなれなかった。
幾たび剣が振るわれただろうか。男はカミーユから離れた。
男の剣は、刃が欠け、まるでノコギリのようになっていた。
「潮時か」
男は呟くと、ボロボロの剣を鞘に納め、カミーユを後に残し、立ち去った。
カミーユは呆然と立ち尽くした。
剣術とは、これほどのものなのか。
自らの剣は、棒切れを振るうに等しいものであったのか。
そんなカミーユに、師の言葉が発せられる。
カミーユが両手で剣戟を防いだため、カミーユの胸の間にいた小さなカワウソは、無傷であった。
「戦いは引き分けであった。しかし、相手が攻めてきた理由を考えねばならぬ。相手はなぜ引いた。相手が得たものは何であるか」
カミーユは師の言葉を反芻した。太陽はとうに沈み、夜の帷が辺りを包んでいた。
「フローラ」
カミーユは自宅においたままの従者の名前を呟いた。そして全力で疾走した。
男の剣戟でボロボロになった衣類が、カミーユが走るたび、あたりに飛び散った。
こうして、カミーユは夜の王都を疾駆した。




