朝帰りの騎士。無垢な従者の信頼に癒やされ、威厳たっぷりなカワウソ師匠と魔法の道へ
カミーユ・ロラン男爵とサラ・ハイアン侯爵は、夜会の夜、寝台の中にいた。
落ち着いた頃、サラはカミーユに語りかけた。
「カミーユ。先ほどバルコニーで、ロザリアを襲った黒幕は、ビスタニオ子爵と伝えましたね」
カミーユはサラの髪を指で透かしながら答える。
「ビスタニオ子爵とは、何か因縁がおありなのですか」
サラはカミーユのなすがままに任せて、言葉を発する。
「王都の利権で少し揉めた事があります。私から見れば些細な事でも、彼には重大な出来事だったのかもしれません」
カミーユは、サラの髪が気に入ったのか、それを三つ編みにしようと、指で遊ばせている。
「ロザリアには怖い思いをさせてしまいました。カミーユ。あなたがいて、本当に良かった」
カミーユは指遊びをやめて話す。
「証拠がお有りなのでしたら。私がサラ様の前に子爵を連れて来ましょうか」
こともなげに、カミーユは貴族の拉致を申し出る。
「今はまだ早いわ。子爵の後ろには、もっと大きな者がいるみたいなのよ」
「リヒテンハイム公爵閣下のことでしょうか」
カミーユは指遊びを再開する。
「あなた。そう言うところで鋭いのね。どうしてそう思ったの」
カミーユは目を閉じて思い出す。
「舞踏会の時、子爵は公爵閣下の周囲におりましたが、取り巻きに囲まれて近づく事ができませんでした。彼が何度試みても、近づく事ができないのです。これは、子爵が公爵閣下の庇護を必要としており、公爵閣下は子爵の失敗に巻き込まれたくない。そういう気持ちの現れかと思いました」
「あなた、あの忙しい最中に、そんな所まで見ていたのね」
サラは、改めて、カミーユの可能性に震えた。
「再び、ロザリア様の御身に危険が及ぶことはありますでしょうか」
カミーユはサラの顔色を伺う。
「もう派手な動きはないと思うわ。ロザリアには、万が一に備えて、私の護衛をつけています」
カミーユは、自らの誓い、ロザリアを守り部屋に連れて行く事が、果たされたのだと感じた。
「カミーユ、あなたは明日から忙しくなるのよ」
サラは気持ちを切り替えるように、笑った。
「男爵となったのだから、紋章を決めなければならないし、王都での屋敷も必要だわ。使用人も雇わねばならないし、家財も衣装も揃えなければいけないの」
カミーユは、面倒なことから逃避するように、サラの首筋に噛みついた。
「だめよ。カミーユ。大事なことよ」
サラはカミーユの頭を押し返すが、その力は僅かである。
「全てのことはハイアン家が後援します。けれども、決めるのは、あなた。カミーユ、なのだから、ね。ちょっと。カミーユ」
朝まではまだ長く、二人は再び寝台に戻った。
日が昇り切った頃、カミーユは王宮で与えられた客間に戻った。
扉の前には、まるで忠犬のように、主人の帰りを待つフローラがいた。
「戻りました。フローラ。あなたはいつからここにいたのですか」
フローラは目に涙を浮かべて主人を見る。
「カミーユ様。お帰りなさいませ。フローラは、フローラは」
カミーユは、フローラの癖のある茶色の髪を抱きしめた。回した右手は、彼女の右胸に優しく触れる。
「舞踏会が終わってから。ずっと、ずっと、帰りをお待ちしておりました。カミーユ様は、お加減はいかがですか」
従者が主人の夜について尋ねることは無礼に当たる。フローラは精一杯の言葉を選んだ。
「サラ・ハイアン侯爵閣下のお部屋におりました。私も男爵家となり、邸宅や紋章など、閣下にお助けいただきたい事が数多くあるのです」
フローラは、表情を明るくする。
サラ・ハイアン侯爵閣下は、美貌を誇るとはいえ、十人も子供を産んだ母であり、カミーユとは二十は歳が離れている。
何とは言わないが、安心である。
フローラは疲れが一気に吹き飛び、主人に抱きつく。
「カミーユ様。そのお忙しいお仕事、フローラにもお手伝いさせてください」
カミーユは笑顔で答える。
「ええ、頼りにしています。従者フローラ」
カミーユは従者の頭をもう一度撫で、山積みの仕事を思い、小さくため息をついた。
まず始めることは、邸宅を選ぶことだった。
ハイアン侯爵は流石なもので、カミーユの好みに合いそうな邸宅を五つも用意していた。
カミーユはその中で、小さいながらも中庭と馬屋がある屋敷を選んだ。
馬と離れる生活は想像できなかったし、日課の鍛錬に中庭が必要だった。
少し古い建物であったが、掃除が行き届けば、ちょうど住みやすくなりそうだと、カミーユは楽天的に思った。
次は使用人を雇う。
館の古臭い応接間で、次々と面接を行った。ハイアン家から案内された人材であり、皆、平民出ではあったが、優秀であった。
カミーユは、若い侍女を3人と、壮年の家来を1人、老いた庭師を1人雇った。
庭師は、馬の世話もできるというのが気に入った。
庭は狭いので、馬の世話をする時間は十分にあるだろう。
使用人たちは住み込みで働くことになるが、いまだ家財が揃わないため、一週間後から勤めてもらう事とした。
面接した使用人たちを帰す頃には、夕刻となっていた。
屋敷にはまだ家財が揃っていない。
カミーユとフローラは、それまで王宮の客室で過ごす事になる。
「フローラ、王宮へ戻りましょうか」
カミーユは、昨晩ほとんど眠っていないであろう従者の身を案じる。
「カミーユ様。私は少しお屋敷を片付けてから戻ろうと思います。どうぞお先にお戻りください」
フローラは、やる気に溢れている。久方ぶりにカミーユのために働けて、喜びが爆発していた。
「わかりました。フローラ。でも、危険ですから、私も残りますね」
カミーユはフローラを自由にさせ、自身は屋敷を探索する。
屋敷は本当に古い建物のようで、階段の木製の手すりは、人の手によってすり減り、滑らかなカーブを描いていた。
その時、カミーユは僅かな魔力を感じた。
それは廊下の突き当たりから感じられる。
カミーユは廊下を行き、突き当たりにたどり着く。
魔力を感じるままに廊下の突き当たりに触れると、壁は消え、向こうに部屋が見えた。
驚き手を離すと、突き当たりは再び壁となった。
どうやら、カミーユが触れると、壁の向こうの部屋が開くようだった。
カミーユは改めて、壁に手を当てる。
中は書斎になっており、不思議なガラスの容器や、変わった形のランプが、所狭しと並んでいた。
壁には、立派な本棚と、薬草を小分けにするためのものだろうか、小さな取手のついた無数の棚が並んでいる。
カミーユは部屋の中に入った。
壁の辺りから手を離すと、部屋の中の壁が見えた。
もう一度そこに触れると、今度は屋敷の廊下が見えた。
どうやらここは秘密の書斎らしい。
カミーユは先ほど感じた魔力を求めて部屋を見渡す。
すると、本棚にある一冊の本が光って見えた。
カミーユはその本を手に取る。
古いが、しっかりとした装丁で、破れなどは見られなかった。
表紙には、カミーユの読めない文字が、まるで模様のようにびっしりと書かれていた。
カミーユは本を開く、半ばのページをなんとなく開いた。
にわかに輝きが部屋を満たした。本のページ、その少し上の空間が輝いているのだ。
眩しさに目を細めながら、カミーユは手をかざし、その光をフニャりと握った。
輝きは収まり、カミーユの手には、手のひらほどの大きさの動物が握られていた。
小さなカワウソのように見えた。
「痛い、痛いわ。この愚か者。ワシをそんなに強く握るでない」
思いの外低い声で、その生き物は言葉を発した。
カミーユは手を開き、その生き物を手のひらに乗せた。
「よくぞワシを目覚めさせた。魔法使いの娘よ。早速ワシの弟子にしてやろう。光栄であろう。そうだろう」
小さなカワウソは、尊大な口調で、カミーユを見上げた。
「初めまして、私はカミーユ。あなたのお名前を伺ってもよろしいでしょうか」
「ワシを知らぬ世代か。まあ良い。ワシの名はゴダール。大魔導師ゴダールだ。よく覚えておくように」
カミーユは、この可愛らしいカワウソの名前を覚えた。
「大魔導師ゴダール。あなたは何故こんなところへ」
カミーユは、疑問を口にする。
「魔女めにしてやられた。おのれ、思い出すだけでも忌々しい」
大魔導師ゴダールは、小さなお手てをぶつけて、怒りをあらわにした。
「それはそうと、娘、カミーユ。そなたなかなかの魔力を持っておるな。誰に習った」
大魔導師ゴダールは、興味を持って尋ねた。
カミーユは答える。
「いいえ、私はどなたにも魔法を教わったことはございません」
大魔導師ゴダールは小さなお目めを見開いた。
「嘘を申すな。師につき、鍛えず、そのような魔力が身につくなどあろうはずがない」
大魔導師ゴダールはカミーユを見つめる。
「いや、もしや。うむ、なるほど、なるほど」
大魔導師ゴダールはカミーユに命じる。
「頭が高い。低くせよ」
カミーユは、両手を合わせて上に上げて、手のひらの上の大魔導師ゴダールを持ち上げた。
「よろしい。カミーユよ。このワシ、大魔導師ゴダールが、そなたの師となり、育ててやろう。敬うが良いぞ」
小さなカワウソは尊大にのけ反った。
こうして、カミーユは、運命に導かれ、大魔導師ゴダールの弟子となった。
これは、後に偉大な出会い。と呼ばれる。始まりの時であった。




