第5話 宵繰りの檻
訓練が始まって3ヶ月が過ぎた。
王族の剣術と魔術の指南は、代々聖騎士長が担うのが慣例らしい――が、正直に言えば、俺はその役目を負うアイザックが大嫌いになっていた。
この3ヶ月、俺は地獄を見た。
まず、魔法を連続で放ち続け、その直後に剣を振り続ける。そんな訓練が毎日、繰り返された。
――王族の訓練と聞いて、どこか優雅なものを想像していた自分を殴りたい。
単調な動作を何度も何度も繰り返すうちに、体が勝手に反応するようになった。
朝が来れば剣を握り、夕暮れには汗と疲労で立つのもやっと。翌朝にはまた同じ繰り返し。
気づけば、その過酷な日々が“日常”になっていた。
――こんな毎日で気が狂わないのは、ある意味奇跡だ。
同じ型、同じ足運び、同じ斬撃。ただの反復作業に思える基礎練習。
だがある日、ふと気づいた。
以前は剣を振るたびに体勢が崩れていたのに、今は両足がしっかりと地を捉えていた。
そんな訓練を耐えてこれたのは――アスランの存在があったからだ。
アスランが“後任に相応しい”と認めた男。
だからこそ、どこかで信頼してしまっている自分がいる。
そんな事を考えながら剣を振っていると、背後からアイザックの声が飛んできた。
「闇雲に剣を振って切れるのは、集中力だけですよ」
思わず剣を握る手に力が入る。
イラッとしたのを、無意識に剣の柄へぶつけていた。
「努力しなければ、いつまでもお兄様には追いつけません」
「……おれは、アルに勝ちたいわけじゃない」
視線を逸らしながら、小さくつぶやいた。
「今はそうかもしれませんが……いずれ争うことになります」
――わざとだ。俺の集中を切らせようとしている。
「争わない」
無意識に、剣を振る速度が上がっていく。
「人は強くなればなるほど、停滞を恐れます。そして、王家の人間は玉座を争う運命にあります」
アイザックの口元が、ぞっとするような笑みを浮かべていた。
「アスランと父上は争わなかった!」
その瞬間、俺は剣を振る手を止めていた。
「“争わなかった”のではなく、“争えなかった”のです」
表情から笑みが消え、冷たい瞳でこちらを見ていた。
「争えなかった……?」
――正直、実績も名声も、父よりアスランのほうが上だとは思っていた。
「先王が王位を継承した10年前、アスラン殿には欠点がありました……」
「……魔法の力を失った……からなのか……?」
「そうです」
――そんなに……そこまで……。
「……魔法は、それほど重要なのか……?」
「王になるには、重要な事です」
「……残念だが、俺は王になりたいとは思わない」
俺の言葉を聞いて、表情が変わる。
「さあ、次は連続で魔法を使用してください」
――なんなんだ、こいつは……。
俺は言われた通り、手を翳して力を込めた。
目を閉じ、集中する。
――集中しろ……雑念を切れ……。
魔法も、少しずつではあるが長く維持できるようになってきた。
だが、剣よりも魔法のほうが、体にかかる負荷が大きい。
「そのまま、魔法を全身に纏ってください」
アイザックの声がどこからか聞こえた。前か、後ろか――それすらはっきりしない。
再び、魔力を込める。手が震えるほどに、力を詰め込んでいく。
そのとき――ふと、兄や妹と過ごす時間が減ったことを思い出した。
――今頃、二人は何をしてるんだろう。
最近は食事も一人で部屋で摂るようになった。
最初は、訓練の疲れで席に行くのが面倒だっただけ。だが今は……兄と顔を合わせるのが怖い。
――あぁ、そうか。俺は逃げてるんだ。
アイザックの言う通り、俺には“負け癖”が染みついているのかもしれない。
それでも寂しさを感じなかったのは、兄から贈られた腕飾りと、母の存在があったからだ。
母は体が弱く、寝込む日も多い。
それでも、体調がいい日は訓練場まで足を運んでくれる。
兄と妹の整った顔立ちは、母譲りだと思う。
そして、自分と母の共通点は――黒髪。
王宮には金や銀、赤や栗色の髪があふれている。
その中で、母と自分の黒髪だけが異質だった。
まるで、別の世界から切り取られたかのような違和感。
気づいてからは、そのことばかり考えるようになっていた。
――ずっと気になっていた。だけど、いつも他の話に紛れて聞けずにいた。
"次こそは、母上に聞こう"
そう思った、その瞬間――
空気が裂けるような轟音と共に、爆風が周囲を駆け抜けた。
「魔法に集中できていない証拠です」
アイザックの声が耳に届く。
「今……何が起こった……?」
衝撃で、頭が回らない。
「高密度の魔力が狭い範囲に集中し、暴発したのでしょう」
「……こんなの、初めてだ」
「以前より精度が上がり、込める魔力量も増しています。
それだけの力が制御できなければ、こうなるのも当然です」
「……じゃあ、基礎に意味があったってことか」
つい、本音が口を突いて出た。
「……ということは、基礎が無駄だと思いながら訓練していたのですね?」
アイザックの目が細くなり、俺は思わず視線を逸らした。
「まあ、仕方ありません。基礎練を好む人間など、そうはいませんから」
――不覚にも優しいと思ってしまった。
「兄も……最初は、同じような訓練をしていたのか?」
「最初から何も教える事がありませんでした」
軽率な気持ちで質問したことを後悔した。
逆に、自分の不甲斐なさが突きつけられる。
「アレンも少し集中できるようになれば、もっと上達も早くなります。その肝心な"集中"ができないとは思いますが」
――さっきまで、いい奴かもしれないと思った自分が馬鹿だった。
「今日はこれで終わりにしましょう。少し早いですが」
「え、もう終わりなのか?」
退屈な時間をどう潰すか考えていたせいか、思わず変な声を出してしまった。
「来月の神降式に関する会議があるので」
「神降式……アルの成人を祝う祭典か」
「2年後にはアレンの番ですね」
――それを考えると、最悪な気分になる……。
「まあ、久々の休暇です。ご自由に」
自由にと言われても、何をすればいいのか思い浮かばなかった。
ぼんやりと考えていると――扉の向こうから、母の優しい声が聞こえてきた。