第4話 愚者の輪舞
朝露がまだ土を濡らす訓練場で、俺は一人、剣を握っていた。
聖騎士長が来るにはまだ早い時間だ。
それでも、体を動かしていないと、自分がとんでもなく小さな存在に思えて仕方なかった。
――昨日のことが、ずっと胸につかえている。
あんな言い方、するつもりじゃなかった。
「アレンならすぐ聖騎士にも入れるさ。
……俺も、アレンみたいにアスランと同じ“雷”の魔法だったらよかったな」
兄はそう言って、少しだけ寂しそうに笑っていた。
だけど俺は、素直に受け取れなかった。
「本当はそんなこと思ってないだろ」
思わず言い返していた。アルが少し驚いたように眉を上げる。
「……アレン?」
「どうせ俺は落ちこぼれだ……。
みんな、アルさえいればいいって思ってるよ」
「アレン! そんなことない、俺は――」
「……いいんだ。
わかってるから。アルからの同情はいらない」
背を返すように踵を返した瞬間――視界の端に、ふたりの顔が映った。
兄は言葉を失ったまま、悲しげに目を伏せていて、妹は困ったように眉をひそめ、戸惑いの混じった視線をこちらに向けていた。
その表情が、胸の奥に残った。
――それでも、引き返せなかった。
俺は足を止めず、そのまま歩き出す。
名前を呼ぶ声が背に届いても、もう振り返ることはできなかった。
兄があんな顔をするなんて、思ってもいなかった。
――言わなければよかった。
「なんか同じことを……ショウにもやった気がするな……」
漏れた呟きは、霧の中に溶けていった。
――結局、俺はどの世界でもこうなのか……。
そんな思考に沈みかけた時、背後から低く静かな声が響いた。
「関心ですね。もう剣を振ってるとは」
反射的に振り返る。そこに立っていたのは、長い赤髪をひとつに束ね、鋭い眼光を放つ男だった。
氷のような冷たさを感じさせるその視線に、無意識のうちに身構える。
――いかにも、悪役って感じの人だな……。
「……あなたがアルテミアの聖騎士長なのか?」
「ええ、如何にも」
男は口元を歪め、不気味な笑みを浮かべた。
以前から引っかかっていたことがある。
この王宮は、あまりにも閉鎖的だ。
王族は成人するまで、国民の前に姿を見せてはならないという決まりがあり、王宮の外へ出ることも禁じられている。
顔を合わせる相手も、常に限られていた。
だからこそ、成人前に戦に参加することを許された兄は、異例中の異例だろう。
とはいえ、俺がこの世界で過ごした7年間、ずっと誰にも会えなかったわけではない。
俺もこれまで、王宮の宴で重鎮たちの姿を遠目に見たことはある。だが、この男の顔には、見覚えがなかった。
それなのに――なぜか懐かしさを覚えるのが不思議だった。
――もしかして、栄誉貴族なのか……?
この国には、王家に次ぐ地位を持つ"栄誉貴族"が四家存在する。その一角の出身なら、どこかで会っていても不思議ではない。
「……失礼を承知で聞くが、あなたは、栄誉貴族の者か?」
男は、くすくすと笑い声を漏らした。
「いいえ、私は貴族ではありません」
――貴族じゃないのに、聖騎士長になったのか……。すごすぎるだろ、それ。
心の中で呟きながら、ふと視線を逸らす。
――この人になら、言ってもいいかもしれない。
「頼みがある。俺を王族だと思わないで接してくれ……」
吐き出すように言った。
「この王宮の中だと……息苦しいから」
男はまた愉快そうに笑った。
「ええ、いいでしょう。私はアイザックと申します」
――アイザック……どこかで聞いた気がするな。
「ああ、アレンだ。これからよろしく頼む」
「では、まず魔法を見せてください」
言われるがまま、俺は右手を水平に翳した。
指先に意識を集中し、全神経をそこに込める。
すると、指先に黒い電気纏うことができた。
「そのまま強めてください」
アイザックの目は、鋭く俺の指先を見据えていた。
――もっと……強く……。
黒い雷は指から手首へ、そして腕へと広がっていく。
「それを限界まで維持してください」
アイザックに目を向けると冷たい視線が差した。
「はあ……はあ……もう限界だ……」
俺は肩で息をしながら、視線を上げた。
だが、アイザックは冷たい視線でこちらを見つめていた。
――もう……これ以上無理だ……倒れてしまう。
俺は腕に力を込めるの止めた。そして腕に走っていた黒い電気は見えなくなった。
「まだ、やめていいと言ってませんよ」
「……しかし、あのまま続けてたら、倒れてしまう」
「私は限界までと言いました」
――こいつ……何言っているんだ? どう見てもさっきが限界だった。
「俺は天才じゃない。兄を見て、王族の基準が高くなっているかもしれないが、俺は、ただ凡人だ」
「なるほど、あなたには負け癖がついているようです」
「……なんだと……?」
「今日は夕方まで、先程の魔法を出す事を繰り返していただきます」
――魔法だけ……?
「……剣術は学べないのか?」
アイザックは溜め息まじりに言った。
「剣術以前の問題です」
「俺は……魔法より、剣を学びたい……」
自分の中にある確信が、自然と口をついて出た。
――魔法には向いていない。でも剣なら……。
密かに続けてきた剣の訓練。見張り兵との稽古。
今では複数の兵相手にも勝てるようになっていた。
「どうやら、勘違いしているようだ。……いいでしょう。私に勝てたら、剣術を教えましょう」
――舐められているな、完全に。
「ルールはなんだ?」
「私に“剣を抜いて向けることができたら”でいいでしょう」
――それだけ? 簡単すぎる。
「負けても知らないぞ……」
アイザックは鼻で笑った。
「では、決闘の手順はご存知ですね?」
「ああ、問題ない」
両者、手を翳し合図とする。それで開始だ。
「では、健闘を祈ります」
アイザックが距離を取る。
俺は深く息を吸い、目を閉じた。
――絶対に勝つ。
好きだからじゃない。
魔法が嫌いだから、剣に賭けているんだ。
手を翳し、そしてすぐさま腰の剣に手をかける。
――勝てる。俺の剣速なら……!
が、次の瞬間。
背に、冷たい何かが当てられた感覚がする。
「……え?」
目の前に、もうアイザックの姿はなかった。
「これが、魔法の力です」
背後から、静かな声が聞こえた。
――負けた? でも、どうやって……?
剣に触れた瞬間には、もう背後に?
「……どうやって、俺の後ろに――」
アイザックはまた、不気味に笑った。
「さあ、早く集中して。力を込めてください」