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第3話 英雄の喪失

 すれ違う兵士や侍女が、ひそひそと声を潜めていた。

 王宮全体に、どこか落ち着かない空気が漂っている。


 ――騒がしいな。何かあったのか……?


 そう思いながら歩いていると、気づけば王室の前に来ていた。

 

 扉の前には、無表情の兵士が二人、静かに立っている。


「……父上は中にいらっしゃるか?」

 

「はい。国王陛下はご在室です」

 兵士の一人が即座に答える。

 

「通してくれ」

 

 兵士が静かに身を引き、道を開ける。

 

 俺は深く息を吸い、扉を押して中へ入った。


 重厚な扉がきしむ音を立てて開くと、その音に反応するように――


「……アレンお兄様?」

 部屋の奥から少女の声がした。


 振り返ったのは、まだ幼さの残る妹、アイラだった。


 金色の髪が、振り向きざまにふわりと揺れて、室内の灯りを淡く映す。


 揺れた髪の隙間から覗いた碧い瞳がこちらを捉えると、その顔がぱっと明るくなった。


「もう来ていたのか。兄上は?」

 

「まだ着いてないって」

 

「そうか……」


 そのとき、父の低く重い声が響いた。


「アレン、明日からの訓練はこなせそうか?」

 

「はい。兄上に追いつけるよう励みます」

 

 俺が頭を下げると、父は冷たく言った。

 

「無理だ。お前は戦士でも英雄でもない。目指すべきは指揮官だ」


 ――やはり、父は最初から兄にしか期待していなかった。


「……はい。精進します」

 

「限界は、早く知るに越したことはない」


 言い返せず、ただ小さく頷く。

 そのとき、外から兵の声が届いた。

 

「陛下、アルアディアン様がご帰還されました!」

 

「帰還したか。すぐに通せ」


 父はわずかに口元を緩めた。嬉しそうな顔だった。

 

「承知しました!」

 

「アレン、アイラ。お前たちは下がっていなさい」

 

 父の視線に促されて、俺は妹に目配せをし、軽く手を引いて扉へと向かう。

 

「父上。最近、王宮が騒がしい気がします。何か起きているのですか?」

 

 足を止めて尋ねると、父は少し間を置いてから言った。

 

「“正義の剣と悪の盾”の伝説を覚えているか?」

 

 すると、アイラが目を輝かせて応える。


「“魔物の軍”に“光の魔術師”が立ち向かうお話!」と、少し得意げに。

 

 ――思い出した。あの話は、光の勇者ソルンの伝承とよく似ている。

 

「アイラは本当に物覚えがいいな。

 では、その冒頭で何が起きていたか、わかるか?」

 

 妹は小さく首を傾げ、天井を見上げて考え込む。そして――

 

「……魔物の出現が減ったこと?」

 俺が代わりに答えた。

 

「そうだ。それが今、実際に起きている。兵たちは、それを恐れているのだ」

 

「ですが、あれはただの伝説では……?」

 

「いや。あの物語は、過去に実際に起こった出来事だ」

 

「では……本当に、戦争が始まる可能性があるということですか?」


「すぐにはない。だが、兆しはある」

 

 父の目は、どこか確信めいていた。

 何かを知っている――そんな雰囲気を感じた。

 

「……そうですか」

 

「大丈夫だ。この国にはアルアディアンがいる」

 父の口調には揺るぎなさがあった。


 そして俺たちは、再び視線に促されるように王室を後にした。

 

 しばらくして、兵士を従えた兄が足早に王室へと入っていくのが見えた。しかし、声をかける間もなかった。

 

 兄は“初代王エルゴンの再来”と謳われる才を持っている。


 金の髪は陽光に輝き、碧い瞳は澄んで深い。

 ただ立っているだけで人の視線を集める、そんな存在だ。


 だが、兵たちの中には兄を「無感の王子」と呼ぶ者もいた。

 冷徹さと、いまだ王冠を持たぬことへの皮肉だろう。


 家族には穏やかでも、他人には冷たく近づきがたい――なぜなのか、俺にはわからなかった。


 思案していると、王室前に重い足音が響く。

 

「国王は中にいるか?」

 

 ――あれは、アスラン……!

 

 父の兄であり、かつて聖騎士団を率いた伝説の英雄。

 魔法の力を失い退いた今も、その威厳は色褪せていない。


 実際に会ったのは、ほんの数回だけ。

 

 それでも、彼の英雄譚は何度も繰り返し読んできたし、父からも何度となく語られて育った。

 

 ――つまり、俺は彼の大ファンだ。

 

 だからこそ、ずっと疑問に思っていた。

 

 なぜ、あれほどの英雄が、魔法を失っただけで戦場から退いたのか。

 

 アスランは兵士と短く言葉を交わすと、扉の前で立ち止まった。

 

「第1王子が中におるのか。……なら、ここで待たせてもらおう」

 

 俺は思いきって声をかけた。

 

「あ、あのっ! もう戦場には出ないんですか?」

 緊張で声が少し裏返った。

 

 不意にかけた言葉に、山のような背中がゆっくりと振り返る。

 

「おお、第2王子ではないか。……どうしたんじゃ?」

 アスランは穏やかな声で答えた。

 

「父上から……アスランは、まだ戦えると聞いて……」

 

「エイゼンが、そんなことを言っておったのか。

 ……だがな、魔物と戦うには魔法が不可欠じゃ」

 

 そう言いながら、アスランは自分の手のひらに目を落とす。

 

 この世界では、魔物に対して魔法が極めて有効とされている。

 

「でも、人間相手なら……!」

 勢いで言ったその言葉に、アスランは少し驚いたように目を見開いた。

 

「……それもそうじゃな。

 だが“クロム武器”は魔物の力を借りるもの、わしには馴染めん」

 アスランの表情には、わずかな嫌悪が滲んでいた。

 

「でも……アスランは、そのクロム武器を使える“選ばれし者”……」


 クロム武器は希少であり、扱える者も限られている。

 魔物の力を宿しながら、それに呑まれずにいられる強靭な精神が必要だ。

 

「それも、国王が言っていたのか?」

 

「……はい」

 

 アスランはしばし黙り、それから静かに言った。

「わしは――人を殺したくないのじゃ」

 

 その一言に、胸の奥が重く沈んだ。

 

 ――そうか。俺は、人を殺してくれと頼んでしまったのか……。

 言葉を失い、地面を見つめた。

 

 アスランは俺の頭に大きな手をそっと置いた。

 

 重く、けれど優しく、温かい手だった。


 そのとき、王室の扉が開き、アスランは中へと入っていった。

 

 ――魔法のことを聞けばよかった。アスランもまた、俺と同じ“雷”の魔法を使う戦士なのだから。

 

 そんなことを考えていると、王室から兄が虚ろな表情で出てきた。

 

「アルお兄様!」

 妹が勢いよく前に出て、目を輝かせながら声をかける。

 

 その瞬間、兄の視線がこちらに向いた。

 

「二人とも、ずっと待っていたのか?」

 歩み寄りながら、兄はそう尋ねる。

 

 妹は嬉しそうに力強くうなずき、兄が近づいてくるのを心待ちにしていた。

 

「魔物狩りはどうだったの?」

 無関心を装って尋ねたが、本当は兄の話を聞きたくてたまらなかった。

 

「別に、大したことはなかったよ」

 淡々とした返事が返ってくる。

 

「そうなんだ……」

 

「そうだ、今日は二人にプレゼントがある」

 

 兄は髪をかき上げて微笑んだ。

 

 その仕草に、どこか違和感を覚えた。

 ――何かを隠しているき、兄はいつもこうする。

 

 兄は胸元から、赤い宝石がはめ込まれた腕飾りを取り出した。

 

「隣国の宝石屋で見つけたんだ。……寄り道したから、父上には内緒だよ」

 

「内緒にする!」

 妹は声を弾ませながら、嬉しそうに宝石に触れる。

 

「魔除けの効果があるらしい」

 

 兄は妹の腕にそれをはめると、次に俺の腕にも同じ飾りをつけた。

「やっぱり、二人ともよく似合うな」

 

 俺は不安を覚え、思わず尋ねた。

「……何か、あったの?」

 

「何もないさ。ただ……初陣の記念に、何か残したいだけさ」

 兄は何か諦めたような顔をしていた。


 ――この感じ、どこかで……。


 ふと頭に浮かんだのは、幼い兄の姿。黒い本を手に、何かを言っていた。でも内容は思い出せない。

 

 ただ、俺がうまく応えられず、兄が何かを諦めた——そんな曖昧な情景だけが残っていた。


「アル……俺と、何か約束してないか?」

 

「……覚えてないな」

 兄のその言葉に、胸の中の違和感が一層深まった。

 

 ――きっと、勘違いだ。

 

 いずれ消えると思っても、それは心に残り続けた。


 ――考えても仕方ない。

 

「じゃあ俺も、戦に出たら何か持って帰る」

 

「……アレンも、いつか戦うんだな」

 兄は優しく微笑んだ。

 

「アイラもそうする!」

 

「いや、アイラが魔物狩りに出るなんて、父上が許すわけない。無理だよ」

 

 そう告げると、妹はぷくっと頬を膨らませ、不満げに俺を睨んだ。

 

 まるで、小さな猫が威嚇するように。

 

「アイラは、何もしなくていいんだよ」

 

 兄は妹の頭を優しく撫でながら、続けた。

「それよりアレン、明日から訓練が始まると父上から聞いたぞ」

 

「ああ……そうだね」

 俺は内心で嘆息しながら返事をした。

 

 この国では、7歳になると騎士としての戦闘訓練が始まる。

 王族である限り、それは義務であり、選択の余地はない。

 

 ――前を向けない理由がある。それは、兄の存在。

 

 どれだけ努力しても追いつけない。

 何度も比べられ、応えられずに苦しむ。

 

 その痛みは、もう知っている。

 

 初めて魔法を使った日のことは、今でも鮮明に覚えている。

 

 手を前に突き出し、指先に力を込めて、兄と同じ“炎”を願った。

 

 ――この"黄金の国アルテミア"で、炎は特別な意味を持つ。

 

 けれど、結果はただの静電気が走っただけだった。

 

 一方で兄は、初めて魔法を使用した時"炎の龍"を召喚した。

 その炎はまるで太陽のように黄金に燃え上がり、見る者を圧倒する力を放っていた。

 

 ――兄に追いつきたいわけじゃない。

 

 兄弟として、王族として、力なき存在であってはならないと、ただそう思っていた。

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