第1話 プロローグ
誰かを守れる存在に――そう、英雄のように。
いつからか、そんな憧れを胸に抱いていた気がする。
それが夢か現かも分からぬまま、意識は深い霧の中へと沈んでいった。
――青い点滅……?
「アレン! 早く進め!」
前から飛んできた声に押されるように、俺は前へ走り出した。
「ったく、道の真ん中で立ち止まんなよー」
――この男、誰だ……?
「あ、ああ……ごめん」
「早く”アレ”買いに行こうぜ!」
妙に軽装で、奇妙な布切れのような服を着た黒髪の男が、軽快な足取りで走り出す。
――なんだあの服、鎧でもローブでもない……。
「アレ……? あ、待てよ!」
咄嗟に言葉が口から漏れ、体が勝手にその男の後を追っていた。
――だが、目に映る景色がどうにもおかしい。
左右には、空に届くかのような巨大な硝子の塔。無機質な石と鉄で作られた無数の建物が、空を遮るように立ち並んでいる。
「おい、ずっと上ばっか見てると田舎者みたいだぞ?」
男が振り返ってからかう。
――今、馬鹿にされた……? いや、それよりも……ここは……どこだ?
道を進んでいくと、巨大な扉を構えた建物が見えてきた。人が次々と中へ入っていく。
「やっと来たな! 新作、待ちきれなかったぜ!」
「……ああ。早くエルドの新作、買いに行こう」
――なんだこれ……口が、勝手に……。
体がまるで操られるように、勝手に建物の中へと進んでいく。足に力が入らない。意識とは裏腹に、体だけが動いていた。
「あったぞ! アレじゃないか?!」
男が興奮気味に、金色の果実が描かれた板のような物を手に取って見せてきた。
「これが……“ヘスペリデス”なんだな……」
――“ヘスペリデス”……どこかで聞いたことが……。
「今夜は徹夜コースだなー」
「俺は明日の講義、休もうかな」
――なんだろう。懐かしい。この感覚……。
「この西洋風の世界観、たまらんよな」
「ストーリーも重厚で今季の覇権確定だな!」
「光の勇者ソルンの物語か。あれは……確かに、いい……」
――思い出してきた。俺は……死にゲーが好きだった。
そうだ。この男は、俺の親友……ショウ。よく一緒にゲームをしていた。
瞬きすると、景色が変わっていた。
「アレン! どこまで進めた?」
――ここは……俺の部屋……?
「今、闇王ニトの居城まで来た」
「マジかよ! 俺なんかまだ歴戦の老兵で詰まってるわ」
「実は戦わずに進めるルート、見つけたんだ」
瞬き――
――今度は、洞窟……?
「おい、急に止まるなよ」
背後から声がして、振り返るとそこにはショウがいた。
「あ、ごめん」と反射的に答え、姿勢を戻す。
「アレン君、大丈夫?」
――この人……誰だっけ。綺麗な人だ……。
「ミサキ先輩を心配させんなよ」
「だ、大丈夫です!」
「洞窟探検サークルは、安全第一! 調子悪かったらすぐ言うのよ!」
――そうだ。俺とショウで、適当に入ったサークル……。
「アレン、これ……地底都市に繋がる洞窟みたいじゃね?」
「……言われてみれば、そんな雰囲気かもな」
「も〜、またゲームの話?」と、背後から女性の声。
――この子は、ショウの幼馴染……ミオ。
「違うって。ただ、雰囲気があるなって話だよ」
「どうせまた”死んだ回数”とか”何回目で倒した”とかでしょ?」
「皆、集中力切れてきたし、ちょっと早めに休憩にしようか!」
ミサキ先輩の提案で、俺たちは昼食をとることになった。
「そのゲーム、そんなに面白いの?」
「ミサキ先輩もやってみます?」
「ちょっと! 変なこと教えないで!」
ミオがショウの耳を抓っている。
「二人とも、ほんとに仲良いね」
「そうですね」と俺は呟いた。
ふと、ミサキ先輩が真剣な表情になった。
「ねぇ、皆は……人が死んだらどうなると思う?」
「急にどうしたんですか?」とショウが笑いながら返す。
「“死んだら無になる”って、よく言うけど……私は違うと思うの」
「じゃあ、どこへ行くんですか?」
「地獄でも天国でもない、別の世界……そんな気がする」
「……それって何かの宗教ですか?」
「ううん。そうだったら、少し安心できるってだけ」
「……俺も、賛成です」
――そうだ。男なら一度は異世界転生、夢見るよな。
「でも俺は、ヘスペリデスの世界は嫌だな」とショウが腕を組みながら言った。
「え? 好きなんじゃないの?」と横にいたミオが驚いた顔をしていた。
「キャラがみんな辛そうだからな」
「でも、“死の制約”があるおかげで、寿命以外じゃ滅多に死なないよ?」
思わず早口で喋ってしまっていた。
「だからこそ、命の重みが分からなくなるのが嫌だな」
――けど……“死なない”なら、その方がいいと思ってた。
その時だった。
洞窟の奥から、叫び声が響いた。
「……今の、声……?」
「もしかして、誰か先に入ってたのかも……」
「俺、見てきます!」
「ダメよ、もう結構奥まで来てるのよ?」
「それでも、助けが必要なら……」
――そうだ。ショウは正義感が強い男だった。
「私は、誰かを見捨てて帰るなんてできません……」とミオが言う。
「じゃあ全員で行きましょう。少しでも危ないと感じたら、すぐ引き返すから」
ミサキ先輩の言葉に、皆が頷いた。
――瞬きすると、また景色が変わる。
「おい……今、人影、見えなかったか……?」とショウが振り返りながらいう。
「やめてよ、そういうの……」
「……俺の見間違いかも」ショウは顎に手を当てて何か考えている様子だった。
――また、景色が切り替わる。
「なんだ、この穴……」
深く、どこまでも暗い縦穴が下に続いていた。
「この中に、誰かが落ちたんだわ……! レスキューを呼ばないと!」
「ミサキ先輩……電波、通じません……」ミオがスマホを見せる。
「じゃあ、一度戻るしかないわね……」
「先輩、あそこに……梯子があります」とショウが奥を指差した。
「でも……ダメ。あそこは危険すぎる。助けは外から呼ぶべきよ」
ショウは唇を噛み、悔しそうにうつむいた。
その時――大きな揺れが洞窟を襲った。
――地震……?
「みんな、伏せろ!」
ショウの声が響いた直後、足元が崩れ、彼の体が穴の方へ傾いた。
「ショウ!」
反射的に体が動く。
俺はショウの腕を掴み、全力で引き寄せた。
――重い……このままじゃ俺まで……!
足元に力を込めて踏ん張るが、突如として強烈な引力が足元から働き出した。
まるで、地面そのものが俺を飲み込もうとしているようだった。
なんとかショウを地面へと放り出したその瞬間、俺の体がぐん、と強く引かれる。
「アレン君! 掴んでッ!」
駆け寄ってきたミサキ先輩が、俺の手を掴んだ。
しかし次の瞬間――彼女の表情が凍りついた。
「……!」
言葉にならない何かを口にしながら、彼女は俺の背後を見つめ、顔を引きつらせていた。
――え?
何が起きたのか分からない。
次の瞬間、ミサキ先輩の手が俺の手から滑り落ちた。
「……ミサ……キ、せん……ぱい……?」
彼女の手が離れたのか、俺の体が吸い込まれるように穴の中へと引きずり込まれていく。
引力は増す一方で、どんなに体を捩っても、何かに掴まろうとしても、すべてが空を切った。
――なんだこれは……止まらない……!
視界がぐるぐると回り、辺りは暗く、深く、底のない奈落へと変わっていく。
そして、俺の体は完全に暗闇に飲まれた。