苦痛を愛する為の祈り
私の頭の中へ、濁流のように流れ込んで来た大量の記憶。
時間にしてほんの数秒程だったと思う。
それはあまりにも一瞬かつ情報量が多過ぎた所為で、私の頭は完全に受け止める事は出来なかった。
だけど……重要な部分は大体分かった。
お姉ちゃんが独りで戦って来た道を。
苦痛を背負いながらも歩んで来た姿を。
ほんの僅かながらも……私は垣間見たんだ。
「お姉ちゃん……どれ程の間、ずっとずっと孤独を耐えて来たの……?」
おぞましい……と、私は口に出しかけた言葉を飲み込みます。
私を幸福にしたくて。
それだけで何処までも行ってしまった姿に……私は畏怖を覚えたんです。
私のやや怯えの混じった声を聞いて、お姉ちゃんは溜め息を一つ吐きました。
すると、無表情だったお姉ちゃんの鉄の仮面はようやく剥がれて……
心の底から疲れたような表情を浮かべました。
「何となく分かった。私だけが背負うべき業だったのに……その花冠の所為だね」
「仲直りが出来るようにって、ニリナさんがプレゼントしてくれたんだ」
「天然の魔法道具か……巻き戻しても貴女は覚えたまま、か」
はぁ、と深い溜息を吐くお姉ちゃん。
やっと……本当にやっと、本音で話せそうです。
ここまで長かったけど……お姉ちゃんにとってはそうでもないのかもしれません。
私……いえ、他の誰よりもお姉ちゃんの時間感覚はズレてしまったから。
「きっと、アルタの【異能】は私の巻き戻しの相乗りだね。思えばあの時のアルタも妙に行動が変化してた。多分、死んだ後に【異能】を得る前の時間に戻ると記憶を保てないと見た」
「……お姉ちゃん」
やや投げやりな感じでお姉ちゃんはそう口にします。
今までとはまるで別人のような話し方です。
私には今のお姉ちゃんが、まるでくたびれた大人に見えました。
……普通じゃ有り得ないくらい長い年月を過ごしたんです。
別人のようになってしまうのも無理はないのかもしれません。
それでもきっと、根本は……
「もう、私の手でアルタを殺すなんて出来ない。巻き戻してもアルタは付いてくる。詰みだね」
「馬鹿な事は辞めて……そのくらいの言葉で、止まってくれる?」
「だから知られないようにしていたのに……なるべく嫌われるように、素っ気無い感じで。私の事を嫌ってくれたら、そのまま何もかも上手く行ってたのに」
……私がお姉ちゃんを嫌うなんて、あり得ないのに。
ほんと、どれだけ遠い人に思えても不器用な人だ。
それで上手く行くから、周囲からは超人に見られるんだろうけど。
「私、お姉ちゃんの事……忘れたくないよ」
「忘れた方が幸せなのに?」
「……知らないまま、気付かないままの方が幸せだと思ってるから、最低限の事しか私に教えてくれなかったの?」
ふと口からついた言葉だけど、何となく私の勘が当たりだと言っています。
だから私に対して黙っている事ばかりだったんです。
たった今垣間見た……孤独の戦いの事とか。
幾ら何でも抱え込み過ぎだよ!
どっかの周回で私に相談とかしなかったのかなぁ!?
ううん、お姉ちゃんの性格を考えるとしてなさそう……
「その方が良いに決まってる。知りたくない物は……知らないままで良いんだ」
「……そう。それを否定するつもりは無いよ」
ここで私は気付きました。
お姉ちゃんの記憶の中に出て来たあのネックレス……
それは魔銃を持っていないもう片方の手に握られていました。
記憶では元々ザミエルさんが持っていた物だから……奪ったのかな。
私の頭に記憶が流れ込んでいる間に、ひっそりと。
手癖が悪い……
「それ……自分に使うつもりなの?」
「そうだね」
「自分が消えるのが怖くないの?」
「何度も死を経験した。それくらい、何とも思わない」
「……絶対別物だよ、それ」
どっちも私にはよく分からないけど……
とにかく、それだけは絶対駄目だ。
私は、お姉ちゃんに消えて欲しくない。
垣間見た記憶を通してお姉ちゃんの感情も、薄らとだけど感じました。
……とても、疲れていました。
長い長い戦いを経て、もう辞めたいと。
何度も何度も願っていました。
それでも、お姉ちゃんは止まりませんでした。
私の為に……そう自分に言い聞かせ続けて。
今でも祈り続けているんです。
抱いた苦痛を愛する為に。
「お姉ちゃん……」
「嫌がるだろうから、こっそりと逝こうとしたのに……困った子だよ」
苦笑しながらもお姉ちゃんは決して譲らない姿勢のままだ。
「私が居なくなる事で、どれだけのメリットがあると思う?」
「……滅茶苦茶言いたそうだから、聞くだけ聞いてあげるよ」
「まず、シェール公国が王国のまま維持される。クーデターも起こらずにアルタはコールターネ王女として幸せな日々を送れる」
「歴史は変更を嫌うって言ってなかった?」
お姉ちゃんの記憶では、シェール公国はかなり荒れていたようだけど……
クーデターが起こらないから無問題って事なのかな。
「その為、クロバには可能な限り公国各地の治安改良を頼んでおいた」
「……仮にも自分の血縁に結構大変な仕事頼んでない?」
「私にとっては血の繋がった叔父よりも……血の繋がってない妹の方が大事だから」
……少しクロバさんが可哀想だ。
記憶の中でも扱いが軽かったし。
「それと、皇帝の友人も死なない。あいつは復讐に燃えなくなって良い事ずくめ」
「もしかして、それがスマイリーさんがお姉ちゃんに従っていた理由?」
「当たり。偶に鋭いのはどの世界線のアルタも変わらないね」
……ううん、私も知らない私を知られてるのは少しやり難いなぁ。
「後はザミエルを殺害してゲパルト王国を滅ぼせばシェール王国は安泰と言う訳だね」
「いや、王国を滅ぼすのなら普通王家を狙うんじゃ……と言うか、ザミエルさん一人が居なくなったとしても国一つ滅びないよね?」
「……? あの皇帝はこの国の王を殺さなかったのか?」
お姉ちゃんが不思議そうに呟きました。
えっと……
「殺しはしないと言ってたよ。国王と二人きりになったから詳細は分からないけど」
「私じゃどう足掻いても説得出来なかったのにあいつ……」
心底軽蔑した表情でお姉ちゃんはそう言葉を溢しました。
ぼそぼそと、ろりこんとか何とか言っていたけど……
……記憶を思い返すに、かなり手を焼いていたみたいだよね。
私とお姉ちゃんで、何が違ったんだろう?
「まあ……過ぎた事は良いよ。アルタ、どうかこの提案を受け入れて」
「私が受け入れない事を、私自身よりも理解しているのに?」
「……」
1,208,193回と言う、常人には想像も出来ないような長い長い繰り返し。
それもただの繰り返しじゃない。
お姉ちゃんの視点では、一秒が過ぎるのも極端に遅かった。
本のページを捲るかのように緩やかな時間の流れ。
どうしようもなく通常とはズレてしまった時間の感覚……
それを経たお姉ちゃんは私や他の人の大半の事を知り尽くしている。
だけど……それは決して完璧じゃない。
私が皇帝陛下の復讐を少しでも止める事が出来たように、絶対に穴がある筈だ。
神の視点を得ているお姉ちゃんも隙があるんだ。
あくまで一個人の視点であると言う、致命的な弱点が。
「私の幸せがお姉ちゃんにとって何なのかは分からないけど……私はお姉ちゃんも一緒じゃないと、幸せになんかならないよ」
「私が枷だったんだ。幸福を打ち消す絶対的な悪だったから」
「そんな事……」
「誰が何と言おうと私が居なかった事になれば救われる人が多いのに変わりはない」
お姉ちゃんのその言葉に、私は考えてしまいました。
例えば皇帝陛下の友人。
その人とは会った事はありません。
お姉ちゃんの記憶にも出て来ませんでした。
だけど、皇帝陛下にとってはかけがえのない人なのは間違いないでしょう。
シェール王家の人達……私のお母さんやお父さんとも一緒に暮らせるのかもしれません。
王族と言う身分に保証された豊かな生活だって出来るでしょう。
憧れの学園だって、きっと好きに通えちゃいます。
普通なら絶対にあり得ない夢物語。
それが今、実現出来る瀬戸際に私は居ます……
だけど。
「その世界に、お姉ちゃんは居ない」
「居なかった事になるから、記憶は消えるだろう。何も問題はない」
「だったら、何ですぐに使わないの? お姉ちゃんなら、私が何をしようとも妨害にならないのに」
「それは……」
お姉ちゃんが言葉を詰まらせました。
何か、私の知らない事情があるのでしょうか?
「アルタに納得して欲しいから」
「納得なんてしないよ。何があっても絶対に」
「私が居ない方が救われる人間が多いのに?」
「……」
理屈で考えれば……そうかもしれません。
トロッコの線路を五人の居る道から一人の居る道に変更させる。
お姉ちゃんはそうするのが合理的だと、そう言いたいのでしょう。
線路を変えた本人……お姉ちゃん自身すら犠牲にしてでも。
この問題に答えがあるのかすら、私には分かりません。
一つ言える事があるとしたら。
「死ぬ人間」の中に自分の大切な人が居たら、判断を迷ってしまうって事。
でも、私はもう迷わないと決めたから。
「それは嫌だよ。お姉ちゃんが幸せじゃないから」
「……利己的だね」
「利己的で何が悪いの。どんな聖人君子だって、欲の一つや二つきっと持っているよ」
誰が何と言ったって、心の底から浮かんだ答えは誰にも覆せない。
お姉ちゃんが……私にとっては誰よりも大切な人なんだ。
だから、その決断だけは許せない。
「私ね、この旅で色々な人を見て来たよ。皆には皆なりの事情があって、物語があるんだと思う。それぞれがそれぞれの物語の主人公なんだよ。私だって同じだよ。だから、私は私の意志を貫くよ……誰かに与えられた幸せなんて、要らない」
「……ここまで走り続けても、これまで道程は無意味だったと。そう言いたいの?」
「そんな事言ってないよ。お姉ちゃんが進んで来た道の長さよりも、私にとってはお姉ちゃんがそこに居る……それだけで充分幸せなの」
最初から私は求めていなかったんだ。
過度な幸福なんて、きっと人を駄目な方へと流すだけだろうから。
いつか、幸福になりたい思いが醜い欲望になってしまうかもしれない。
だから、私はお姉ちゃんにキッパリとこう言い切りました。
誰かが言ってあげなくちゃいけない……そう思ったから。
お姉ちゃんが長らく続けて来た戦いは、きっとありふれた悲劇じゃない。
この世界が広いのは旅の中で充分に理解しました。
お姉ちゃんと同じ目に遭う事は無いと思います。
だけど、それは重要な事じゃなくて。
大なり小なり、生きている人達には苦痛が伴います。
それが生きる為に必要な代償なのでしょう。
大抵の人は辛い事があるとそれを重く受け止めて、苦痛を受け入れます。
でも、お姉ちゃんが背負った苦痛は……一人では重過ぎるんです。
狂いそうになってまで、私の為に行動してくれました。
それは苦痛を当然の物だと受け入れる為。
或いは、そうしなければ耐えられなかったから。
言い方を変えれば……それは、祈りとも言い換えられるのでしょう。
一度、記憶の中で私を見捨てた時。
耐えられなくなったお姉ちゃんは私を見捨てました。
その時、やり直しを辞めてはいませんでした。
……私が枷だったんでしょう。
でも、枷を引きずってまで走れなかったから。
結局今こうして、お姉ちゃんは私の目の前に立っています。
私は……お姉ちゃんが苦しむくらいなら、見捨てられても良いと。
そう思ってしまいます。
記憶の中で、勇者となった私も同じ気持ちだったと思う。
私はお姉ちゃんの枷になってまで、幸せになりたいとは願わないから。
だから、私は止めなければなりません。
お姉ちゃんが続けて来た……この苦痛を愛する為の祈りを。
私が断ち切らないと……誰も本当に幸せにはならないだろうから。
「お姉ちゃんが私にしてあげたかった事は……誰も望んでなかったの!」




