記憶 〜破〜
寒く静かな夜が訪れて、私の心を寂しさ一色に塗り上げる。
暗闇の中で最愛の妹の姿が見えなくなったその時
私の貧しい心が寂しさで悲鳴を上げそうになる時。
アルタの温もりすら、私に滲み込んだ寒気を払うには至らなかった。
それでも、歩みを止める理由にはならないから。
私はこれからも独りで進んで行くんだと、そう思っていた。
私が諦めない理由。
苦しいと感じながらも時を何度も繰り返す訳。
歩みを止めずに進み続ける原動力。
決して崇高なものでもなければ、尊いものでもない。
【異能】を得るまで、私は諦めてきた事が多過ぎた。
手を貸したい、力になりたいと思いながらも目を背けた記憶……
それらが私を突き動かしている。
もう……後悔なんてしたくなかったから。
何度……妹の為に、目の前で困っている誰かの為に動けたら、そう願っただろうか。
助けを望む人へ手を差し伸べられる、そんな人間になりたかった。
幼い頃から誰かに助けられてばかりだった私の、ちっぽけな夢。
最早忘れかけていたそれを思い出して、私は思わず失笑した。
だって、本当は今でも辞めたいくらいなんだから。
全部全部、投げ出してしまえたら……
だけど、私には責任がある。
私はアルタのお姉ちゃんなのだから。
8,093回目
焼けた跡が広がったメモリ大森林にて。
「なんてまあ、無駄な事を……いや、俺が言えた義理じゃないか」
既に事切れたアルタ。
全身に血を浴びた私。
倒れ伏したスマイリー。
そして……私を憎悪の籠った目で見つめる皇帝。
「我が軍の進軍を阻む悪魔がこんな少女だとは思わなかった。いや、まさかスマイリーまで殺してみせるとはな」
「……お前も、アルタを殺した」
「そうだな。まさか、お前のような悪魔の妹とは露程も知らなかったが」
お人好しそうな子供だった、と。
そう吐き捨てるこの男の顔は何かに葛藤しているようにも見えた。
こんな事をしでかしておいて、微かな良心が残っている事自体が気持ち悪い。
進軍する帝国軍を、私がたった一人でほぼ壊滅させた。
こうでもしないと、この復讐鬼は止まらないだろう。
そう思っていたけれど……まさかここまでする程狂っていたとは。
「スマイリーと私が戦っている間に、どうしてアルタを」
「決まっている。邪魔だったからだ」
「……そもそも、何故アルタがここに」
この戦いにアルタを連れて行ける訳がない。
隠れ家に置いて来た筈なのに、何故……
「俺に直談判に来た。戦争を止めて欲しいと。邪魔で目障りだったから、殺した。それだけだ」
「……」
獣の目にも劣る、殺戮だけを生き甲斐をするかのような瞳。
この男に何があったのかを、今の私は知らず。
それでも、私は……
「俺を殺すか。復讐が果たせるのなら……俺の命なぞ、軽いものだったが」
「死ね」
私は皇帝の首に抜き手を放つ。
首の皮を貫いて、そのまま頚椎を引っこ抜いてやった。
皇帝は全く抵抗しなかった。
最後に呟くようにこう言った。
「何も残せてやれず、すまんな……許して欲しい」
血飛沫を出しながら力が抜けて倒れる皇帝。
最早、この場所で生きている人間は私だけだった。
返り血と、スマイリーとの戦いで負った怪我で私の身体は全身血塗れだった。
冷たくなったアルタの身体を見て……私はただ、こう思った。
今回も駄目だったか……と。
私の心は氷よりも冷たくなっていた。
大切な妹が殺された筈なのに……
理由は明確だった。
繰り返しの中で何人も殺し過ぎて、私はおかしくなったのだろう。
血に濡れた手を見つめながら私は何処か他人事のようにそう考えていた。
だって、耐えられる訳がないじゃないか。
もう幾千の時を経て、屍の山を築き上げたのだから。
出来る能力はあるけれど、実行に耐えうる精神を持ってはいなかったのに。
私はそれを躊躇いなく決断した。
その決断を後悔はしない。
いや、したくたって出来ないんだ。
私が私のままでいる為にした選択だから。
それがアルタに顔を見せられないくらい惨たらしい事でも。
私が居なければ、誰がアルタを幸せにする?
この皇帝を何百回も殺してやる事は可能だ。
寧ろ、殺してやりたいくらいだが……
この皇帝を力尽くで黙らせるのは骨が折れる。
正直、今の私も満身創痍だ。
この皇帝の過去を洗おう。
復讐の理由を知って、説得する。
血と殺戮に飢えた目をするようになった理由が、必ずある筈だ。
反復 12,146回目
皇帝の過去を知る過程で、私はアルタを置いてシェール公国へと足を運んだ。
この国が公国と名を変える事になった事件……それを調べる為だ。
幸いにも不満や不平を溜め込んでいる人間は多かったので楽に聞き出す事が出来た。
「厄災の王女……ある意味、全ての元凶かもな」
「ああ、急に陛下が誰が親なのか分からない赤子を自分の子だと公表したんだ」
「自分の子供だと主張してたけど、信憑性が薄かったよなぁ……」
「真面目な人だったからな。愛妾も居ないのに誰の子なんだか、ほんと」
「ええと、詳しくは知らないが、何らかの検査に引っ掛かったんだったか?」
「耐魔検査とか、そんな名前だったか。とにかく、身体の中に爆弾が潜んでるも同然だって聞いたぜ」
「そうそう。んで、そのくらいの時期にクーデターが……」
「良くも悪くも情に厚い人だったけど、そこまでするか普通?」
「そう言えば、一連の出来事は一時期王国の仕業なんてデマも流行ったっけ?」
「あったなぁ……流石に陰謀論に感じるけど」
「その災いの王女様もだが、もっと不憫なのはその妹と王女様だよなぁ」
「今じゃ二人共行方不明だよな。なんか、王国方面に亡命したなんて与太話があったような?」
「陛下が災いの子なんて抱え込まなければこんな事にはなってなかったんじゃ……と、俺は思うぜ」
「ああ……公国になる前の方が治安が良かったな」
「最近じゃデカい盗賊団も居てもう滅茶苦茶だよ……」
そう語った彼らは、たしかにあまり裕福ではなさそうだった。
他の道行く人々を見ても、この国の現状は薄らと察せられた。
話をしてくれたお礼に、何かを差し出すべきだろうか?
「……」
既に凍え切った私の心は、そんな事に興味はなかった。
目的の為にとっとと先を急ぐべきだと嘯いていた。
……妹一人すら救えない私が、他人に何が出来ると言うのだろうか。
私は彼等から話を聞く前へ時を巻き戻した。
ほんの少しだけ心にしこりは残ったが……
その時の私は、王女姉妹の方へと関心が向けられていた。
……思えば、気になってその王女姉妹を調べた私が間違っていたのかもしれない。
私は結果的に辿り着いてしまった。
その姉妹の正体について——
13,804回目
元王城。
かつてシェール王族が築き上げたこの城はそのまま使われているらしい。
私はそこに殴り込みをかけた。
「やめ……殺さ、ないで……お、俺は何も悪くないだろうが!」
「とっとと話せ」
「……わ、分かった! 話す、全部話す!」
事件当時、クーデターを起こした側の官僚を片っ端から拷問して回っていた。
しかし、どいつもこいつも要領を得ない話しかしない。
それどころか国民から聞いた話と同程度の事しか知らないようだ。
新情報は全く出て来ず、無駄足かと思ったが……
みっともなく泣き喚いているこいつを拷問しているのは私ではない。
フードを被った背の高い男性だ。
何処となく、手配書に載っていた盗賊団の首領に似ている気がする。
気配に気付いて私に目を向けると、しばらく動きが止まった。
その隙を突いてこいつ……たしか、王の居ないこの国の実質トップだったか。
そいつは逃げ出そうとした。
どう言う訳か、その事に反応する余裕もない程驚いているのだろうか?
仕方ないので、逃げようとしている奴の腹を思い切り蹴り上げてそいつの足元に寄越してやった。
そのまま拷問を続けろと目で語ってやると、ようやく我に帰ったらしい。
拷問を再開した。
その後にしていた話を要約すると、亡命した王女姉妹はアガーテの街に居るとの事だ。
戦争を避ける為の道具として機能していると聞いた。
公国を混乱に陥れたのが王国であると言う、根拠のない噂。
帝国の皇帝はそれだけで王国に戦争を仕掛ける人間だったから……
最も、大して役に立ちはしなかったが。
「俺が話せる事は話した! 俺の命だけはどうか、助けてくれ!」
「……」
予感がしていた。
私の中にある根底が覆されるかのような、崩壊を招く危険な匂いだ。
これ以上深く調べたら……今までに感じた事のない怖気が走った。
スマイリーと戦った時より数倍は私を強く支配する恐怖だった。
「その、王女姉妹の名前は?」
拷問を遮って私は質問を投げかけた。
「お前はなんだ、なんでそんな事を……」
私が無言でナイフの切先を首元に当ててやると、この男は再び堰を切ったように話した。
特にフードの男は私を邪魔する様子はないようだった。
「ひぃ!? あ、姉がカタストロフィで妹がコールターネだ! な、何でそんな誰でも知ってるような名前を……ぎゃあァァァァァァァァァ!!」
私が何かするまでもなく、フードの男は床に這いつくばっていたその男を足で踏み砕いた。
もうこれ以上聞ける事はないと判断したのだろう。
それで、問題はこいつの正体だ。
誰なのかと私が考えていると、無造作にフードを脱いだ。
驚いた事に……この男は長い耳を持ったエルフだった。
「私はクロバ。君の名前を聞かせてもらおうか」
クロバと名乗ったその男は、敵意はないと言うように両手を挙げた。
何故、エルフがこんな所に……
「お前の名前を、聞かせてくれないか?」
「タス……本当の名前は知らない」
「そうか。俺は妹を探す為にここへ来た。あんたは?」
「……過去、この国で起こったクーデターについて調べていた」
その後、クロバの持っていた情報を共有してから私は時間を巻き戻した。
どうにもこの男の事が好きになれなかった。
私を見る目が妙に親しげで気味が悪かったのだ。
その理由について……私は何故か考えるのを拒否してしまっていた。
他にも巻き戻した理由はある。
城の連中を殺して回ると、どうしても目立ってしまう。
目撃者を全員消せば隠密行動も同義だが、死体の処理が面倒だ。
そう言う訳で、私は城に殴り込みをかける前へと時を巻き戻した。
今度はまだ調べていない場所……王の私室へ行ってみる事にする。
いや、元王だったか。
とにかく、その部屋へと足を運んだ。
その部屋はほぼ空だった。
今は使われていないらしく、埃がかなり積もっている。
家具も全く置かれていない。
無駄足だったかと、部屋を一瞥しただけで扉を閉めようとしたその時。
ふと部屋の隅にある床のタイルが光ったように見えた。
気の所為かと思ったが……妙に気になって、私はそのタイルに手で触れた。
すると、タイルは外れて床の収納スペースが露わになった。
そこには……一つの手紙が置かれていた。
手紙が開封された形跡は見当たらない。
そして、宛先は……十五歳になったカタストロフィ王女、らしい。
気になって開封して読んで……私は膝から崩れ落ちた。
私の母はエルフ……この手紙の差出人だ。
名前はセチアと言うらしい。
クロバが言っていた……彼の妹と同じ名だ。
そして……私の本当の父親。
それはシェール王国の元国王ではなかった。
忌み嫌われた王女に関する噂。
その一部は事実だったらしい。
元国王が私の母を愛していたのは確かだ。
だが、人間社会に疎かった母は人攫いに遭ってしまった。
そこで母は身籠り、私を辛うじて出産してから命を失ってしまったらしい。
王は私引き取って自分の子供として育てようとした。
アルタと同じ髪色なのは、母の祝福の所為だ。
人間社会でも生きる事ができるように。
その願いを受けてか、私の耳は普通の人間と同じになった。
他にも母は、無断で王に記憶を操作する魔法を掛けた。
王は愛した女性の事を忘れ、抱いている赤子の私を自分の娘だと思い込んだ。
結局の所、王様のその情の厚さが私の運命を狂わせた原因かもしれない。
この手紙には魔法が掛けられていて、私でなければ開封出来ないと注釈が書かれていた。
つまり、私の正体は証明された。
私は……シェール公国の元王女。
カタストロフィ・バレル・シェールだ。
アァ……知らなければ、どれ程良かっただろうか。
囁かれる悪い噂。
正妻ではなく愛人の子供。
計測の結果晒された異様に高い魔素。
生じた隙に付け込まれたクーデター。
私の心はとうに錆びれ、傷付き、荒れていた。
だけど、アルタと血が全く繋がっていない事実は私を絶望させた。
妹は……今まで私がして来た事の行動原理だったから。
そもそも、本当に私は悲しんでいるのか?
涙は出ないし、鏡を覗き込んで窺えた表情もまるで普段と変わらない。
心が悲鳴を上げていても、身体は常に最善の動きをする。
泣いてみっともない姿を見られたくないと、ただ無言で佇んでいるだけだ。
どんなに悲しくても、私の身体はそれを表に出すのを許さなかった。
以前に思い浮かんだ考えがふいにストンと腑に落ちた。
私の意思なんて、本当は何処にも無いのではないか。
その場の状況に流されているだけで。
アルタにいつか星に触れる願いが叶うと嘯いたのも。
貧しかった公国の国民を見て見ぬふりをしたのも。
アルタを幸せにしたいと願ったのも。
それらは全部、少しでも格好付けたいが故で。
何も持ってない私の自尊心を守りたかったから。
要は自分は良い人間ですよとそう見せたかっただけなんだ。
実情はどうであれ、評価されたならそれで良かった。
誰かの為でと言いながら、私は結局自分本位な人間でしかなかった……
いつの間にか、私の大嫌いな利己的な人間になっていたのだろう。
いや、実は目を背けていただけで、とっくに気付いていたのかもしれない。
しかし、それはただの人間の本質。
どんな人間にも備わっている、当たり前な事。
人は意欲する故に人であるのだから。
だとしたら。
何も持っていない私の意思は……何処にあるんだろうか。
誰かに動かされて、ただ目的を果たそうとしているのだろうか。
最愛の妹すら、幻想でしかなかった。
何の為に生きているのかも分からなくなった。
私は……どうしたらいいの?
彼女は妹だけを大切にしていた故……
妹と言う拠り所も無くし、残ったのは人間の殻を被った空虚な存在でした。




