腐り枯れた愛情
「くははっ……何をしに来たのだ、お前達は」
狂気的な笑みを絶やさずにアコニさんは私達の方へ振り向きました。
見つめられただけで恐怖で足がすくんでしまいそうでした。
でも、ニリナさんとシクタさんを早く助けないと……!
私はニリナさんの側まで走り寄って急いで容態を確認しました。
邪魔して来るかとも思ったけれど、アコニさんは特に何も行動を起こしませんでした。
身体の様子を確認してみますが、特に目立った傷とかはありません。
……うん、気を失ってるだけみたい。
なら、後は!
「シクタさんを離して!」
「出来ぬ相談だよ」
アコニさんはシクタさんに向けて手を翳します。
すると、苦悶の声を上げながらシクタさんが更に苦しみ出しました。
「ぐあぁぁ……」
「な、何でそんな事するんですか! 貴女とその人は、夫婦だったのに!」
「関係無い」
関係無いって……どうして?
夫婦って仲睦まじいものでしょ?
それなのに、こんな酷い事が出来るなんて……
「私には最早生前の記憶は殆ど無い。だが、死ぬ直前にこれだけは覚えていた……」
憎悪一色。
アコニさんは恨みの籠った視線でシクタさんを射抜きます。
「私が死んだのはこいつの所為だ……殆ど記憶を無くしたけれど、それだけは確かな筈なんだ……!」
「それは……」
私はついさっきニリナさんが語っていた話を思い出しました。
シクタさんの言い付けで出掛けた際に事故で亡くなった、と。
だからって自分が死んだ責任を自分の夫に押し付けるだなんて……!
アコニさんは実際に相対していると凄く恐ろしさを感じさせる人です。
だけど、そんな自分勝手な人には見えないのに……なんでそんな考えを抱いちゃったの?
お姉ちゃんは死の直前の記憶だけは保っていると言ってたけど、それだけじゃ納得がいかない。
いくら何でもおかしいよ!
「貴女はそんな人じゃない! どうか思い直して!」
「私がどんな人間だったかなんて関係ない……この恨みさえ晴らせば、きっと私は……!」
誰に向かって話してるのかも分からない。
独り言のようにそう呟いたアコニさんを、私はもう見てられませんでした。
もう既にこの人が狂ってる理由なんかどうでも良くなっていました。
……この怨嗟の鎖から、救い出してあげないと。
きっと、アコニさんも心が苦しくて苦しくて仕方がないんだ。
でも、それが出来るのはきっと私じゃない。
私にはこの人について知っているのは、所詮ニリナさんから聞いた話だけであるから。
そうだ、皇帝陛下とデシンクちゃんは?
振り返ると、部屋の入り口が植物で再び塞がれていました。
二人は部屋の外から何か叫んでいるみたいだけど、声が全く聞こえません。
うっ……分断されちゃったみたい。
「お姉ちゃん、二人が!」
「もう用済み。スマイリーに外まで連れて行くように言ってある」
「えっ?」
そう、なの?
改めて見直すと、二人は既に居なくなっていました。
お姉ちゃんの言葉が真実なら良いんだけど……
「うぅ、ここは……?」
「ニリナさん! 良かった、目が覚めたんだ!」
シクタさんは今喋れる状態じゃない。
だから……たった一人。
ニリナさんなら、家族の言葉なら、もしかしたら届くかもしれない。
「私は何を……お母、様?」
「起きたか」
アコニさんは興味無さ気にぼそりと呟きました。
ニリナさんの方を向いてすらいません。
……どう考えても、家族に掛ける温度の声ではありませんでした。
「大人しく眠っていれば良かったものを」
「これは、一体……!?」
「落ち着いて、ニリナさん!」
私はニリナさんを宥めます。
この人が居なくちゃ、きっとこの状況は収まらない。
肝心のお姉ちゃんは先程から何もせずにただ突っ立ってるだけだもん。
「お母様、お父様をどうするおつもりですか!?」
「殺す」
「なっ……やめて、お父様を離して!」
「もう二度と離さないわ……これで私もきっと、楽に……」
うう、ニリナさんでも駄目なの……?
これはもう、八方塞がりかもしれません。
私だけの力ではどうにもならないし、どれだけ考えても解決策が思い付きません。
お姉ちゃんは何でここに来て何もしないの!
「お姉ちゃん、何かこう、ないの!?」
「私にはない」
「私には、って……」
この状況で動けるのは私も含めてたった三人。
ニリナさんは駄目だとしたら、他に誰が……
「……アコ、ニ?」
震えるような、今に消えてしまいそうなか細い呟きが耳に入りました。
この声はまさか……
「シクタさん!?」
死に体の状態のシクタさんが目を覚ましたようです。
苦しそうにしながらも、その瞳は確実にアコニさんを捉えています。
しかし、ちょっと小突かれただけでもすぐにまた意識を失ってもおかしくはありません。
「そのまま眠っていれば、楽に死ねたものを……!」
「……がっ!?」
アコニさん細い指がシクタさんの首を強く締め付けました。
それはもう、爪が食い込んで血が流れ出る程の力でした。
シクタさんは苦しみながら、声を出す事も出来ずに身体を痛みで震わせます。
さ、更に状況が不味くなった気がします!
ただでさえ死にそうなシクタさんの命が危ない。
どうにか説得するなり倒すなりしないと……
と言うかお姉ちゃんならサッと首切り落とすくらい出来そうなのになんで突っ立ってるだけなの!?
試しに床に落ちていた羽ペンを投げ付けてみます。
先端の方を前に向けて……
「えいっ!」
羽ペンはアコニさんの身体をすり抜けて向こう側へ落ちました。
……幽霊だから、物理的に干渉出来ないって事なのかな。
でも、シクタさんの首に触っていたのに……どうして?
「ふふふ、お前らも吸い尽くしてやろう……!」
「何を……?」
アコニさんのその言葉でこの空間の空気が更に冷たくなった気がしました。
いや、これは違うかも。
私の体温が冷たくなっているような……?
「あ、れ……」
「うう、気持ち悪い……」
異様なまでの気怠さを感じます。
もしかしなくても、気力がどんどん身体から失われてる!
駄目、もう立っていられない……
そう思ったその時です。
ふと、片方の手に温もりを感じました。
そっちを見ると、お姉ちゃんが手を握ってくれていたのです。
暖かい……
「お姉、ちゃん」
「悪霊は生者の生気を吸い取る。複数人で固まっていれば長く耐えられる」
せ、生気を吸い取る!?
全部吸われちゃったらどうなるの!?
干からびて死んじゃうの?
そんなの怖過ぎる!
「この空間に侵入した直後から微弱に吸われていたよ」
「……ええい、とにかくニリナさんもほら!」
「は、はい」
ニリナさんも隣まで引き寄せて、三人で何とか耐え忍びましょう。
しかし、いつまでも耐えれる訳じゃない筈だし早めにどうにかしないといけないのは変わらない……
……あれ、ちょっと待って?
「お姉ちゃん」
「何?」
「もしかして私達三人と一緒に宿に入ったのって、それを耐える為だけ?」
「うん」
「うんじゃないけど?」
あ、扱いが酷い……!
ええい、追及するのは後にしよう。
今はそれどころじゃないから!
「お姉ちゃん、どうにか出来るんだよね!?」
お姉ちゃんは今まで何もしてないけど、目的がないのに此処に来る筈がない。
それだけは分かる。
じゃあ、何故今まで何も行動を起こさなかったのか……
「私がこの場でやる事はただ一つ」
「そ、それって?」
「彼女を守る事」
お姉ちゃんはニリナさんを見ながらそう断言しました。
「守るって……アコニさんから?」
「うん」
「い、いつまで?」
「説得が終わるまで」
説得……お姉ちゃんがそう言ったって事は。
多分、そう言う事なんだよね。
私も同じ事を思っていたけれど、断言までは出来なかった。
私の考えに自信を、責任を持てなかったから。
もし駄目だったら……そんな恐怖が私の喉を縛り付けたんだ。
でも、お姉ちゃんは違う。
お姉ちゃんだけは何物にも縛られていない唯一の人。
誰も止める事が出来ない……そう、自由の翼を持っているんだ。
「そんな、でも、今のお母様は……」
アコニさんの方を向いて、ニリナさんは弱音を溢します。
そうだよね、自分の家族があんな風に変わっていたらショックだよね……
「私、何もかも分からなくて……どうして、どうしてこんな事に!」
「ふん……そろそろ目障りだ。失せろ、ニリナァ!」
アコニさんは混乱するニリナさんに向けて手を振り翳しました。
すると、数え切れない程の本数の蔓が猛然と動き出して私達に迫ります。
突然の事で避ける事も出来ず……ニリナさんと私は、思わず目を瞑りました。
何となく分かってしまう。
この植物に纏わり付かれたら、もう助からない。
冷たい死を感じて心が凍え行く。
そんな私達の前に、ナイフを振り抜いたお姉ちゃんが立っていました。
横を見れば切り裂かれた植物の残骸が散らばっています。
私達には傷一つ付いていません。
その背中は頼もしくて……私にとっては、まるで太陽のようでした。
「たとえ分からない事ばかりでも、時は過ぎ行く。悩むばかりで立ち止まったままでは置いて行かれるばかりだろう」
僅かに振り向いたお姉ちゃんは淡々とした口調でこう続けます。
「私なら貴女を導いてやれる。私を信じろ」
「『TAS』の名において断言する。貴女ならやれる。だから、やれ!」




