18 突然の再会
音葉との間になにがあったとしても、別に凪の生活は変わらない。
「はぁ、学校崩れないかな」
気怠そうに起き上がるとジャージに着替えてから洗面所に向かった。
「おはよう凪! 昨日は遅かったな!」
「あーうん。色々根回ししてくれたんでしょ? ありがとう」
「気にすんなって。後でなんか奢れよ」
「はは、おっけー」
碧の調子はいつも通りでなにも無かったかのように豪快に笑っている。色々と聞きたいことはあるはずなのに、無理に問い質すようなことは今まででも一度もない。
「そういやおまえ部活とか入らねーの?」
「うーん、別にやりたいことないし。碧は?」
「金貯まってバイトやめてから考えるわ」
「身体動かす競技ならほとんどいけそうだよね」
「それなりに鍛えてるしな」
保健体育の授業で球技の選択があるが、凪と碧はとりあえずバスケを選んだ。
もちろん初心者の二人は技術も拙いのは当たり前だが、碧はそれを身体能力で無理矢理補ってしまう。
試しに飛んでみたら悠々とリングを掴み「これはいける」と思ったのだろう。バスケ部員がドン引きするようなダンクを叩き込んでいた。
それ以来、様々な部活から入部依頼が殺到しており、特にバレー部とバスケ部は顧問まで血眼になっているようだ。
「凪はあれだな。サッカーの監督とか向いてるんじゃね? 頭いいしスカウティングも完璧にやるだろ」
「それはもう学生ですらないよね」
どうでもいい話をしながら食堂へ向かうと、音葉と玲那が一緒に朝食を取っていた。
「おはよう」
「あおくん、凪くんおはよ〜」
「おはよ」
「……おはようございます」
挨拶を済ませると凪は皆から少し離れたところに座る。その微妙な空気を察して碧も凪の隣に座った。
「ありゃ〜、これはやばいやつだねぇ。元気出しておとちゃん」
「ありがとうございます。でも、大丈夫です」
音葉は普段と変わらない様子で食事を続けている。
碧は少し困ったような顔をしながら音葉と玲那のやり取りを眺めていた。
「凪、いいのか?」
「ん? なにが?」
「水瀬だよ。謝ってきたんだろ?」
「うーん。「謝る必要ない」って言ったよ? 実際そうだしね。別に無視し合ってる訳じゃないし、いつも通りでしょ?」
「うーーん。まぁ、そうか。そうなるかぁ」
むしろ凪は感心していたぐらいだ。
昨日のあのやり取りが無かったかのように、こうして日常に戻ることができるのだから。仮にも同じ寮に住んでいるのだから、お互いが過ごしやすい空気は大切だ。
――適度な距離を保ちながら生活する。
これが最優先だろう。
「んー、凪がそれでいいならいいか!」
「そうそう。碧はあまり気にしなくていいよ。心配しすぎだよ」
「そうかもな! よし! じゃあ準備して学校行こうぜ!」
あまり食欲が無くて残してしまったので、咲にバレないようにこっそり退室した方が良さそうだ。
しかし、やはり見つかってしまい朝からありがたい説教をいただいた。
◇ ◇ ◇
教室に入り自分の机に座ると、前の椅子に碧が座った。
思ったより早く着いてしまったので、別のクラスからわざわざ時間潰しにきたらしい。
教室内は凪達を含めてまだ五人しかいなくて、どうやら音葉も来ていないようだった。
すると碧がなにやら「うーん」と唸っている。
「なぁ、凪」
「ん?」
「昨日、動物園行くときあいつに似たやつ見たんだよな」
「あいつって?」
「ほら、ガキの頃に一ヶ月ぐらい遊んだの覚えてねーか? いつも泣きながら付いてきただろ?」
「覚えてるよ。でもそれがどうしたの?」
「だから、似たようなやつ見たんだって! それで、よく考えたらこのクラスにまだ一回も登校してないやついるよな?」
たしかにこのクラスにはまだ一度も登校していない生徒がいる。机はあるし名前も載っているので間違いない。
天ヶ瀬刹那。
おそらく女子生徒で、碧が指摘しているのはこの人物のことだ。
だが、昔一緒に遊んだ刹那とは苗字が違うので別人だと認識していた。
「でも苗字違うし」
「んー……だよな。俺の気のせいか」
刹那とは小学生の時によく遊んでいたのだが、当時はよく碧に揶揄われて泣いていた。思えば、そんな刹那をいつも慰めていたのは凪だった。
三人とも打ち解けてきたところで刹那は引っ越してしまい、それ以来一度も会っていない。引越しは親の転勤だったらしく、刹那は最後までそれを拒んでいたようだ。
(人形みたいな子だったなぁ)
当時の名前は門脇刹那。
家庭の事情で苗字が変わった可能性はあるが、さすがに同じ高校で同じクラスは出来過ぎだろう。
同一人物である可能性は低いと思う。
「刹那か。元気かなぁ」
「あいつ貧弱だったからな。きちんと飯食ってればいいけど」
「碧がいつも泣かせてたよね」
「いやー、面白くてなー。――っと、じゃあ俺そろそろ行くわ!」
「うん」
予鈴と共に碧は走っていった。
毎回思うのだが、もう少し余裕を持って行動した方がいいと思う。
教室の机が次々埋まると、担任が一人の女子生徒を連れて教室に入ってきた。
少女は俯き加減で顔が確認できないが、華奢で小柄な体躯のようだ。窓から入る風にさらさらと靡く長い黒髪は、なぜか既視感があった。
「ほら静かにして。えー、本日から学校に来れるようになった天ヶ瀬刹那さんです。皆仲良くするように。授業に追いついていないところがあるかもしれませんが、フォローしながら頑張っていきましょう」
担任からの紹介を受けて少女は顔を上げた。
「天ヶ瀬刹那です。体調が悪く入院していて学校に来るのが遅れてしまいました。ご迷惑をおかけするかもしれませんが、どうぞよろしくお願いいたします」
(……ん?)
教室内は一瞬でしんと鎮まり返る。
原因はやはりその少女で、男女関わらずその美貌に見惚れていた。
風を受けて揺れる漆のような黒髪、その間から覗く肌は新雪のような美しい白だ。
くりくりした目は愛らしく、そして彫刻品のように整った鼻。子供のように薄い唇はほんのり紅に染まっている。
今にも消えてしまいそうな儚げな雰囲気は、人を惹きつける独特の魅力があった。
しかし、皆が少女に注目している中、凪だけはすでに興味を失い外を眺めている。
「え、うそ。もしかして」
突然、少女は凪の机の前まで歩いていき、その顔を観察するようにじっと見つめた。
「なにか?」
「凪くん、だよね? 刹那だよ! 覚えてる?」
――やばい。
もちろん覚えているし、この子は良く知っているあの刹那で間違いないだろう。
だが、この状況は最悪だ。
予想以上の美少女に成長している刹那は、クラス内でもカースト上位ランクインは確定と思っていい。
とすれば、ここで返答を間違えると色々と面倒なことになってしまう。
――つまり最善手は。
「人違いだと思いますけど?」
「なんでそんなこと言うの? 碧くんの家に泊まったときお漏らしした――。むぐっ」
「おぉい!! 思い出した! そうそう刹那!」
素早く手を出してその口を塞ぐと、顔を近付けて耳打ちした。
「……話は後にして、目立ちたくないんだ。おまえアホみたいに可愛いから色々まずい」
「か、可愛い? ――うん、分かった」
こくりと頷くと、頬をりんごのように真っ赤にして空いている席に向かっていった。
クラス内の視線を独り占めする凪は「はは」と苦笑いすることしかできない。
そんな時、ふと音葉と目が合った。
(……どういう顔なのそれ)
今すぐ泣き出してもおかしくないような悲痛な表情で、その視線は縋りつくように凪を射抜く。
目が合ったのは一瞬で、すぐに音葉は前を向き直した。
「う〜ん、凪くんモテモテだねっ」
「呼び名がいつのまにか“凪“になってるのね」
「呼びやすいからね! それにしても天ヶ瀬さん凄いなぁ。水瀬さんに負けず劣らずの美少女」
愛葉の目から見ても刹那は相当なものらしい。
仮に刹那が昔のままだとすればかなり厄介なことになる。せめて碧が同じクラスだったらなんとかなったかもしれないが、凪一人で対処するのは不可能に近い。
これは、勅使河原に頼るしかなさそうだ。男子生徒の頂点ならうまく収めてくれるかもしれない。
休み時間になると、予想通り刹那の周りは人で溢れ返っており、その隙に勅使河原に話し掛けた。
「ねぇそこのイケメンさん。あの子なんとかしてくれない?」
「それは月島の役目だろ?」
「勅使河原の目から見て天ヶ瀬はどう?」
「物凄く可愛いよね。正直驚いてる」
「それは良かった。応援するから頑張って」
「うーん、それは無理じゃないかな。ほら、見てみ」
にこにこと楽しそうに笑う刹那は、早速できた友人といきなり恋バナに花を咲かせているようだ。
「天ヶ瀬さんって彼氏いるの?」
男女関わらず興味津々な様子で、刹那が口を開くのを今か今かと待っていた。
「いないよー。すっごく大好きな人はいるけどね」
目に見えて空気が凍った。なんなら「ピシッ」と音がした気がする。主に男子が集まっているあたりから。
頬を紅く染めながら刹那がチラチラと視線を送る先は――。もはや言うまでもない。
(や、やばい。本当にやばい。死ぬってこれ)
「よ、よかったね勅使河原! ほら、天ヶ瀬さん見てるよ?」
「月島。それは苦しいって」
わざとらしく勅使河原に振ってみても手遅れだった。
いつも読んでいただきありがとうございます。
よろしければ下記評価欄から星をいただけますと嬉しいです!