17 不協和音
ちょっと暗めのお話です。
野良の美少女がこんなところに一人でいたら嫌でも視界に入ってくる。どうせ帰る場所も一緒なので、あえて無視する必要もないだろう。
浮かない表情の音葉は、右手の人差し指で髪をくるくると弄って気まずそうだった。近くに碧と玲那の姿は見えないので、やはり放置されて一人行動になってしまったのだろう。
すると唇をきゅっと結んで、なにかを訴えるように上目遣いで睨んでくる。
「……楽しかったですか?」
「まぁそれなりに」
「腕組んだり、口拭いてあげたり、仲良さげでしたね」
本来は碧がすることを、代役としてしっかりこなしてしまったようだ。
まったく見られている感じがしなかったので、碧達とは優秀さ(?)が違うらしい。
「なんか妹みたいな? 水瀬さんもしたいの? なんて冗談――」
「っ! そ、そんな訳ないじゃないですか! たとえ頼まれてもお断りです!」
「そっか」
「そもそもあんなにべたべたして気持ち悪いだけです。愛葉さんが許したからといって、交際している訳でもないのに」
「そっか。気持ち悪かったかぁ」
「月島さんは他の男性と違って少しおかしいと思います」
「……おかしい?」
「はい、感覚がズレてるというか、変人というか――」
「……ズレてる……変人……そんなの分かってるよ」
いつもの毒舌には耐性があるが、さすがにここまで言われると頭にきた。一人で立っていたのが少し心配で話し掛けたのだが、どうやら本当に余計なお世話だったらしい。
「じゃあ俺帰るから」
「……あ」
凪は「じゃあね」と回れ右をしたが、後ろから袖を引っ張られて足を止める。
「まだ話は終わってません」
「もう話すことないよ。まだ明るいから大丈夫だろうけど、帰り道気を付けて」
掴まれている手を振り払うと時計を確認した。
(せっかく遠出したし、どっか寄って帰ろうかな)
今、音葉のことを考えてもイライラするだけなので、今日はもう関わらないで別行動した方がいいだろう。
お互い頭に血が上っていては論理的な会話も難しい。それでも無理に話そうとしてもお互い疲労するだけで、なにもいいことが無い。
歩き出そうしたら名前を呼ばれてそちらを向くと、碧と玲那が楽しそうに手を振っていた。
凪と音葉が一緒にいるのを見て、隠れるのは無意味と判断したらしい。
「ははっ! なんだ水瀬見つかったのか! せっかくだから凪も一緒に…………なんて嘘だ。さぁ帰るぞレナ、水瀬」
「私はまだ――」
「いいから帰るんだよ。凪もあまり遅くなる前に帰ってこいよー?」
「うん。ありがとう碧」
「だから、私は――」
「じゃ、先帰ってるからなー」
碧は、両手に花の状態で二人を無理矢理連れて行き、その場には凪だけが残された。
凪の表情を見て何かを察し、その原因が音葉にあると判断したらしい。
長年の付き合いなだけあって碧の対応は正解だった。仮にあの場で音葉が食い下がってきたら、とんでもなく傷付ける言葉を投げつけただろう。
多分、躊躇もしないし考慮もしない。
(ありがとう碧。……さて、適当にぶらぶらして帰ろ)
碧に感謝しながら一人で帰路についた。
◇ ◇ ◇
「なぜ私も連れてきたのですか? まだ月島さんとの話が終わっていませんでした」
「はいはい。あのな水瀬、俺に感謝しとけよ?」
「う〜ん、私もねぇ、あおくんが正しいと思うんだ〜。あの凪くんは怖いよ〜? 前も何度かあったしねぇ」
「どうして――」
納得のいかない様子の音葉に、碧は諭すように説明していった。
そもそも凪があんな顔を見せること自体が珍しい。
――全てが煩わしい。こんなに面倒なら一旦リセットしてゼロにしてしまえばいい。
昔、何度か見た表情だったので碧には確信があった。
面倒だと思ったら人間関係をリセットしようとするのは凪の悪い癖だが、それを咎めるなど碧には死んでも無理だった。
凪の回りには人が少ない。それは積み上げたものを意図的に崩してきたからだ。
碧はその原因を知っているが、頼まれても誰かに話す気はないし、そのまま墓場まで持っていくつもりでいる。
「凪も色々あるんだよ。帰ってきたら落ち着いてるだろうからその時に話せ。水瀬と凪どっちが悪いかなんて知らねーけど、多分おまえに非があるんじゃねぇの? だいたい今まではそうだったし」
「……前もあったと言いましたよね? 月島さんの昔になにがあったのですか?」
「ん? 話す訳ねーだろ。どうしても知りたかったら本人から聞けよ。ま、希望は薄いけどな」
音葉は凪との会話をひとつひとつ思い出していた。そして、自分がなかなかに酷い言葉を投げつけたことを自覚する。
「……謝ります」
「おう」
「それがいいねぇ。みんな仲良くが一番だよ〜」
「……ちっ。そんな真っ青なるぐらい後悔するなら言うなよ」
「……」
いっそ泣いた方が楽かもしれないが、それこそ凪の嫌いな人間な気がして音葉はじっと涙を堪えた。
◇ ◇ ◇
手元の時計を確認すると時刻は午後十時。
「ん……寝てた」
どうしても一人になりたくて近所の神社に来たのだが、ベンチで横になったらいつのまにか眠ってしまったらしい。
「メールとかは……無し、と」
多分、碧が気を遣って根回ししてくれたのだろう。無断でこの時間だと心配した咲から電話がくるので、画面になにも表示されていなくてほっとした。
「おかしい、か」
久しぶりに言われたが思ったより心に刺さるものだ。自分にとって嫌なことなど片っ端から忘れてしまえば楽なのに、凪の頭は忘れることすら許さない。
蓄積された記憶はふと思い付いたときにフラッシュバックする。
嬉しかったことも、悲しかったことも、その時目の前にいた人の表情もーー。凪の気持ちなど無視して脳内に映し出されてしまう。
辛いか、と聞かれたら辛い。
耐えられるか、と聞かれても耐えるしかない。
ーーPCの初期化のように脳もリセットできたらいいのに。
そんなことを何度も考え、そして何度も自嘲した。
(なにが天才だ。なにが神童だ。俺がこんなんだから――)
「……なに考えてるんだか。不毛だよね」
ベンチの上で仰向けになりながら夜空を見つめる。
昼間は雲が少なかったので予感していたが今夜は星月夜だ。無数にきらめく光の粒は、凪の心情など関係なしに美しく輝いている。
それは泣きたくなるぐらいに綺麗で、それと同じくらい不快だった。
誰かが「人は死んだら星になる」と言っていた気がする。
「それなら目の前の光景は墓場だよね。それを綺麗なんて言うのは……どうかしてる」
凪は上半身を起こすと背中をパンパンと叩いて埃を落とす。辺りを見渡してももちろん誰もいない。
「そろそろ帰ろ。さすがにこの時間なら誰にも会わないで済むよね」
碧にだけ「今から帰る」とメールしてからその場を後にした。
◇ ◇ ◇
アザミ荘に着いたのは午後十一時。
玄関の電気は点いているが食堂やリビングの電気は落ちていて、深夜独特の不気味な雰囲気が漂っている。
転ばないように靴を履き替えるとまっすぐ自室へと向かう。
「おかえりなさい。遅かったですね」
ドアの前で体育座りをしていた音葉は、凪の姿を目にするとゆっくり立ち上がって近寄ってきた。
「なにしてるの? 自分の部屋に戻れば?」
「あの、なにから話したらいいかーー。まずはごめんなさい」
「謝罪なんかしてほしくないし、求めていないよ」
「ですが……」
「今日のことは綺麗さっぱり忘れた方が楽だと思うよ。水瀬さんにはそれができるんだから」
「そんな顔で……笑わないでください」
凪と音葉の間には明確な壁が出来上がった。
音葉が一度は壊しかけたその壁は、より強固になって再び二人を隔てる。
結局、初めて音葉と会ったときに思ったことは正しくて、これから先も変わることはないのだと思う。
悲しいか、と聞かれたら少しだけ悲しい。
寂しいか、と聞かれたらそれも少しだけ寂しい。
嫌いか、と聞かれたらーー
「やっぱり俺、水瀬さんが嫌いみたいだ。おやすみ」
「……え」
なにか言いたそうな音葉の声を遮るようにドアを閉めた。