13 実地訓練②
ドアを開いて外に出ると脇の方から男女の会話が聞こえてきた。
ひとつは音葉。もうひとつはクラスメイトの男子生徒のものだ。視線を向けずとも頭の中でその人物を特定できた。
(勅使河原英人。水瀬さんを好きな奴だな。さて、どうしようか――)
まだ音葉とは視線すら合わせていないので、なんとかするなら今しかない。かなり苦しい言い訳になるが“偶然会った“でなんとかしよう。
もしくは、気付かれないようにこの場を離れるのもアリだ。むしろそれが一番いいまである。
しかし、その希望はすぐに砕かれる。
「あ、月島くんじゃないですか(逃げないでください)」
「偶然だね水瀬さん(このアマ)」
一見すると満面の笑みだがその瞳は笑っていない。「逃がさない」という執念が伝わってきた。
「ん? 月島か? 偶然だな。ていうかおまえかっこいいな! びっくりした!」
「そうか? それはありがとう」
「アクセショップでなにしてたんだ? もしかして彼女いるのか? なんだよ隠してたのか」
「ま、まぁそんなところかな」
「やるじゃん!」
(うーん、こいつって実は結構いい奴なんじゃ)
賛辞の言葉に嫌味がなく、むしろ喜んでいるようにも見える。
音葉と付き合ったら案外上手くやるのではないだろうか。
「音葉ともさっき偶然会ってさ! 珍しいよなクラスメイト三人がこんなところで」
「はは、そうだね(単純で助かった)」
「そうですね(単純で助かりました)」
それにしても改めて見ると勅使河原の容姿は優れている。碧と別種の正統派イケメンという感じで、彼女がいないのが不思議なぐらいだ。
(そうか、こいつは一途なんだ)
軽い雰囲気に騙されそうになるが「とりあえず付き合ってみた」なんて話は一切聞かない。きっとそれだけ音葉に対して本気なのだと思う。
とすれば、今自分がやっていることはどういう意味を持つのか。
(はは。最低だな俺)
好きでもないのに休日に音葉を連れ回している。付き合ってもいないのに手を握り、恋人のようなことをしている。
たまたま見られなかっただけで、勅使河原がそんな場面と直面したらどう思ってしまうのか――。
別に自分が嫌われるのは構わない。だが、それが原因で勅使河原の心を傷付けてしまうのなら、きっとそれは間違っている。
「月島さん?」
「じゃ、俺は帰るんで」
「……そうですか。ではデートはここまでということですか!?」
「お、おい!」
きょとんとしていた勅使河原だったが「え? そうなの?」と不思議そうな顔をしていた。
凪は音葉の腕を引っ張ると、勅使河原から少し離れたところまで連れていく。
「さすがにやばいでしょ!」
「知りませんよ。勝手に帰ろうとした月島さんが悪いです」
「いや、ほら。勅使河原は多分、水瀬さんのことが――」
「知っていますよ。それを知っているから月島さんは今罪悪感でいっぱい。違いますか?」
反論しようにも、的確に心情を言い当てられてしまい言葉が出てこない。
「私の気持ちは無視なんですね」
「水瀬さんの気持ち?」
「私は勅使河原さんに誘われても断りますよ。月島さんだから来ました」
「誘ったのは水瀬さん――」
「とにかく! 恋人とはいかなくとも私はそれなりに月島さんに良い印象があります」
「勅使河原よりってこと?」
「そういうことです」
音葉の気持ちは分かったが、こうして勅使河原を放置する訳にもいかない。
ここまで拗れると上手く誤魔化すのは難しいだろう。だとすればいっそのことすべて話した方がマシかもしれない。
凪は勅使河原に近寄ると、大きく溜息をついてから口を開く。
「色々誤解があるんだよね。水瀬さんと俺の関係とか今回のこととか。とりあえず説明したいんだけど、どうだろ?」
「了解! いいよ、じゃあどっか座れるとこ行こうか!」
音葉はまだ納得していない様子だったが、三人で近くのマック入ることにした。
四人掛けのボックスだが、凪が先に座ると音葉は当然のように隣に座る気がしたので、先に勅使河原を座らせてからその隣に凪が座る。
その意図に気付いたらしい音葉は、さらにむっとして手がつけられない状態だ。
「ほら、水瀬さんもとりあえず座って」
「……分かりました」
「それで、二人はどんな関係なの?」
「えーと、まずは俺と碧が住んでいるところ分かる?」
「たしか寮みたいなところだよな?」
「そうそう。で、簡単に言うとそこで水瀬さんも生活してるんだよね」
「マジで!?」
「はい。本当です」
音葉が引っ越してきたこと。愛葉の名前は伏せたが、彼氏役を頼まれたということ。そして今日は事前準備で音葉を頼ったこと。
包み隠さずすべてを話した。
話している間、勅使河原は一切口を挟まずじっとしていた。やはりこいつは思ったより話の通じる相手だと思う。
「なるほどなー。月島も色々大変なんだな」
「まぁね……そんな訳で、俺と水瀬さんはただのアザミ荘の同居人ってこと」
「そういうことか! いや、デートって聞いて本当にびっくりしたわ!」
「それと、言うまでもないと思うけど、ここまで話した件は内密に」
「おっけ! 信用していいぞ、絶対話さない!」
勅使河原が快く了承してくれて一安心だ。
「それにしても……月島って話してみるといい奴だよな! それに容姿整えればめっちゃかっこいいし!」
「そう? ありがとう」
「うん! でも俺の方が月島よりちょっとカッコいいだろ?」
「どうあがいても俺は勅使河原みたいにはなれないって」
「ははっ! 冗談だって!」
勅使河原の屈託のない笑顔を見ていると、自分がどうしようもなく小さい人間に思えてくる。
思い返すと、凪が女子連中から馬鹿にされていた時、真っ先に止めに入ったのも勅使河原だった。音葉の気を引くための行動だと決めつけていたが、どうやらそれだけではなかったらしい。
ただ、自身が心から許せないと思ったから動いただけなのだろう。
(それを邪推してる大馬鹿が俺か。ほんと救えないよね)
そんな自分自身に呆れて変な笑いが込み上げてくる。「ふっ」と小さく息を吐きながら自嘲した。
「ま、そういうことだから。俺に気遣いは不要だよ」
「ん? 月島に気を遣う?」
「水瀬さんのこと好きなんでしょ? 俺のことは気にしなくいいよって意味」
「え!? そんなバレバレだった!?」
勅使河原は恐る恐る音葉の方を向いたが、音葉は少し気まずそうに頷いた。
「うーん、まぁ、それで間違いないんだけどさ。……ちょっと無理だなって思って諦めることにしたんだ」
「そうなの? 俺は希望あると思うけど」
「はは……それは月島が言っちゃだめだって。いや、なんかさ、今日の音葉見てたら「あ、これは絶対無理だ」って思っちゃった」
話している意味がよく分からないが、どうやら音葉を彼女にするのは諦めるらしい。
その場に気まずい空気が流れると、勅使河原が耳打ちしてきた。
「ちょっと音葉と二人で話したいから席はずしてくれないか? トイレとか」
「ん。分かった」
突然立ち上がった凪を見て、音葉は慌てて自分の荷物を片付けている。
「帰らないって。トイレだよ」
「……本当に勝手に帰ったら許しませんからね」
「はいはい」と言いながら凪はトイレに向かった。
勅使河原は凪の背中が見えなくなったのを確認すると、ひそひそ声で音葉に話し掛ける。
「ごめんな、デートの邪魔しちゃって。月島来る前に俺は帰るから」
「別に気にしていませんよ」
「ははっ、嘘ばっか! 鏡で自分の顔見てみたら?」
「……」
音葉は何も言わず、少しだけ視線を下に向けた。そんな姿を見て勅使河原は「ほらね」と呟く。
「いくら俺が誘ってもだめだったでしょ?」
「……はい」
「でも月島とはすんなり二人で出かけてるじゃん?」
「……まぁ」
「好きなんでしょ?」
「月島さんはそんなのじゃありません。仮に……本当に仮にですよ? 私が彼にそういった想いを抱いたとしても、きっと受け入れてはくれないでしょうね」
さらに落ち込み始めた姿を見て、勅使河原は呆れたように笑う。
「二人とも面倒な方向に拗らせてるなぁ。音葉はまだ多少自覚ある分マシだけど」
「……」
「とにかくだ。音葉が月島をどう思ってるかは知らないけど、あいつを落とすのは相当大変だと思うぞ。アホみたいに鈍い上に、無駄にガード固そうだし」
「ですから、そんなことを考える必要はありませんので」
「はいはい。邪魔者は帰りまーす。月島によろしく伝えといて」
勅使河原はテーブルに五百円を置いて立ち上がると、ちょうどトイレから戻ってきた凪と顔を合わせる。
「あーあ。おまえマジで自覚しろよな? 音葉がかわいそうだ」
「は? なんの話?」
「勅使河原さん!!」
「今度こそ帰りまーす」と明るい口調で店から出て行ってしまった。自分がいない間になにかあったのだろうが、音葉の様子は先程までとは少し違う気がする。
不審に感じながらもとりあえず席に着く。
なにをどう話していいか分からず困っていたが、先に口を開いたのは音葉だった。
「帰りましょうか」
「……ん。そうだね」
帰り道は二人とも無言で、音葉は俯いたまま歩いていた。
勅使河原がなにを言ったのか知らないが朝とは明らかに雰囲気が違う。こんな時、気の利いたことでも言えればいいが残念ながら凪には無理だ。
そもそも音葉がなにを考えているのか分からない。
怒っているのか、呆れているのか、それとも悲しいのか――。
いくら考えてみても解は見つからず途方に暮れる。
(弱ったな。どうしようこの雰囲気。胃が痛い。……あ、そういえば!)
ポケットの中に手を入れると、昼に買ったそれを取り出した。
「ちょっといい?」
「はい、なんでしょう?」
「これ」
「え?」
「開けてみて」
――プレゼントを目の前で開封されるのはこんなにも恥ずかしいものか。
そんな空気に耐えきれず凪は明後日の方向を向く。
そもそも、異性からのプレゼントなど受け取るのだろうか。これだけの美少女なのでそんな場面はいくらでもあったと思う。
そんなことを考えていたら、いつかのやり取りを思い出した。
『異性からの贈り物は基本受け取りません』
『へー、それはまたどうして?』
『自惚れている訳ではないのですが、その……数が多くて。一人から受け取ってしまうと、その人を特別扱いしないように皆から受け取らなくてはいけません。それを回避するためです』
とても大事なことを忘れていたようだ。
「ごめん! 受け取らないんだよね。忘れてた!」
「……綺麗。本当にいただいてもよろしいのですか?」
「いいよ。それはいいんだけど――」
「どうですか? 似合いますか?」
――そんなに嬉しそうにされたら、もうなにも言えないじゃないか。
白い歯を覗かせて嬉しそうに笑う姿は、普段の彼女とは違って子供っぽく無邪気に見えた。
そんな屈託のない笑顔を見ていると、本当に買って良かったなと思う。
胸元に手を当てて「大事にしますね」などと言われてしまえば、どれだけ鈍感でも多少は心が動くだろう。
「とりあえず機嫌が戻ってよかったよ」
「別に怒っていた訳ではありません。ですが……もういいんです」
「そっか」
「あ、やっぱり怒っていました。はい、握ってください。家に着くまでがデートですよ凪くん」
「えぇ……」
諦めて手を重ねると、今度は指を絡めてしっかりと握ってくる。
凪は小さく溜息をつくとその手を握り返した。
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