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01 最悪な出会い

 

「その顔やめてほしい。嫌いなんだよ」

「え?」


 顔は腫れ爛れ、余すところなく全てに痛みを感じる。鼻血を拭うと制服の袖に鮮血が着いた。雨に打たれた身体には寒さと激痛が交互に襲ってくる。


 目の前に差し出された手は震えていて、きっとそれは寒さのせいだけではない。透き通るような白い手から溢れる水滴は場違いに美しく、同時にとても残酷に思えた。


 なぎは目の前の手を払い除けながら立ち上がる。これだけボロボロだと無意味かもしれないが、汚れた手を申し訳程度に拭うと、身体の汚れを叩いて落とした。


「あ、あの。これ使ってください。今すぐに救急車を――」

「いらない」

「でも!」

「いいから。俺は帰るよ」

「……せめて手当てだけでもさせてください。お願いします。私のせいでこんな!」

「いらない」


 よく見たら、目の前の少女は完璧に近い容姿を持っている。襲われてしまうのも納得してしまうほどだった。外灯から僅かに照らす光ですらそう思えてしまうのだから、陽の下だと更に整って見えるのだろう。


 だが、そんな事は凪にとってはどうでもいい。


 その場で屈伸したり腕を伸ばしてみたりしたが、打撲の痛みこそれあれ骨折はしていないように思う。ポタポタと鼻から落ちる鮮血は、音も無く足元の水溜りに落ち、鮮やかな赤を広げながら消えていく。


 どれだけ拭いても湧き出る血が鬱陶しく、シャツの袖を破いて鼻に詰めた。家までならどうにかこれでもつだろう。


(はは。こんな姿だと碧怒るかな)


 ――生きていればこんな日もあるよな。


 凪は濡れた前髪の隙間から目の前の少女をじっと見つめる。その独特の雰囲気に圧されたように、彼女は半歩後ろに下がった。


「帰れば? 俺も帰るし」

「せめて治療を……」

「いらない。じゃあね」


 今度襲われても知ったことではない。「帰れ」と言っているのに従わないのなら、もう自己責任としか言えないだろう。


 凪は左脚を引き摺りながら帰路についた。呼び止められても振り返るつもりなどなかったが、どうやらその心配だけはなさそうで安心する。





 ◇ ◇ ◇





 月島凪つきしまなぎ。今年から高校一年生になった。上背は185cmほどで体型は細身。お世辞にも健康的とはいえない肌色で、伸びた髪は目の半分を覆っている。


 特徴的と言えばその髪色だ。茶よりは赤に近いような色合いでなかなかに珍しいらしい。しかし、碌に手入れもしないため野暮ったい印象を受ける。

 そして教師への受けが非常に悪い。ついでに女性受けも悪い。


 他人に語れる大層な夢など無いし、将来の展望など説明するまでもない。ただ今日一日を生きていればそれでいいと思っていた。


 そんな凪だが、唯一誇れる事があるとすれば友人の存在だろう。こんな自分でも側にいてくれたのだから、それだけで神様に感謝したいぐらいだ。


「どうした凪!! おい!! 酷い傷じゃねぇか!!」


 玄関の門の前でスマホを操作していた男は、尋常じゃない凪の様子を見て慌てて駆け寄ってきた。


 この男が凪の親友である八神碧やがみあおだ。

 フェードカットにした髪型が特徴的で、好戦的な目つきをしている。上背は凪より少しだけ低いものの、身体は引き締まっていて、いかにも女性が好みそうな体型だろう。

 説明するまでもなく女性には非常にモテる。


 凪とは腐れ縁で幼少期からの付き合いだ。昔色々あってから碧はずっと側に付いてきた。高校受験の時も「俺の進学先は凪と同じだ」と譲らない程で、その時は凪も少々困惑した記憶がある。


 そして中学の時からずっと住んでいる“アザミ荘“。

 料亭を改築したシェアハウスみたいなものだろうか。大家は碧の親戚で、そのおかげで凪もここに身を寄せていた。


 凪達の他にも住人はいて、それぞれとそれなりに付き合いはあるものの、一緒にどこかに遊びに行ったりなどの親交は無い。もっとも、それは凪が拒否しているのが原因だったりする。


「家入れよ。濡れるよ」

「何言ってんだ! ほら、肩貸すから掴まれ」

「ごめん」

「ばーか。変な気遣いしてんじゃねぇよ」


 肩を借りながら門を潜ると、もう片方の肩を女性が支えた。二人の姿を見て飛んで来てくれたらしい。


「もう! 何してきたの凪くん!」

「すみません咲さん」

「いいから早く来なさい! 手当てしないと!」


 大家である八神咲やがみさきは碧の叔母にあたる人で、生涯独身を決めてアザミ荘に住んでいる。


 目鼻立ちは碧とそっくりで、ちょっときつめの美人という印象なのだが、性格はおっとりしていて皆に優しい。凪にとっては母のような人だ。


 リビングで手当てを受けながら事の経緯を説明した。


「男六人で女一人を? クズだな」


 嫌がりながらも連れ去られる少女は、凪の姿を見つけると必死に目で助けを求めていた。辺りは既に薄暗く人通りも無い。


 そういう場所を選んでいるのだろうから、当たり前の話ではあるが――。


 警察に連絡しようにもスマホを持ってきていなかった。一度は見なかったフリをして通り過ぎたのだが、結局単身で現場に乗り込んでしまう。


 散々リンチされて蹲っていると、男達の一人が怖くなってしまったようで退散していった。どうやら本気で凪が死んでしまうと思ったらしい。


「そいつらの特徴は?」

「知ってどうするんだよ」

「決まってるだろ。全員殺す」

「こら! 物騒な事言わないの!」

「いいよもう。あの女も懲りただろうから、気を付けるでしょ」

「いや、俺はその女も殺してやりたいぐらいだ」


 凪は少し困ったように笑った。


 碧はいつだった本気で、特に凪が関わったとなるとより一層熱が入る。彼女ぐらいならすぐにでも作れそうなのに、こうしていつも凪の心配ばかりしていた。


「本当にあおちゃんは凪くんが大好きね」

「あおちゃんはやめてくれよ」

「いいじゃない。可愛いし」

「はぁ……」


 咲さんの前では碧も形無しで、なんだかんだで説得されて頭を撫でられるまでがセットだ。勿論、碧はその手を振り払うのだが、咲はそれでもニコニコと聖母のように微笑んでいる。


 碧はソファに腰掛けると、背もたれに身体を預けて宙を仰ぐ。


「で、その女は同じ高校の制服だったと?」

「多分だけどね。同じクラスだったような気がする」

「クラスメイトの名前ぐらい覚えろよ」

「遠慮しとくよ。特に困らないし」


 見覚えある顔だったのでほぼ間違いないのだろう。それは別にいいのだが、凪としてはその少女が嫌いだ。いや、今日()()()()()()


「でもあれだな。向こうも気付いてるだろうから絡まれるかもな。やっぱガツンとやっとくか?」

「それはダメだって。いいんだよ本当に。俺あの人嫌いだし」

「たいして話してもいないのに嫌いときたか。凪っぽいな。ぱっと見どんな女だったんだ?」 

「さぁ、どうだろ。かなり可愛い人だったとは思うよ」

「へー、おまえがそんなこと言うの珍しいな」

「ただの事実だしね」


 真顔で「可愛い」と話す凪は、特にその言葉に意味を込めることもなく淡々としている。表情と言葉が合っていないと良く言われるが、今もまさにその状態らしい。


「とりあえずなんかあったら言えよ」

「ありがとう」

「おう!」


 二人はクラスがそれぞれ違う。だが、碧は時間があると凪に会いに来るため、それが一年生の中での七不思議にもなっていた。


 第三者から見ると確かにおかしな組み合わせだろう。クラスの中では存在感が薄く、若干嫌われてすらいる凪だ。そんな男に校内でも有名な碧が好意的に絡んでいるのだ。


 碧の影響力もあって凪にいじめの類は一切無い。以前一度だけそんな事があったが、碧がすぐさま「型にはめた」らしい。


(きっと彼女も俺の人生には関係のない人種だね。住んでいる世界が違うんだろうな)


 おそらく明日は話し掛けられるぐらいはあるだろう。でも、きっとそれだけだ――。


 痛む身体を撫でながら凪は床に就いた。





 ◇ ◇ ◇





 翌日。


 昨日より痛む身体を力ずくで動かし、少し無理をしながら学校へと向かう。咲さんには心配されたが、だからといって学校を休むつもりはない。


「大丈夫か凪? もう少しだ。肩貸すか?」

「平気だよ。ありがとう」


 いつもは自転車なのだが、身体がこのような状態なので徒歩での通学となった。なかなか辛い道中だったが校門が見えてきてひと安心する。


 すると、校門の横にじっと立っている女子生徒の姿があった。すれ違う生徒達は、必ずと言っていい程その女子に視線を向けている。


 女子生徒は凪の姿に気が付くと、ただじっと見つめてきた。


 凪は視線を合わせないようにして、静かに横を通り過ぎようとしたが――。


「あなたでしたか。月島凪さん」

「どいてくれませんか。早く教室に行って椅子に座りたいんです。分かりますよね?」

「――ッ!!」


 悲壮な表情を見せた少女だったが、そんな事は凪にとってはどうでもいい。足を止めることなく校内へと向かって歩く。


「あ、あの!」

「おい、そうか……てめぇだったのか。俺には関係ねぇけどよ。凪が辛そうなの分からねぇか? 黙ってろ」

「あ……」


 碧が言い過ぎなのは分かっていたが正直ありがたい。本当に余裕がなくて今すぐにでも横になりたいぐらいだった。


 教室に着くと、クラスメイト達は凪を見て驚いている。喧嘩などとは縁がない人種なので、ちょっとした事件のように噂話は広まった。


 担任から色々と聞かれたが、全て「階段から落ちました」で回答し、何を聞かれても壊れたラジオのようにそう繰り返す。結局は担任が先に折れて「気を付けなさい」と言われて決着した。


 昼食を終えて外を見ながらぼーっとしていたら、目の前に朝の女子生徒が立っている。どうやら凪から何か言うのを待っているらしい。


 クラスの中のほぼ全員が二人のやり取りを凝視していた。さすがにこの状況で会話するのはキツいものがある。


「あんた有名人みたいだから、ここで話すのは都合悪いんじゃないですか? とりあえず外行きません?」

「あんたではなくて、水瀬音葉です」

「えーと、それじゃあ水瀬さん。先に外行っててくれますか? 美術室の裏あたりでどうでしょう?」

「分かりました」


 凪の意図を汲み取ったのか、音葉は言われた通り先に指定場所に向かった。二人で一緒に向かうなど御免だったので、言うことを聞いてくれたのはありがたい。


 少女の名前は水瀬音葉みなせおとは

 校内では凪以外で知らぬ者はいない程、超が付く有名人だった。


 胡桃色のさらさらと光沢のあるショートヘアーはよく手入れされていて、陽の下では風に靡いてキラキラと輝く。染髪はしていないらしく、あくまで産まれ持った色合いのようだ。

 透明感のある白い肌は遠目で見ても滑らかで美しい。あとは良く整った鼻、薄桃色の唇、そして長い睫毛に覆われた大きな瞳。それらの完璧なパーツを取り付けたら水瀬音葉の完成だ。

 髪の色と瞳の色が同一なのも生まれつきらしい。


 唯一の欠点と言えば運動だろうか。入学式で新入生代表を務めた才女だが、身体を動かすという点だけは人並みか、それ以下だった。


 ようは容姿端麗、文武両道からちょっとだけ“武“を引いたような人間だ。限りなく完璧には近い。


 そんな才女と接点を持ってしまった凪は、果たして幸か不幸か――。


「不幸だろうな」と思いつつ待ち合わせの場所へと向かう。





 ◇ ◇ ◇





 音葉は落ち着かない様子で、行ったり来たりを繰り返していた。自分相手に緊張も糞もないだろうに――。


「あ!」

「それで、用件はなんでしょう?」

「怪我の具合……どうですか?」

「見ての通りですよ。しんどくてぶっ倒れそうです」

「ごめんなさい」

「謝らなくていいです。俺が勝手に首を突っ込んで勝手に殴られた。それだけ」


 気を遣う様子が皆無な凪を見て、音葉はただただ申し訳なさそうに項垂れている。


 こんな時、要領の良い人であれば、相手を思いやった優しい言葉がポンポンと出てくるのだろう。


 だが、凪にそれは無理だった。罪悪感を感じないように考慮するならば、やれることはひとつ。


「水瀬さんは俺に手を差し伸べた時、自分がどんな顔していたか分かる?」

「え? ……いえ」

「「この人怖い」あるいは「この人何かおかしい」って感じの顔だったよ?」

「そんなことない!」


 必死に否定する音葉の様子は、とても嘘をついている人間のそれではない。だが、凪は畳み掛けるように話を進めた。


「そんなことあるんです。あのとき言ったでしょ? “嫌い“って」

「そんな」


 多少盛って話したがこれは凪の本音だった。音葉はきっと良い人なのだと思う。だが、現在進行形で凪は音葉という人間が「嫌い」だ。どうでもいい、ではなく明確に「嫌い」だ。


 だから取り繕うこともしないし、好感度なんぞ知ったことでない。


「……助けていただいてありがとうございました。怪我が原因で不便なことがあったら教えてください。それで今回のことは終わり、でよろしいですか?」

「はい。不便なことはありませんし、もう構わなくていいです」

「分かりました。では、迷惑そうなので私はこれで――」


 立ち去ろうとした音葉だったが、振り返って一言だけ置いていった。


「私もあなたが嫌いになりました」

「それはどうも」


 昼休み終了の予鈴が鳴ったが戻るのも面倒だ。そのまま木の横に座ると、雑草の絨毯に寝そべって空を見上げた。


(そういえば、咲さん以外の女の人とこんなに話したの初めてか)


 春風が傷付いた肌をなぞるように吹き抜けていく。草が擦れる音、虫の鳴き声、陽光の暖かみ。全てが子守唄のようにすーっと入ってきて、凪はそのまま眠りについた。


最後まで読んでいただきありがとうございます。


ひとつ目の小説の執筆に少し悩んでいまして、こうして新たな気分で執筆してみることにいたしました。


もうひとつの方も更新はいたしますので少々お待ちいただければ幸いです(更新頻度は落ちるかもしれません……)


よろしければ、感想やレビュー、星をいただきますと嬉しいです。

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