56、邂逅
「はいはいそうですね。私がお節介ならディラン様は偏屈冷徹メガネですわね」
「はい?今何と?」
やばい怒らせちゃったかな?でも先に言い出したのはそっちだし私悪くないもーん!一瞬の焦りを誤魔化すかのように半ば開き直り状態の私を見て、ディランは呆れたようにその眼光の鋭さを弱めた。
「…もういいです。貴女と話していると疲れます」
「それほどでも」
皮肉を返すのは何もディランだけの特別仕様じゃない。私だってやる時はやる女よ!
少し長めの沈黙が再び続いた後、彼は盛大なため息をついた。眼鏡の奥の気の強そうな瞳が伏せられると、長いまつ毛が目にかかり顔に影が出来る。
「…がっかりしましたか?私がこんなにも必死で勉強する姿を見て。宰相の息子として、ルーク様の右腕として完璧を求められている私が、蓋を開けてみれば何の才能もない凡人だったことに」
確かに普段の姿からは今の様子は想像出来ない。しかしそれが何だと言うのだろうか。なぜそんな風に悲観的になっているのか理解出来ない。その血の滲むような努力も才能の一つであるというのに。
「ディラン様は今までずっとそうしてきたのですか?」
「そう、とは?」
「誰に頼ることもなく、一人で努力してきたのですか?その心意気は素晴らしいものだとは思いますわ。ですが私も貴方もただの人です。一人で出来ることには限界がある。誰かに教えを乞うことは恥じることではないですわ。貴方が一言助けを求めれば、手を差し伸べてくれる方が沢山いるでしょうに」
「…ですが!私は宰相の息子です!これくらい出来て当然で…こんなことも出来ないのかと周りを失望させてしまいます!」
「そんなことで失望するくらいならその程度の人間というだけですわ。つまりディラン様は、ルーク様やカイルもその程度の人間だと思っておりまして?」
「っ!!そんなことは!!」
「じゃあいいじゃないですか。たまには弱みを見せて頼ってくれる方が二人も喜ぶと思いますけどね」
「…人に頼る、ですか。…フッ、そんなことをいうのは貴女が初めてですよ。…私には到底出来ない」
「出来ますわ!ディラン様の努力し続ける姿勢を見せれば誰だってきっと協力したくなります。一人で全て背負い込む必要はないのですから」
少しでも私の思いが届くように一つ一つ丁寧に言葉を紡いだ。だが、それでもまだ彼の心には届かない。
あと少し、何か…何かないだろうか?彼に響く何かが。
「…言葉だけではなんとでも言えます」
「いいえ、私は貴方を正面から見て心からそう思いましたわ。ディラン様の先程のペンを見れば分かります。塗装が剥げるまで使い込まれていますわね?その状態のペンは買い替えるのが普通ですが、貴方の場合、使い込み過ぎてペンがすぐその状態になるのでは?いくら貴族といえど、そんなに頻繁に買い替えることは出来ませんわよね、特にキャンベル家の紋章入りのペンは」
そこまで聞いたディランは、何か逡巡するように口をつぐんだ。それにしてもここまで追い詰められているということは、宰相の息子という立場は相当なストレスなんだろう。
しかもそれを自己解決でどうにかしてきたとは、なんというか…あまりにも無茶が過ぎる。
無茶するだけで解決するなんて相当なポテンシャルの持ち主ではあると思うのだけど。
「…本当に、よく見ている人だな…」
小声でディランが何か言った気がしたが、それがこちらの耳まで届くことはなかった。
今まで完璧に見せていたもの全てが彼の努力の結晶だと知った時、尊敬だけでなく感服した。人は諦めず努力すればここまでの高みに到達出来るということを理解させられたのだ。私の知る限り彼以上に目標のため努力出来る人は見たことがない。
周りの人間に冷たく感じるのも、それ以上に自分自身に厳しくしているからの弊害だ。
「貴女の言い分はよく分かりました。では早速ですが、アイリスさん。貴女はとても成績が優秀でいらっしゃいますよね?ならば私に勉強を教えてください」
唐突に言われた言葉に、頭の理解が追いつかなかった。今、なんて?もしかしてあのディランが私に教えを乞うているというのか。あれだけ私のこと嫌いみたいだったのに。
「えっと、私ですか?私じゃなくてルーク様とかでもいいんじゃ…」
「そこは私にも男としてのプライドがあります。将来仕えるだろう主の手を煩わせるなんて出来る訳ないでしょう?それに、言いましたよね?周りに頼れ、と。ああそれと、こうも言ってましたっけ?努力する姿を見せれば誰もが協力したくなる、とか」
…これはとんでもない墓穴を掘ったみたいだ。私が彼に言ったこと全てがカウンターパンチで私に返って来る。今の私には彼を説得する方法が思いつかない。
確かに言ったよ!?言ったけどね!?ディランがこんなにも思い切りの良い性格だったなんて知らなかった。
「…そうですわね、確かに言いましたわ。でも私も私の勉強がありますから、その合間で良ければ」
「何、そこまで深く考える必要はありません。こうして一緒に勉強していただければ、必要最低限の質問しかしませんし。その対価はちゃんとお支払いしますよ」
彼の眼鏡の奥のアメジスト色の瞳が怪しくキラリと光った。そのまま顔に手をついてこちらを下から見上げる様に不覚にもドキッとしてしまう。いつも固く真っ直ぐに結ばれている口元を緩ませ口角を上げると、彼は私の目をしっかりと見ながらこう言った。
「私のことが知りたい、でしたっけ。教えて差し上げますよ、これからたっぷりと」
…これは、ルーク様以上に厄介な相手に目をつけられたようだ。
反射的に背筋がゾワっとするのを感じながら、私はただ頷くことしか出来なかった。




