49、世界が変わる時
※カイル視点
いつからだろう。彼女の姿を見て心が騒ぐようになったのは。気づくといつも目で追っていて嫌になる。昔の自分がもし今の俺見たら、きっと鼻で笑い飛ばすに違いない。そんなこと有る訳ないだろってさ。彼女との関係が急激に変わったあの事件の夜から、俺はどうかしてしまったみたいだ。
* * * *
「アイリスちゃん、これどこまで運ぶの?俺手伝うよ」
「ありがとうございます!じゃあ倉庫までお願いしていいですか?」
あの事件の後も何事もなかったかのように日々は繰り返される。先日の一件以来、妙に彼女の一挙一動が気になって仕方ない。いつも通りにテキパキと仕事をこなすアイリスと、それを手伝うサークルメンバー。何も変わらない日常だ。
「アイリス〜、ごめん!!これ、壊しちゃった…」
「大丈夫ですよ、予備のものがあるので用意しておきますね」
なんだか距離が近くないか?そんなに近づく必要ないだろ。それにアイリスの仕事をこれ以上増やすな。
そのやり取りを見ただけでどこからかモヤモヤした感情が湧いてくる。俺は行き場のないイラつきを発散するように地面の小石を蹴飛ばした。
「ん?どうした、カイル。今日何か機嫌が悪くないか?」
「…別に。何にもねーよ」
そうだ、至って普通の光景だろ。何イライラしてんだよ。アイリスとはようやく友達になれたんだし、こんな気持ちは友達に向けるべきものじゃない。…ありえないだろ、俺。
いつもの景色のはずなのに無性にムシャクシャした自分に戸惑いを隠せなかった。俺がまるで嫉妬してる…みたいな。自分がこんな感情になったのは初めてで、どうしていいか分からず不安になる。
そんな自分のおかしな様子に気づいたのか、彼女がトコトコとこちらの方へ駆け寄って、心配そうな表情を浮かべた。
「カイル、どうしたの?もしかして具合が悪かったりする?それなら保健室に、」
「あ、ああ!全然大丈夫だから。少し腹が減ってただけ」
突然の上目遣いに不覚にも心臓がドクンと跳ねたのを感じた。…くっそ!可愛いな!
可愛い…?まさか俺、今可愛いって思ったのか?こいつに?
一度そう自覚してしまえばフィルターがかかったかのように彼女がキラキラして見える。確かに彼女は俺の贔屓目を抜いても可愛いといわれる部類に入る。
他とは違う特別な色はもちろん人の目を引くのだが、よく手入れのされた夜空色の髪は肩の辺りでふわっとウェーブがかり、スッと通った鼻筋にフェイスラインが美しい。そこまではかなり大人っぽく見えるのだが、丸く大きな黒曜石の瞳が彼女の愛らしさを引き出して絶妙なバランスで成り立っている。
黙っているとクールビューティーで近寄りがたいオーラを放っているが、いざ彼女と親しくなってみると表情の豊かさや可愛らしさを感じて、そのギャップにやられる男子は数多いだろう。
今のところ彼女の交友関係はとても狭いようでその魅力はバレていない。しかしうちのサークルメンバーにも彼女に少なからず好意を抱いているメンバーはチラホラといるのだ。
きっと気付いていないんだろうな、こいつ。
「そっか、ならいいんだけど。あ、じゃあこれあげる!カイル、飴好きだったよね?」
そう手渡されたのは可愛らしいパッケージに包まれたりんご味の飴だ。りんご味の飴は俺のお気に入りで、よく休憩の間に舐めていたのだが、それをアイリスに伝えたことは一度もないはずだ。
「あれ、違ったか…。じゃあ別のものを」
「いや、これでいい!サンキュ、でも何で俺の好物知ってんの?」
「そりゃあいつも見てたから分かるよ。カイルって意外と甘党だったり?」
…本当に、こういうところだ。こういうところに柄にもなく心が乱される。
だけどこれは俺だけが特別な訳ではない。彼女は誰にでも優しいし、よく周りが見える女性だ。なんの打算もなく純度100%の善意でするその行動に勘違いする男だって増えるだろうに。
…はぁ、その優しさを俺だけに向けてくれればいいのに。そう思わずにはいられなかった。
「うっせ、別にいーだろ!男が甘党だろうが」
「全然良いと思うけど?私も甘党だからお揃いだね」
にぱっと笑った彼女に釣られてこちらも自然と口角が上がる。彼女の笑顔には人を笑顔にさせる魔法がかかっているというのか。
「あっそう。それなら今度の休み、最近流行ってるパンケーキの店行かね?俺、男一人だと入りづらくてさ」
「えっ、凄く行きたい!!大会が終わって暇になったら行こっ!」
思いがけずにデートの約束が出来てしまった…。だというのに彼女は既にルンルンで鼻歌なんか歌いながら自分の仕事をしに戻っていった。
俺ってもしかして男として見られてない、のか?普通休日に二人で男女が出かけるということは、デート以外のなんでもないだろうに。
「カーイルッ!見たぜ〜今の。お前も案外やるんだなぁ。やっぱりお前たちって付き合ってんの?」
今のやり取りを見られていたらしく、サークルメンバーの同級生にからかわれた。
「別に、そういうんじゃねーよ」
「ふーん?でもアイリスちゃんってやっぱ可愛いよなぁ、ああいう素直な感じのギャップがいいというか、あれを知らないなんて他の奴らは損してるぜ。お前たちが付き合ってないんなら、俺、狙っちゃおっかな」
「は?」
思いがけない言葉に低い声が出て眉間に皺を寄せると、そいつが焦ったようにこういった。
「じょ、冗談だって!そんな怖い顔すんなよ!それにアイリスちゃんの家庭ってさ、あのアルベルン伯爵家だろ?俺が釣り合うわけないし、数々の求婚状を全て断ってるって噂だぜ。だから心配すんなよな!」
そう、彼女の家庭は何かと謎が多いのだ。アイリスはこの年まで社交界デビューをしていないし、そんな貴族は他にないだろう。
アルベルン夫妻が養子を取ったことは結構な噂になっていたが、あまりにも人前に娘を出さないことから、養子の話は嘘なのではないかと囁かれるくらいだった。
養子の話を抜きにしてもアルベルン夫妻は何かと噂の絶えない貴族である。伯爵自体の柔らかな雰囲気とは打って変わって政治に関しては切れ者で、伯爵が治める土地は治安が良い。加えてかなり栄えているためその手腕は見て取れるだろう。また国王様とも仲が良く、よく城へ足を運んでいる様子を遠目で見たことがある。
奥方の方も、女性ながら過去には聖騎士団に所属しており、なかなかの剣の腕だったらしい。魔物に負わされた怪我のため引退してしまったが、とにもかくにも有名な人物である。
そんな貴族の注目の的であるアルベルン家の養子が実在していたとなれば求婚状が山のように届いていてもおかしくはない話だ。それに俺たちくらいの年頃になると既に婚約者がいる者の方が多く、いない方が珍しい。かという俺も、この年になって尚婚約者がいないのだから人のことは言えないが。
婚約者、か。アイリスみたいなやつが俺の婚約者だったら、きっと楽しいんだろうな。二人でデザートを食べに出かけたり、冗談なんか言い合ったり。たまには喧嘩なんかもしてしまうかもしれない。
ありもしない未来を想像すると、なんだか楽しくなってきて、本当にアイリスが俺の婚約者になってくれたら、なんて本気で思ってしまう。こんなこと、口が裂けても他の誰にも言えない。
くだらない妄想を振り払うかのように、俺はいつも以上にサークルの練習メニューに真剣に取り組んで頭を空にすることに努めた。
※次回もカイル視点続きます




