48、決勝戦
すごく文章量多いです!でも最後までしっかり読んでね
審判の掛け声とともに試合が開始された。二人とも相手の出方を見ているのか、大きな動きはなく適切な距離を保ったままだ。互いにそうしてにらみ合うこと数分。
その沈黙を先に破ったのはカイルだ。ルーク様との試合同様、思い切りよく大きく剣を振りかぶる。それに対して会長は、華麗にその勢いを剣で受け流した。その一撃をきっかけに徐々に激しさを増す試合に、観客の歓声も大きくなる。
「ふっ、さすがだな。お父上の訓練の賜物か」
「試合中にお喋りなんて、随分と余裕なんですね。いくら顔見知りと言っても手加減はしませんよ。今日だけは勝たせてもらいます!」
金属音が絶え間なく会場に響く中、ついにその決着が着く時が来た。会長の死角を突いた攻撃にカイルの反応が一瞬遅れたのだ。咄嗟に身をかわしたものの一歩間に合わず、その手からカランカランと剣が零れ落ちた。
「勝者、オーウェン・センシア!!!」
審判の勝利のアナウンスとともに会場のボルテージが最高潮になる。やはり前年度覇者の実力は伊達じゃないってことか。会長の晴れやかな顔と裏腹に、カイルの横顔はとても悔しそうだった。
「やっぱり今回もオーウェンの勝利か。さすがだねぇ」
隣にいる先輩がほーっと感心している。これにて全ての試合が終わり、残すは表彰式のみだ。私の仕事もこれで終わり一安心だが、負けてしまったカイルの様子が気になる。それに彼には話さなければいけないことがあるのだ。
「先輩、少し席を外しますね」
「はいよー、カイル君のところに行くんでしょ?行ってらっしゃーい!!」
…この人に噓はをつける気がしないな、本当によく周りを見ている。どこへ行くなんて言ってないのに。生暖かい視線を送られて気まずくなった私は逃げるようにその場を後にした。
急いで選手控え室へ向かうと、人の姿が全くなく、ただ一人、ぽつんと取り残されたかのようにカイルが壁の端に設置された長椅子に座っていた。
さて、なんて声をかけようか。出入り口の前でそう数分悩んでいると人の気配に気づいたらしいカイルに声をかけられた。
「誰か、いるのか?」
「…ごめん、私。今大丈夫?」
「ああ、どうせもう今日は誰も来ないし入っていいぞ」
力なく笑うカイルは、いつもの元気がどこへやら、声にまるで覇気がない。かける言葉が見つからず、ただ隣に腰を下ろして側にいた。私がなんて言っても今のカイルには届かないだろう。
「………。」
私はなんて無力なんだ。友達を慰めるための術を一つも持っていないなんて。声をかける、ただそれだけのことが出来ない。隣に座っているのに、どこか遠くにいるみたいだ。
「…ごめんな、こんな空気重くして。アイリスにああいった手前、どんな顔して会えばいいのか分からなかったんだ。結局負けちまったし。…くっそ、今更後悔ばかり襲ってくる。もっと普段から真剣に鍛錬しておくべきだった、とかな。あーあ、終わった後にぐちぐち言うなんて、俺すっげーダサいわ…」
「そんなことないよ…!カイルがサークルで色々と練習を頑張ってたこと、私は知ってるし。そんな風に今までのカイルを否定するようなこと言わないで。それにまだ来年があるじゃない?だから、ほらっ!ねっ!」
落ち込んだカイルはなんだからしくなくて、そんな顔を見たくなくて、慰めたくて。拙いながら私なりの精一杯の言葉を紡いだ。
「そっか…ありがとな。気を遣わせた」
重く息苦しい空気が心なしか和らいだ。それに便乗するように、私は彼に会いに来た本来の目的を果たそうとする。今から私が言うことは、恐らくカイルを傷つけるだろう。しかしだからこそ私がやらないといけない。ちゃんと逃げずに向き合わなきゃ…。
「そういえば、これ…」
取り出したのはあのハンカチだ。これは私が持っていていいものではない。きちんと返すべく、カイルに手渡そうとすると、
「いや、それは返さないでいい。来年まで持っててくれ」
と、なかなか受け取ってくれなかった。
だがここで引き下がってはいけない。本当の意味を知った以上、これを持つ資格はないのだから。私は出来る限りなんてことないようにいつもの調子で話を続けた。
「あのさ、これの意味、カイルに渡された時は知らなかったんだけどね。ルーク様に…教えてもらったの。だから、」
私はカイルのことをそういう目で見てないし、これからも多分見るつもりはない。私がずっとこれを持っていたらカイルを縛ることになってしまう。そんな酷なことをするような女でいたくないから。
私の人生には恋愛なんて必要ない。…今までも、これからも、ずっと永遠に。
きっぱりと断るつもりでここに来た。だというのに、カイルが私の言葉を遮って最後まで言わせなかった。
「ごめんだけど、俺、お前のこと諦めるつもりないから。だからここで返事はさせないよ」
先程の落ち込んだ様子とは一変して、真剣な顔つきになるカイル。間髪入れずにそう告げられ、思わずたじろいでしまう。
「えっと、」
「それにアイリスが俺のこと、そういう風に意識してないことは分かってた。受け取ってもらえたのが嬉しくて、つい浮かれてたんだ」
カイルが私との距離を詰めて、まるで逃がさないとでも言うように私の真横の壁に静かに手をついた。そこにはいつもの軽口を叩き合うような友達のカイルはいない。なんだか彼がただの知らない人になってしまったみたい。
熱に浮かされたような、理性の境界を溶かしてしまうような焦点が定まらない熱い視線を向けられ、心がどうしようもなくざわつく。
行き場のなくなった私は身動き一つすら出来ない。精一杯視線を逸らしてみても、彼の息遣いが近くに聞こえて否が応でも意識してしまう。
世界から音という音が消えてなくなってしまったみたいに、そこには私とカイルの二人だけしか存在しなかった。その事実だけが私の頭を支配すると次第に脈が速くなり、心臓から指先に至るまでがじんわりと熱を持つ。
私の心臓の音だけが体中に鳴り響いて、ただただうるさかった。
「本当に一ミリも俺のこと眼中にない?」
「………っ!」
ハッとして顔をあげた私は、その時彼の瞳孔が開かれる瞬間を確かに見た。ガラス細工のように美しい潤んだ瞳に見つめられると、胸の奥がせりあがるように波打って、息が浅くなった。
「だって、カイルは友達で…」
変わっていく距離に戸惑い、これ以上変わるなと強く願う。今までの関係がなかったことになりそうで怖い、再び笑い合えなくなりそうで怖い。そう、私は恐れているのだ、彼を受け入れることによって変化する環境を。
「今はそうでも、これからはそういう風に俺のこと見て、ちゃんと考えて。ずっと俺のことだけ意識しろよ」
甘ったるい砂糖菓子みたいな声色で囁かれると、私の思考は途端に鈍くなる。苦痛を感じさせない優しい毒に侵されたと気づいた時には既に遅い。それが全身を駆け巡るとなけなしの理性が押し負けて、言うべき言葉が喉元に押さえ込まれる。
「アイリスを困らせることは分かってる。だけどそれぐらい俺が本気なんだってこと、分かって。いずれまたちゃんと言わせて欲しい。そのときが来るまで、俺頑張るからさ」
この言葉に素直に身を委ねられたらどんなに楽だろう。きっとカイルなら私のことをずっと大切にしてくれる。それが分かっているからこそ私は手を取らないし、取れない。
…あの人みたいにはなりたくないから。人を信じて愛することは時に自分を破滅に追い込むことになる。
…ごめん、こんな私なんかを好きになってくれて。でもだめなんだよ、私…。
本来の私はずるくて汚くて、カイルに想われるような存在ではない。だから今も、今すぐにでも断ればいいのにそれをしないのは、愛されているという優越感に浸りたいからだ。
今まで愛されてこなかった分を無意識に取り戻そうしているようで、自分自身が醜い怪物みたい。
「これからはもう我慢しないから、アイリスもその気でいて」
それだけ彼はそっと呟くと、詰められた距離が徐々に離れてその場から解放された。
「じゃあ俺、表彰式があるから先行くな!」
先程まで一人の男だった彼は、もういつも通り、友達としてのカイルに戻った。そして明るい声で部屋を出て行ってしまう。
…もう!なんなの、ほんと…!!
……ドキドキ、した。
初めてあんなに意識したというのになんだその豹変っぷりは!
しばらくの間私は顔を両手で覆って何度も彼の言葉を胸の内で反芻した。
…俺のことだけ意識しろ、か。それは八割方成功しているといえるだろう。こんなにもあなたのことを考えているなんて、彼は気付いているだろうか。
トゥンク…




