39、気に食わない奴
※カイル視点
いつもよりだいぶ長め。
初めはこいつも周りの奴と同じだろうと思った。樹液に群がる虫のような。初めて言葉を交わした時の印象は最悪で、なんて生意気な女だと憤りを感じたことを覚えている。
俺は基本的に貴族の女が嫌いだ。本心の見えない笑顔で俺に近づき、自分を良く見せようと着飾ることが大好きな奴ら。俺が成長するにつれて、その様子は顕著に現れ始めるようになり、うんざりした。
唯一俺が気を許せる相手と言えば幼馴染のルークとディランだけ。二人とも俺と似たような環境で育ってきたことあり、俺たちは初対面ながらすぐに打ち解けた。
それからは何かと理由をつけて一緒に遊んだり、三人で過ごす機会が増えた。三人でいればいるほどこの時間が心地よくて、なぜ異性というだけでこんなに違いがあるのか不思議に感じた。
次第に俺の女嫌いが社交界で広まり、前はあれほど集まってきた女が寄り付かなくなった。勇気を出して声をかけたとしても、俺に冷たくされるのが分かりきっているからだろう。女がいないだけで生活が快適になり、苦手だった社交界も少しはマシになった。
「ほら、カイル。また怖い顔になっているよ。そんなんじゃあ一生結婚できないんじゃないか?」
「むしろルークは俺が結婚するとでも思っているのか?」
「カイルが傍にいるだけでこれほど周りが静かになるなんて、良い虫よけができて願ったり叶ったりですね」
そんな軽口を叩き合えるのもひとまず今日が最後だ。これから俺たちはグレードウォール学園に入学することになる。学園に入ればお互いに忙しくなるだろうし、面倒なパーティーやお茶会はしばらく参加しなくてもいいはずだ。
学園に入学した後俺の生活はほとんど変わらない。今まで通り出来る限り女とは関わりを持たなかったし、サークルも女がいなそうなものに決めた。
そんな平穏な日々を過ごしていた時にあいつは現れた。ルークに相談があると呼び出され、待ち合わせ場所に向かうと彼の姿のほかにもう一人、一際目立つ容姿をした女がいた。特に話しかけてくる様子もなかったため、無視してルークと会話を続ける。しかしいつまでも黙っているもんだからイライラして不機嫌をそのままそいつにぶつけた。
するとあろうことか、そいつはこの俺に対して反撃してきたのだ。こんなことは初めてで唖然としながら、彼女の後ろ姿を眺めることしか出来なかった。
その後ルークに酷く咎められたけど、軽く聞き流してその場は解散となった。
翌日の放課後、サークル長が昨日のあいつを連れてやってきたときは嫌な予感がした。その予感は的中し、なんとしばらくこのサークルのマネージャーをするというのだ。
どうせ長く続きはしない、なぜならこの仕事はとてもきついし、今までだってメンバー全員で分担してきたことを一人で、しかも女子がやるなんて無理に決まっている。
早く追い出すためにもあいつの近くへ行ってわざと厳しいことを言ったり、他のメンバーと違って仕事を手伝わなかったりした。向こうもそれに気づいていたのだろう、先輩や同学年メンバーには礼儀正しい癖に、俺にだけ素っ気ない態度を取ってくる。そのことが余計俺を苛立たせたことは言うまでもない。
それどころか数日経っても辞める気配は一向になく、以前にもましてテキパキと前向きな姿勢で、あいつは仕事に取り組むようになった。
トレーニング後の先輩にさりげなくタオルを渡したり、皆が乱雑に置いたボトルを綺麗に並べ直したり、彼女はこういった細かいところによく気づく。
少し前までは洗濯物の往復だけでしんどそうだったくせに、今の姿はどうだろう。額の汗を気にすることなく常に働き、周りに気を配ることは容易ではないだろうに、辛そうな素振りは一切見せない。
だけど俺は気づいてしまった。彼女が一人になった瞬間笑顔が消えて、何かをこらえるかのように険しい顔になっていることを。彼女と関われば関わるほど、彼女の仕事に対する誠実さを実感し、反発している自分がとても子供に見えた。
本日の練習メニューは模擬試合を行うらしい。剣の準備が出来るまで各自でアップをする。そしていざ練習を始めようとした時、誰かが剣が一本足りないことに気づいた。
「それなら私がとってきますよ。一本なら私でも運べますし、みなさん練習していてください」
と彼女が急ぎ足で一人倉庫に向かい、そのまま練習が再開される。しかしなんだか妙な胸騒ぎがした俺は、
「俺、ちょっと様子を見てきます!」
と、先輩の返事を待たずにその後ろ姿を追いかけた。
倉庫までたどり着いた時、驚きの光景を目にした。
彼女の目の前の巨大な器具が、彼女めがけて倒れていったのだ。その場で固まって動けなくなった彼女の姿を見て、咄嗟に、
「あぶねえ!!!!!」
彼女を守らなければと思った。器具を支えることは不可能だということを悟った俺は、彼女とそれの間に体を滑り込ませる。目いっぱい両手を広げて盾になると、ガツンと稲妻のような衝撃が体中に駆け巡り、背中が熱くなる。
「お前、無事か…!」
彼女の安否が確認できたことに気が抜けたのか、俺の意識は次第にぷつんと途切れた。
気づくと俺は保健室のベッドで寝かされていた。起き上がろうとしたら激痛で体が上手く動かない。
「…そうか、あの時…」
隣には彼女の姿がある。目が覚めた直後だというのにいつもみたいに罵られたが、対して気にはならなかった。もしかして彼女はずっと俺についていてくれたのだろうか。そんな自惚れた考えが頭をよぎったが、そんなはずはない。
「お前も泣くことってあるんだな」
「泣いないし!」
「それで泣いてないは無理あるだろ…」
精一杯の強がりを見せる彼女は傷だらけの俺の姿を見て泣いていた。黒曜石のような丸く大きな瞳からとめどなく涙が溢れて、その長いまつ毛を濡らしている。その泣き顔はなんだかとても、ー綺麗だーと思った。俺のことを想って泣いてくれている、そんな彼女を見て嬉しく思うなんてどうかしている。
「あー!もう泣くな!俺は大丈夫だから!」
こいつの涙を止める方法なんて知らない。でもなぜだかその涙を止めてやりたいと思った。彼女の笑った顔が見たい、その一心で不器用なりに彼女の目元に手を伸ばす。彼女の涙が枯れるまで俺はずっとそうしていた。
彼女のことをずっと誤解していた。強い女性だと思っていた。しかしそれは彼女の表面だけで、中身はずっと普通の心優しい女の子だ。
しかしいざ蓋を開けてみれば、俺が嫌いな奴らと同じことをしていたのは俺の方だ。彼女を外面だけで判断し、邪険にした。なんて馬鹿なんだろう。
その後色々あったものの、彼女となんとか和解して二人して帰路についた。すっかり暗くなった夜空に浮かぶ月が、雲の狭間から見え隠れしている。
「それじゃあまた!」
それだけの言葉を言ってくるりと背を向けた彼女の姿を見て、何か言わないと、という焦燥感が生まれた。
「アイリスっ!!」
咄嗟に出たのは一度も呼ぶことがなかった彼女の名前。
こちらを振り返る彼女の漆黒の髪がふわりと風に揺れて、その瞬間に月を隠していた雲が流れたらしい。
暖かい月光に照らされたその姿はまるで月の精のようだ。思わず見惚れて言葉に詰まる。
「へ?今、なんて、」
「また明日!じゃあな!」
また明日、それを言うためだけだというのに何故こんなに胸が騒ぐのだろう。俺はこんなに気の弱い男だったのだろうか。自分の知らない一面に出会い、なんだか怖くなった俺は照れ隠しのように早足で別れた。
部屋に戻った後も、別れ際の彼女の驚いた顔がいつまでも脳裏に焼き付いていた。
次は主人公視点に戻ります




