38、不思議な関係性
「…そうか、俺はあの時…」
「もう!!なんで私なんかを庇ったの!!そんな大怪我までして守る価値なんてないのに!この馬鹿っ!!!」
「おいおい助けてやったっていうのに馬鹿はないだ、ろ…」
いつものように反撃してくると思ったのに、私のぐしゃぐしゃな顔を見たのかその勢いは途中で失われた。
泣き顔なんて見られたくない。でも彼が目覚めたことで張り詰めていた糸が切れて涙が止まらなかった。
彼を思いがけず身代わりにしてしまったという罪悪感で胸がいっぱいだった。
「お前も泣くことってあるんだな」
「泣いてないし!」
「それで泣いてないは無理あるだろ…」
呆れたような声でそう言うカイル。泣き止まない私を見てきまりが悪くなったのか、頭をガシガシっと掻いたかと思うと、
「あー!もう泣くな!俺は大丈夫だから!」
彼はその骨ばった手をこちらへ伸ばし、私の頬から滴る涙を拭った。一瞬何をされたのか、頭が追いつかなかった。顔に当たる硬い指の感触から、彼の体温を感じる。そのまま私の涙が止まるまで、彼はそうして涙を拭い続けた。
ひとしきり泣きじゃくった後、今度は恥ずかしさが込み上げてきてカイルの顔が見れなかった。きっと今頃耳まで赤くなっているのだろう。
そんな私の気持ちとは裏腹に彼はどこまでも冷静な調子で疑問を投げかけてきた。
「ところであの後どうなったんだ?先輩たちは?」
私はカイルが意識を失ってから現在までの経緯を簡単に説明してあげた。
「大体、理解した。この包帯はお前がやったのか?ありがとな、助かった」
「応急処置だけだよ。それに専門家じゃないから早く医者に見せないと」
「わかったわかった。もうそんな不安そうな顔すんな」
お礼を言われる資格はない。だってその怪我ではもう剣技大会に出場出来ないだろう。エントリーの締切も近いし、このカイルのことだ。剣技大会に参加するつもりだったに違いない。
「カイル、庇ってくれてありがとう…。それとごめんなさい!!せっかくの大会に出場出来なくさせちゃった…」
「もういいんだよ、別に来年参加すればいいだけの話だし」
ふとこの空間が静寂につつまれる。しかしその空気は次の陽気な声によってかき消されることになった。
〈あのさぁアイリス、僕のこと忘れてない?この大精霊様が君にはついてるのに〉
小さな風が吹いたかと思うと私の契約精霊であるライファが姿を現した。そういえば学園に入ってから一度も呼び出していなかったため、存在をすっかり忘れていたのだ。
というのも、この学園では決められた時以外の魔法の使用は禁止されているからに他ならない。
「え、ライファ!?なんで急に出てきたの!」
咎めるようにそう言うと、彼はほっぺたを膨らませながら反論する。
〈だって、アイリスが全然呼んでくれないから暇だったんだもーん!それに、アイリスが困ってそうだから力を貸してあげようと思ったのに、そんな言い方はなくない?〉
「えっと、お前は誰と会話してるんだ?」
もちろんライファの姿は精霊術師の私にしか見えていない。だが、このまま話を続けると説明が面倒くさくなることを察して、パンパンっと2回手を鳴らした。
〈えぇー!?こんな見ず知らずの相手に姿を見せちゃっていいわけ?〉
「仕方ないでしょう?あなたのせいで私が変人に思われたら嫌だし、それに力を貸してくれるって言ったじゃない」
急に精霊が見えるようになって驚いたのか、カイルは口をポカンと開けて固まっている。
「紹介するわ、こちら私の契約精霊のライファ。こっちがカイル。あなたの傷、多分治せるわ!この子が手伝ってくれるって!」
「急展開過ぎて頭がついていかないんだけど…っていうか俺、精霊初めて見た」
〈ふっふーん!そうでしょ?普段なら僕の高貴な姿を見せることはないし有難いと思ってね?〉
ライファはどこか得意そうに小さな胸を張った。
「そういう訳だから、ライファ、お願い出来るかな?」
〈もっちろーん!アイリスの頼みなら!〉
その会話を聞いていたカイルが思わず静止の声を上げる。
「おいっ!そんなことをしたら学園則違反で処罰を受けるぞ!」
「分かってるよ。でも私がやらないと。命の恩人を助けることに躊躇いなんてないよ」
私の決意はとても硬い。何を言っても無駄だと諦めた彼はもう何も言ってこなかった。
〈じゃあ早速始めちゃおうか。まずはこの包帯を取って傷口を見せて。よし、これで大丈夫。アイリスは僕の手を取って集中してね。君の体を媒体にして、僕の力を注ぎ込むんだ。いくよ!!"オーバー・ヒール”!!〉
ライファの体が淡く光り出し、その光が私の体内を巡って反対の掌から傷口に流れ込む。すると彼の体が光で覆われみるみるうちに痛ましい傷が塞がっていく。しばらくして治療が終わり光が消えると完全に元通りだ。確かにあったはずの傷跡を確かめるようにそっと触れてみる。
「よかった、うまく行ったみたい。…どう?怪我の具合は?」
「治ってる…どこも痛みを感じない…。本当にありがとな!!」
嬉しさ余ってカイルが私の手を取りぶんぶん振りながらお礼を言ってきた。これだけ動けるのだからもう大丈夫だろう。
<ちょっとちょっと!!!何仲良くしてるの!?アイリスからは・な・れ・ろーー!!君が今までアイリスを邪険にしてたこと、僕は忘れてないからね!?>
ライファが私たちの間に体を割り込ませ、握られた手を放そうと引っ張りながらうんうん唸っている。
そういえば…そう、だったよね。ついこの間までいがみ合っていた相手とこんなに親しくしているなんてありえないよ普通。
するとあちら側もそのことを思い出したのか再び無言の時が流れる。
「あの、さ。悪かったと思ってる、今までのこと。どうせお前も他の女子たちと同じだと思ったんだ。ルークを助けてやらないとと思って…。
それにこのサークルからもすぐ逃げ出すだろうと思ってた。経験したお前なら分かると思うけど、女子には結構きつい仕事だろ?それなのに諦めずに食らいつく姿を見せられて、俺が勘違いしてたことに気づいた。本当にすまない!!!」
「もういいよ。私もあんなことで怒るなんて大人げなかったと思うしこちらこそ突っかかってごめん。
…もしカイルさえよければ、今後は普通に仲良くしてくれないかな?私たち結構いい友達になれると思うんだけど」
「ああ、そうだな。それとルークのことだけど…、今まで通りに仲良くしてやってほしいんだ。あいつ意外と友達が少ないからさ」
それは、どうだろう…。私の人生のモットーは目立たずひっそりと、なんだけど…。正直なところあまり仲良くはなりたくないんだが、ここで水を差すほど私も野暮ではない。
彼の言葉に頷きを返して応えた。
<なに僕を差し置いてイチャイチャしてるんだか…もう知らなーい!!>
こうして晴れて友達となった私たちは、寮までの帰り道を二人で並んで歩いた。相当時間が経っていたのか辺りは既に暗くなり、ぼやけた月が夜空に浮かんでいる。他愛無い会話を続けていると、あっという間に分かれ道まで到着した。
「それじゃあまた!」
「ああ」
軽く挨拶を交わして背を向けた時、
「アイリスっ!!」
「へ?」
今まで頑なに名前を呼ばなかった彼が私の名前を呼んだ。驚きに目を丸くすると同時に思考が停止する。
それだけのことで、それだけの言葉が、何故だか私の胸を熱くさせ、自然と鼓動を早まらせた。心臓のドクンドクンという音以外は何も耳に入らない。
「今、なんて、」
「また明日!じゃあな!」
気恥ずかしさを誤魔化すように早口でそう言って彼の姿は寮の方向へと消えていった。
いつの間にか月にかかった雲が流れ、明るい月光がいつまでも私の姿を照らしていた。




