28、悲劇の少女
※ソフィア視点
少しシリアスシーンです
…私の名前はソフィア・ミッチェル。準男爵家の一人娘。
私はこの世に生を受けた時から普通の人生を送ることは出来ない体だった。人から疎まれることがその時点で確定した不幸な人間。私という人間を簡潔に表すと異物であり、この世界のバグであり神様の失敗作であるのが私。
その理由は明白。
私は自身の体に白い髪とピンク色の瞳を持っているから。それはあの有名なおとぎ話、『勇者と魔王』に出てくる‟裏切りの聖女”と同じ色。たったそれだけ。それだけなのに、私は人ではなく怪物かのように扱われてきた。
私は今でこそ準男爵家という貴族の端くれだが、最近までは普通の平民で、母と二人、ひっそりと暮らしていた。
日々の生活は決して楽なものではなかったけど、母との暮らしはささやかながらも幸せに包まれた優しいものだった。
私はこの容姿のせいで昔から他の子供たちにいじめられることが多かった。ぼろぼろになって家に帰ると、自分が傷つけられたわけでもないのに母は私よりも苦しそうな顔をして手当てをしてくれた。
みんなに悪意を向けられても、母だけは私の見方。だから私は他の誰かになんて言われようと何をされようと辛くはなくて、こんな私を受け入れてくれる母が大好きだった。
何か特別な事がないとお酒を飲まない母だったが、お酒を飲んだ時は必ず同じことを口にする。普通に産んであげられなくてごめんね、と。私のこれは母のせいではない。どうすることも出来なかったこと。大丈夫だよ。私にはお母さんがいるから。それだけで頑張れるんだよ。
心に思ったことを口にすることはなかったけど、私は母に感謝していた。気味が悪い私を見捨てないでいてくれてありがとうって。
そんな私の人生が狂い始めたのはいつからだっただろうか。悲劇の歯車が、静かにゆっくりと、でも確実に回りだしていたことに私は気づかなかった。
貧しい暮らしの中である時から母の体調がだんだんと悪くなっていった。医者に診てもらうお金などあるわけがなく、私は母の分まで一生懸命働いた。働いて、働いて、働いて…。
きっと何かいいものでも食べれば母が元気になるかもしれないと、それだけを考えて無我夢中で働いた。だが、みるみるうちに母は痩せこけていく。
母を助けるための方法は何だって試した。疲労回復に良いとされる薬草を集めてご飯に混ぜたり、栄養を少しでも取れるように畑で野菜を育てたり。
いつものように仕事に出かけようとすると、寝室で寝ている母に呼び止められた。そこで母は一言私に告げた。
「ソフィア。もう、いいの。…今までありがとうね」
何を言ってるのかわからなかった。もういいってどういうこと…?なんで最後のお別れみたいな挨拶をするの。私なら大丈夫だよ。まだ頑張れるから、だから…。
母が何を思ってそう言ったのか理解できないほど子供ではなかったけど、母の言葉を理解したくなくて、目を背けて、必死に言葉を紡いだ。
「なんでそんなこと言うの?私、お母さんのためなら働くことは苦じゃないし、心配しなくても、」
「ダメよ。…ソフィアはもう、頑張らなくてもいいの。これからは自分のために生きなさい…」
母がいっそう苦しそうにせき込む。
「大丈夫っ!?お母さん!待ってて、今お医者さんを連れてくるから!」
「止めて…!ソフィア、ここにいて母さんの話を聞いて」
弱々しく私の服の袖をつかむ母の手を振り切ることなんて、私には出来なかった。
本当はすぐにでも家を飛び出して医者を呼びたいのに体が動くことを許してくれなくて、言われた通り母のベッドの横の椅子に腰かけた。
母はその細くて病的に白い手を伸ばし、私の頬に触れた。
「…母さんはもういかないといけないみたい。ソフィアが大人になるまで一緒に…いたかったけど。母さんは…その願いを叶えられそうにないから…」
「……」
「…こんな母さんでごめん…なさい…。でも、これだけは知っておいてほしい。私は…ソフィアを、世界一…愛しているわ。…だから、約束…」
頬に添えられていた手が私の頭を優しく撫でる。
「幸せに、なって…ね…」
言い終わった途端母の腕が力なく落ちる。そこで私は、母が最期を迎えたのだと理解せざるを得なかった。まだ温かい母の体はそのうち冷たくなってカチコチになるのだろう。
最後の最後まで私のことを思って発された言葉は、この世の何よりも優しくて暖かくて眩しくて胸に染み込むもの。だけど母を失ったことの悲しみは私の想像以上に大きいものだったらしい。世界一私に優しいはずの言葉も、私には、私を縛る呪いの言葉に聞こえた。
…幸せになるなんて。そんなの、無理だ。母のいない世界で、この一人ぼっちの世界で、私はどうやって幸せになればいいのか。私の唯一の幸せは母と過ごすかけがえない日々だけなのに。
溢れ出る涙で視界がぼやけ、母の姿さえ目に映らなくなっても、それをぬぐう気にはなれなかった。
嫌だ…。嫌だ嫌だ嫌だ嫌だイヤダイヤダ!!!一人でいかないで…。私も連れて行ってよ!
…そうか、私も死ねば母のところに行ける。そうすればいいんだ…。
台所からナイフを持ってきて自分の首に当てる。
一思いにやれば…大丈夫…。怖くないんだから…。
ナイフを持つ手が震える。死にたいのに、消えたいのに、それが出来なかった。死んだら…幸せになってほしいという母との約束を破ることになるから。
首筋から真っ赤な鮮血がつーと伝って床へ染みを作った。それを見た途端、吐き気がしてカランと音を立ててナイフが手から落ちるのを遠くで感じた。
翌日、私は村長の元に行き事情を説明した。村長は私の顔を見るなり嫌そうな顔をしたが、事情が事情だったので、母のために簡単な葬儀を執り行ってくれた。
それから数日が経っただろうか。私の家に明らかに場違いな高級そうな馬車が止まった。中から綺麗な恰好をした男性が下りてきて、問答無用でその馬車に乗せられた。
連れていかれたのは立派なお屋敷。見たこともない煌びやかさだったが左程興味は沸かなかった。大きい部屋に通され、一人の男性の前に座らされる。
「…本当にみすぼらしい娘だな。我の血を引いているのが疑わしくなるほどだ」
立派な衣装を纏った男性は、不躾な視線を浴びせてきたが、そんな視線を浴びせられることはいつものことだったので心は動かない。
「…まあいい。喜べ、お前は今日から我の娘となるのだ。おい、後は任せたぞ」
「はい」
私の傍らに立つ男性にそう命令して、男はそのまま部屋を出て行った。
使用人の男性に一通りの説明を受けて私はようやくなぜ私がここに連れてこられたかを知ることになった。
彼の話によればその偉そうな態度をとる男性、ライン・ミッチェル準男爵は私の実の父らしい。
母はもともとこの屋敷で使用人をしていたが、手癖が悪いあの男に無理やり体を奪われた。そこで母は身籠ってしまい、それが露見する前にこのお屋敷を辞めた。ばれたら最後、自分の子を殺されるのが分かっていたからだ。
そこからは私が知っている通り。平民に混じって静かに暮らしを始めたという。
それでどうして私を急に引き取ることになったのかというと。あの男は子供に恵まれなかった。正妻は体が弱く、子供が作りにくい体質だったのだ。そんな中正妻が亡くなり、早く後継ぎをと急ぐあの男はどこからか私の母が自身の子を身籠り子供と暮らしているのを知った。そこでその子を後継ぎとして引き取り、育て上げようとした。
だが問題が一つあった。それは私の容姿。‟裏切りの聖女”にそっくりの見た目を持つ私は、貴族社会では相当疎まれるはずだ。世間体も悪い。引き取るべきかどうかぐずぐずと悩んでいた時、母が亡くなったことを知り、ようやく踏ん切りをつけ迎えに来たということだ。
始めは少し期待もしていた。今まで一緒に暮らしていなかったが一応私の実の父。母のようにとはいかないまでも父親らしいことをしてくれるのを心のどこかで願っていた。
でもそれは馬鹿げた願いだったとすぐに思い知った。挨拶、食事、ダンスと、令嬢に相応しい教育を強いられ、私と顔を合わせても声の一つもかけてくれない。使用人たちも同じ。みんな冷たい視線で私を見て、最低限のことしかしてくれない。
食事を一人で取るのも、造りが難しいドレスを一人で着るのも、ダンスでケガをした足を自分で手当てすることにも慣れてしまった。お前は私の言うことを聞いていればいいと、物のように扱われ、対等に言葉を交わすことも出来ない。
行きたくもないパーティーに出席させられ、貴族のご令嬢に囲まれた私が見えていないはずがないのに無視をされる。助けてくれない。頑張って勉強に励んでも、当たり前のことと一蹴される。
辛い、辛い辛い…。こんなことになるのなら、いっそ死んでしまった方がマシだった。
度重なる嫌がらせや陰口、厳しい令嬢教育。心に刺さった棘が日々を重ねるごとに増えていく。
そんな毎日をどれくらい続けたのだろう。いつもの通り一人で着替えを済ます。髪を結うために鏡の前に座る。そこに映るのは無機質で作り物めいた顔。眉一つ動かず、固く閉じられた口。生気のない瞳。まるで人形のようだと思ったけど、あながちそれは間違いではない。父の言う通りに動いて、抵抗する気が少しも起きなくなった私は、私は…。
…まるでマリオネットのようだ。父の掌の上で踊り狂い続けるだけの存在。マリオネットの私は自分の意志なんて当然持ち合わせておらず、脈打つ心臓は知らないうちに芯まで冷え切ってしまった。私の役目は踊ること。踊って踊って踊って…。糸で吊られた手足に痛みなどもう感じない。
嫌な事ばかりの毎日にも慣れてしまえばどうということはない。嫌がらせをされても、怖がられても、気味悪がられても…。もう、何も感じない。
…お母さん、幸せって…何だっけ…。
忘れちゃったよ、全部全部…。私には、その感情が…分からない…。
もう少しソフィア視点続きます




