20、門出
「マリンっ!そっちに私のお気に入りの羽ペンがなかったかしら!?」
「お嬢様、そんなことよりも明日来ていくお召し物をそこへ出しておいてください!」
「そんなことじゃないわ!あ、あとあのブローチはどこへ置いたっけ!?」
私とメイドのマリンの焦った声が飛び交っているとある部屋、つまり私の自室はとんでもない騒ぎとなっている。
煌びやかな装飾が施されたデスクの引き出しはところどころで開けっ放しにされ、クローゼットから服があふれ出し、床にも何冊かの本が無造作に放り出されている。
この貴族のお嬢様とは思われない散らかった部屋で何をしているかというと。
「もうっ!ご入学は明日なんですから前もって準備するときはお声がけくださいって言いましたよね!?」
「ええ、そうね。だから今マリンに手伝ってもらっているんじゃない」
「私は前もってとお伝えしたはずですよ!?大事な日の一日前に呼ばれても困りますっ!」
この子は私付きのメイド、名前はマリン。私がこの屋敷に来た時からずっと私の担当で年齢は私の一つ上。長い付き合いと年がそう離れていないため私のお姉さん的存在でもある彼女は、落ち着いた深緑色の髪を後ろで束ね、オレンジに近いくらいはっきりと発色した朱色の瞳を持ったたれ目の女の子だ。笑った顔が非常に可愛らしく、よく先輩メイドさんたちに構われている印象がある。
そんな彼女が少し咎めるような口調になるのも無理はない。あろうことか私は明日学園に入学するというのにその支度が一つも終わっていなかったからだ。
いやあ、いずれやろうと思ってたんだけど…面倒くさくてつい。
グレードウォール学園は16歳を迎える年になった少年少女たちが通い始める由緒正しき学校である。それは貴族にとどまらず、平民であってもとても難しい試験を合格することで入学することが出来る。ただし学費はとんでもなく高く、大商人の家系の子か奨学金制度を使えるほどの頭脳の持ち主しか入ってこない。
ここで学べることは多岐に渡り、薬学から商学、魔法学など幅広い分野が学べる場所でもある。在学期間は三年で普通科と魔法科に分かれており、魔力持ちの子は魔法科に配属されることが決まっている。
私が入る魔法科は少々特殊で人数が少ないため、平民の魔力持ちの子は試験を受けずとも入学を希望すれば奨学金制度を使って入学できるようになっているのだとか。
そんなグレードウォール学園は寮制度というものがある。
何でもただ知識を学ぶのではなくコミュニケーション能力の向上にも力を入れているらしい。そのため学園のすぐ隣にはとても立派な寮が建てられ、そこで共同生活を送ることで学生同士の交流を促している、という話だ。
自宅から学園に通うだけならこんな大騒ぎにはならなかったことだろう。しかし寮に入るとなると別だ。生活用品や部屋着など必要なものは山ほどある。だから今こうして二人で荷造りに追われているのだ。
ようやく一段落ついたとことでマリンがしみじみと言う。
「アイリス様ともしばらくの間お別れですか…。寂しいものですね」
「大丈夫よ、ちょくちょく帰ってくるようにするから。というか、帰ってこないとやってられないわ」
どうせ寮にいたところで親密な誰かが出来るまでは一人で過ごすことになるだろうしね。
「そんなことを言っててもそのうち学園が楽しいものになるかもしれませんよ?」
悪戯っぽい笑みを浮かべるマリンに苦笑を返す。
そんなことあるわけないんだよなあ…。でもお母様とお友達を家に連れてくる約束しちゃったし、気合いだけはある。それに今からうじうじ悩んでも仕方ないか。
「せいぜい壁の花にでもなって大人しく過ごすわ」
「言葉の使い方が少々違っているように思われますけど…。それに無理だと思いますよ。お嬢様はただでさえ人目を惹くんですから」
「そりゃあこの髪と目だとね…」
「もうっ!そういう意味で申し上げたのではございませんよ?まあいいです。それよりもこれ、服の中に埋もれていましたよ」
マリンが丁重な手つきで私の手にそれを乗せる。それは私が先ほど探していたブローチだ。小ぶりながらも上品さと華やかさを持つカスミソウが咲き誇る縁取りの中央には今もなお輝きを失わないダイヤモンドが堂々と収まっている。
「ありがとう、マリン」
「それにしてもそのブローチ、ずっと肌身離さず持っていらっしゃいますよね。それほど大切なものなんですか?」
「…まあね」
このブローチは私が昔誰かに貰ったものだ。それが誰であったかははまるで思い出せない。覚えていなくとも大切にしたいと思うから、きっと私にとって特別な人に貰ったんだろうな。いつか思い出せる日が来るといいけど。
考えることをしばし止め、マリンに向き直る。
「こんなに手伝わせて悪いけど、明日の午前中も荷物の搬入に付き合ってもらってもいい?」
「もちろんです。何なりとお任せください」
入学式は明日の午後からだ。多くの生徒は午前中のうちに自分の寮の支度を整えるのが一般的だと聞いている。
それにしても入学式かあ。何とも懐かしい響きだ。…あれ、なんで懐かしいって思ったんだろ?私入学するの始めてよね?
自分で自分の考えに疑問を抱いたがそんなわけないと頭を振る。
「お嬢様、夕食の準備が整いました。御用が終わり次第、下の食堂に来ていただきますよう」
他のメイドが私を呼びに来た。私はマリンと手分けをして、散らばったものを急いで元の場所にしまい込む。片付けを終わらせて下の階に行くと、すでにお父様とお母様の姿がある。
「遅くなってごめんなさい」
「いいのよ、明日は入学式だものね。忘れ物がないようにしないと」
「アイリスももうそんな年になって…。子供の成長は早いものだね」
やっぱりその話題になるよね。薔薇色の学園生活を送ることはもうとっくに諦めているけど、せめて平凡に過ごさないと。
「お父様やお母様と離れ離れになるのはとても寂しいけど、休みには必ず屋敷へと顔を出すようにするから」
「あらー?そんなに戻ってこなくても大丈夫よ。学園生活で良い殿方が見つかるかもしれないし、楽しんでいらっしゃいな!」
お母様の発言に対し一番過剰に反応したのはお父様だ。ゴホッゴホッとせき込み、口元を綺麗な所作で拭いてからお母様の方を見た。
「メイシィ、急に何を言い出すんだ」
「急なんかじゃなくてよ。アイリスちゃんにはまだ婚約者がいないし、いっそ学園で見つけてきてもらったらいいじゃない」
「だからってそう急ぐこともないだろう。アイリスはまだ若いんだから」
するとお母様は可愛らしい頬を膨らませながらお父様を軽く睨んだ後、私に内緒話でもするかのように声のトーンを落として言う。
「アイリスちゃん知ってる?実はね、今までにも何度かアイリスちゃんと婚約したいっていう殿方が何人もいらっしゃったのよ」
そんなことは初耳だ。だが確かに私の容姿のことを除けば伯爵家の一人娘あてに求婚状が一通もないだなんておかしな話なのだ。
「でもね、この人ったらよく確認もしないで全部突っぱねちゃってね」
はあ、さいですか…。私に一向にそういった出会いがないのは私のせいも多少あるけど、お父様のせいでもあると。まあ、別に恋愛とか興味ないしどうだっていいんだけどね。
「メイシィ、その話はアイリスには内緒にしておくって言っていただろう!?」
とんでもなく慌てた様子のお父様があまりにもおかしくてつい笑ってしまう。
「ふふっ。気にしてないよ私は。それに私にそういったことはまだ早いもの」
私を見て好きになる男性なんて一人もいないと自覚しているし、そもそも私に恋が出来るはずがない。
恋なんて恐ろしく醜くて、どす黒い感情が入り乱れる。私に害しか及ぼさない必要ないものだもの。
そんな暗い感情は一瞬で、気づいたときにはさっき感じた嫌な何かがふっと消える。あれ、私さっきなんて思ったんだっけ?
「そ、そうだっ!アイリスもこう言っているだろう。無理にそういうことを考えなくてもいいんだ」
「シードったら、アイリスちゃんがお嫁に行くのが嫌なだけでしょうに。アイリスちゃんもそういう人が出来たらすぐにお母様に言うのよ?」
「分かってるわ、お母様」
そうしてアルベルン家で過ごす最後の夜が終わった。




