19、平穏
無我夢中で走りまくり何とか連行されることなく帰ってきた私。門番たちに気づかれないように裏口から回ってひっそりと玄関の前に立つ。
お父様とお母様、絶対に怒ってるよね…。普段は穏やかな二人だからこそ、本気で怒ると滅茶苦茶怖い。でも今回のこれは自業自得だし…。なかなか開けられない扉にようやく手をかけて腹をくくる。
よし…男は度胸、女も度胸だっ!!
やけくそな気持ちになって扉を開けようとしたのだが、
「アイリスちゃん!!!良かった、無事で!!」
私が扉を開けるよりも先にひとりでに勢いよく開いた扉から女性が飛び出して来て私を抱きしめる。そう、それは私のお母様だった。怒られると身構えていたから、その反応に少し拍子抜けしてしまった。しかし呆けている私をそっちのけでお母様の抱擁がだんだん強くなっていく。
痛い、痛いいい!お母様、私の骨がミシミシいってるよ!!でもそれだけ私の身を案じてくれていたということで。お母様の豊満の胸を顔に押し付けられ、窒素しそうになる。
息継ぎするように顔を上へ向けるとそこには涙を目尻に浮かべたお父様と我が家の使用人たちがズラリと並んでいるのが見えた。
「本当に良かった…!!アイリス、怪我はないかい?」
ああ、やっと帰ってきたんだ。それに不謹慎かもしれないけど、皆の顔を見たらこんなにも大切にされてるんだなって実感することが出来て心が温かくなる。
なんだか安心して体から力が抜けた。
「アイリスちゃんっ!?アイリスちゃん!」
私が覚えていたのはそこまで。流石の私も我慢の限界を迎えたらしい。
***
翌朝。気持ちの良い暖かな日差しと小鳥のさえずりで目を覚ます。
なんだか、お嬢様みたいな優雅な朝だ。実際、本当にお嬢様なんだけど。しっかし久ぶりによく寝た。こんなに質の良い睡眠をとったのは何日ぶりだろうか。そのおかげですっきりと目覚めた私はすぐに着替えを済ませ、下の広間に降りて行った。
「アイリスちゃんおはよう。昨日はよく寝られたかしら?」
大きな窓の近くにセットされた小柄な丸テーブルを囲むように向き合わせで座り、美しい所作で紅茶を嗜むお母様とその向かいで静かに読書しているお父様。我が親ながらとても絵になることで。
しかし私はその光景に違和感を覚える。お母様はまだいいとしてなぜお父様までいるんだろう。お父様は家柄上公務などで日々忙しい身なのに、こんな時間にこんなところでティータイムを楽しんでいていいのだろうか。
疑問がそのまま顔に出ていたのか、お父様は軽く微笑むと私が欲していた答えをくれた。
「昨日のアイリスのこともあったから今日の仕事はお休みさせて貰ったんだよ。アイリスが心配で心配で仕事なんか手に着かなくなってしまってね」
そんなことを言いながらきっと昨日のうちに今日やるべき分の仕事を終わらせたんだろう。書類の山に向き合うお父様の姿が簡単に目に浮かぶ。大丈夫かな、無理してないといいけど。
「アイリスは先にご飯を食べてきなさい。朝食がまだだろう。話はアイリスが落ち着いてからでいいよ」
それから数十分後、朝食を取り終えた私は昨日までに起こった出来事を出来るだけ鮮明にお父様に説明した。お父様は難しい顔をしながら私の話に耳を傾けている。
「そんなことがあったのか…。これは想像以上に大問題というか。ちなみにそのアイリスが助けた貴族らしい少年たちの特徴を覚えているかい?まさかとは思うけど、金髪と銀髪と紫髪の少年三人組だったりする?」
え、すごい。お父様ってもしかしてエスパーだったりするんですか!
普通に考えてそんなことあるはずがない…ええ知っていますとも。お父様が知っているくらい有名なおうちの子でしたか、そうですか。
いや、でもあの少年たちに私の本名は名乗ってないし、終始顔を隠していたわけだから私の素性はバレてないはず。…一瞬だけ顔を見られたけどあれは許容範囲だ。心配しすぎだよね、きっと。
こくりと頷く私を見てお父様が、やはりかという顔をして溜息を深くする。
「これは上にきちんとした報告を上げるしかないか…。アイリス、僕は今から仕事へ行ってくる。アイリスはこの数日間で体力、魔力ともにとても消費しているだろう。今は屋敷で休息を取りなさい」
そう言うなりお父様は慌ただしく出かける準備を始めた。せっかく今日は仕事を休んだと言っていたのにもう前言撤回か。ほんと大変なんだなお父様って。
お父様は出かける前に私の方を振り返り美しい笑みを浮かべる。な、なんだろう…。背筋がゾクッてするんだけど。
「アイリス、分かっていると思うけど僕はとても怒っているんだよ?二度とこんなことをしないように、僕たちに内緒で町に行った罰を与えないといけないな。二週間アイリスは家から出ないこと。いいね?」
そ、そんなぁ~…。抗議の声を上げようとした時にはすでにその後ろ姿は見えなくなっていた。
お父様に二週間の自宅謹慎を言い渡された私は現在お母様に教えてもらいながら、針と糸を持って白い布と睨めっこしている。この状況で察しがいい人は私たちが何をしているか分かるだろう。そう、刺繍だ。
貴族の家庭に生まれた女の子の登竜門。避けて通れない道。それが私の刺繍に対する印象だ。楽しいとも思わないし上手くなりたいとも思わない。なぜなら、すっごい疲れるから!!
集中力がいるし、針を指に刺しまくるし痛いのなんのって。
隣の席で楽しそうに刺繍をするお母様は時折鼻歌なんかを歌いながら見事な薔薇をハンカチに刻んでいく。
「私、自分の娘と一緒にこういうことするのが夢だったのよねー」
花が咲いたかのようにふわりと笑うお母様。今日も今日とて美しい…。私が男だったら絶対に惚れてるなこれ。
お母様がこんなにも嬉しそうだから刺繍に飽きてきたなんて口が裂けても言えない。が、頑張ろう…。
「アイリスちゃんにも早くこの刺繍入りのハンカチを送る相手ができるといいんだけど」
「!?」
動揺したせいか手元が狂って針が私の指先に刺さる。みるみるうちに赤い血が滲み、追って痛みがやってくる。
「あら大変!!急いで手当しないと!」
「大丈夫よお母様!これくらい自分で治せるから」
お母様が救急箱を取りに行こうとしたのを慌てて止めて、治癒魔法を使いさっと傷口を塞ぐ。
「それよりお母様、急にどうしたの」
私には指の怪我よりそのことの方が重要だ。何を思ってそんなことを言い出したのか。
「だってアイリスちゃんその年になっても他家のパーティーに顔も出さないし、心配になっちゃって。それくらいの年だと婚約者の一人や二人いてもおかしくないわ。アイリスちゃんの愛らしさなら年頃の男の子なんて全員メロメロになるに決まってるのに。出会いがないうえにお友達すらいないし」
いや、婚約者がそう何人もいたらまずいのでは?メロメロ云々は置いといたとしても、そういえば私友達いなかったな…。友達を作るためにわざわざ下町にも出かけたっていうのに。容赦ないお母様の言葉に海より深く傷つきました、はい。
「お母様、パーティーに顔を出さないのは悪いと思ってる。でも行ったところで意味ないじゃない」
なにせこの容姿だ。パーティーに顔を出した暁には私の周りだけ人が寄り付かず遠巻きにされ、ぼっちになること間違いなし。自ら傷つきに行くなんて相当なマゾヒストじゃない限り無理だ。そのことについては両親も理解しているからパーティーに出るようあまり私に強く言わないんだろうけど。
「それに私みたいな人と婚約したいだなんて物好きはそういないわ。友達については…グレードウォール学園で作るから気にしないで!」
作れるかな…。自信は全くと言っていいほどない。
「そう?ならいいけど。お友達が出来たら絶対屋敷へ招待してね。アイリスちゃんがお友達を連れてくるのを楽しみにしているわ」
お母様を安心させるためにもできるだけ多くのお友達ができることを心から願おう…。再び刺繍を再開する。こういう細かい作業は得意ではないけど、苦手という訳でもない。黙々と手を動かし、やっとのことで一つの刺繍が完成した。
「お母様、出来たわ!見てもらってもいい?」
そういって完成したものをお母様に手渡す。お母様を受け取ると真剣な顔つきで私の刺繍をチェックする。ドキドキ…。お母様は自分が女子力が高いせいかこういったことにとても厳しいのだ。私的には結構上手く出来たと思うんだけど。
「…うん、上手ね!さすがアイリスちゃん。私によく似て刺繍も上手なのね」
良かったー…。合格点だったみたい。ほっとしてお母様の手元にある刺繍を見る。私が刺繍したのは鮮やかなオレンジと黄色の二色をバランスよく配置したポピーの花束。丸みがかったこの春の花はちょうど私の学園入学と同じ時期に咲く。
「ねえ、アイリスちゃん。ポピーの花言葉って知っているかしら?」
「…花言葉?」
私そういうことに疎いからちょっとワカラナイナ…。すぐ頭に思い浮かんだのがポピーだったからそれにしたけど、もしかして悪い意味の花言葉を持つお花だったのかも。今度からはちゃんと勉強しないと。こういうところが女子力低いんだよなあ私。
「ポピーの花言葉はね…‟恋の予感”っていうのよ」
これはアイリスちゃんに春が来るのもそう遠くないかもね、なんてとっても嬉しそうにお母様が笑った。




