16、逃走
「助けてもらった立場で人を突き飛ばすのはどうかと思いますが?」
「それは…!ごめんなさい…。少しびっくりして…」
まだドクドクと心臓が音を立てているのが分かる。これは違う!そうっ、あれだ!
お父様以外の男の人に触れられたことがなかったから余計驚いたというかなんというか。ちょっと待て、違うってなんだ。頭がパニックになって冷静な思考が出来ない。
ちらと紫髪の少年に目を向けても当の本人は涼しい顔をしている。私ばっかり動揺しててなんか悔しい…。
落ち着け私、落ち着け…。
この胸の高まりは、断じてあの少年の意外と逞しい体にドキドキしたとか冷たい瞳に射抜かれてゾクゾクしたとかじゃないわ!!
ドキドキはともかくゾクゾクはまずい気がする…。危うく新たな扉を開きそうになったところで理性を総動員して踏みとどまらせた。
そうよ、年頃の男の子と接する機会がなかったから体が勝手にそんな反応をするんだ。これは一種のまやかしよ。騙されてはいけない。
この騒ぎに気づいたのか他の少年たちがこちらへ寄ってきた。
「どうした。何かあったのか」
「いえ、何も。こちらのお嬢さんが怪しい動きしていたために声をかけただけですよ」
「ふーん?怪しい動き、ねえ?」
ちょ、怖いんですけど。金髪の少年の赤い瞳が私を捕らえて離さない。うう、視線が痛い…。何、イケメンっていうのは目だけで人の動きを封じることが出来るんですか。それはそれはすごい才能をお持ちで。
「何しようとしてたのかは聞かないであげるけど、君も一緒に来るといいよ。後でいろいろ聞かせてくれるっていう約束したよね」
…いや、してないな。話を聞きたいとは言われたけどね。約束っていうものは当人同士の了承を得ないと成立しないものであって、つまり私は話すなんて言っていないから約束ではないです!
…はい、黙りますすみません…。
金髪の少年は「何か言ったかな?」と言いたげな泣く子も黙るアルカイックスマイルで私に反論を許さなかった。こやつ相当やりおるな…。というかさっきまでの物腰柔らかな雰囲気はどこに行ったのよ。この三人の中で一番気を付けないといけないのはもしかしてこの少年だったりして。
「ルーク様!お待たせいたしました!」
先ほどの男性が大柄な男を引き連れて戻ってきた。
大きいな…。第一印象はそれ以外になかった。それは決して太っているとかそういうんじゃなくて。
その男性は私が見上げるほど高い身長に、重役がつけると思われる鈍く光る豪華なブローチを胸元に飾った騎士服を身に纏っていた。
腰に下げた重そうな剣は彼の威厳を保つための装飾品のように見え、そこにあるのが当然と言わんばかりの輝きを放っている。服を着ていても分かる盛り上がった筋肉は強引に服の中に詰め込まれ、短く切りそろえられた短髪は彼のワイルドさをさらに引き立てていた。
「おお!ほんとにルーク様じゃねえか!いままでどこに行ってたんだよ!」
白い歯を見せながら金髪の少年の肩をバシバシと叩く様子は、長らく合わなかった弟に会ったかのように軽い調子だった。少年たちが無事に帰ってくることを確信していたかように見えるのは気のせいではないだろう。
「それに、カイル様とディラン様も一緒だったのか!!そりゃちょうどいい。まとめて屋敷まで送ってやるよ。っと、こっちの嬢ちゃんは誰だい?」
向けられた視線がほんの一瞬だけ鋭く光った。何、私がん飛ばされるようなことしたっけ?
しかしその鋭い視線はどこえやら。すぐに元の豪快な笑顔を浮かべる。
「それよりもロベルト、至急話したいことがある。実は…」
金髪の少年の説明をざっと受けた大柄の男の人は浮かべていた笑みを消し真剣な顔つきになる。
「そうか、ルーク様たちもそれは災難だったなあ。分かった、後日そのアジトってところに部下を派遣させて調べるとするか。で、こっちの子供たちはどうするんだ?」
「もう夜も遅い、僕のところに全員運んでくれ。この人数だ、客間と大広間を貸し切って使ってもらおう。それと明日にはそれぞれの家庭に手紙を出して、親に迎えに来させるんだ。頼めるか?」
「はいはい、了解っと」
まずい、この状況は非常にまずい。このままでは私もその金髪の少年の屋敷に連れていかれる。連れていかれたら最後、私が実は平民の娘ではなくアルベルン家の者だということが分かってしまうに違いない。ここはどう動くのが最適解なのか…。
うん、逃げるしかない!!逃げの一択!
逃げるというか我が屋敷へ戻ることしか私が助かる方法はない。そうと決まれば即行動だ。
さらば少年!二度と会わないことを願おうではないかっ!!
私は彼らにそそくさと背を向けて足を踏み出した、はずだったのに私の体はその場から動かなかった。おかしいな。なぜ走っても走っても景色が変わらないんだ…?
「嬢ちゃんも、もう夜も遅いんだからルークのところに泊っていけよ。急がなくても明日になれば父さんや母さんに会えるんだからな!」
下を見ると私の右手首をしっかりその男性が掴んでいる。騎士としては当然の行動だとは思うけど、私は全然そんなこと望んでないよ!!空気読もうか。さっきから私、帰りたいオーラ出してたはずよね。
というかこの人、私が逃げ出そうとしていたことに気づいていたのか。いつから?って、今はそんなことを考えている場合じゃない。
もう!この人馬鹿力過ぎて全然腕が外れないんですけど。そりゃ私も一応淑女だし、大の大人の、しかも男性に力で叶うなんて思ってない。試しに何度か力を込めてその手から逃れようとしたが全く無駄だった。
「ロベルト、その子は特にちゃんと見張っておいてくれるかい。彼女は僕たちがこうして戻ってくることに尽力してくれた功労者でね。僕が後でじっくり話を聞くことになっているんだ」
「そうなのか。そいつはすごいな!にしてもルーク様に目を付けられるなんて、嬢ちゃんも可哀そうだなー。ってことだから嬢ちゃんも一緒に行くぞー」
行きたくないです…。神様、私が何をしたって言うんですか。どうか慈悲の心で私をお救いください…。恨みがましく男性に捕まれたままの右手に目を落とす。
「そういえば嬢ちゃんの名前を聞いてなかったなあ。嬢ちゃん、なんて言うんだ」
ほんとに勘弁して、言えるわけないでしょ。でも私が名乗らない限りしつこく聞かれそう。一応偽名でも名乗っておいた方がいいか。
何か適当な名前ないかなー…。名前、名前…。こういう時に限って思いつかない。当たり障りのない名前ってなんだろう。エミリー?マリア?デイジーあたりか?…そもそも平民にありがちな名前なんて貴族である私にわかるはずもなく。
「僕もずっと気になっていたんだ。君の名は何という?」
気にならないでよ…さっき知り合ったばっかでもう会うこともないんだから(私的には二度と会いたくないし)知っても意味ないってば。
すると掴まれてた右手首に違和感を感じる。…ねえ、ちょっと。私を掴んでいる腕に徐々に力込めるの止めて?それ痛いから。絶対に吐かせる気満々だね、この人。おーい、私の手首折れそうだよ?子供相手にやるやつじゃないよね?
分かった分かった!言います、言いますから!
「…あいり」
「あいり?珍しい名前だな」
金髪の少年の後ろに控える二人も、それに同調するように頷いている。
やってしまったー!!!!珍しい名前だったのか!!咄嗟に口をついて出た言葉にこれ以上ない位の後悔が浮かぶ。なんでなのよ私。しかもほとんど私の名前言っちゃってるね…。あと一文字で本名の完成だよ?
こうなったら仕方ない。何が何でも少年の屋敷へ連れていかれるわけにはいかなくなってしまった。本名がバレた暁にはなぜ嘘をついたのかと問い詰められ虚言の罪で捕まったりする可能性がある。
魔力も残り少ないけど、実力行使で逃げさせてもらいます。まずはこの男性の隙をついて腕を外してもらわないと。私と彼が戦うことになっても負ける気はさらさらないけど、この男性とやりあったら軽くここら一帯の建物が消し飛びそうで怖いもの。
(‟マウンテン・ロック”)
男性の足元の地面の中に巨大な塊を作る。人に当てるんだから、あまり大きいとケガをするかもだし魔力は少なめでいいか。…そもそも人を気遣えるほど魔力そんなに残ってなかったわ私。地中にそれがほどよい大きさになるまで魔力を込め、私は思いっきりその土の塊を地中から引き上げた。
「うおっ!!!」
よしっ!腕が外れた!
(‟パワー・アップ”)
先の戦いで銀髪の少年に施した魔法を今度は自分にかける。足が熱を持つのを感じてから走りだし、一目散にその場から逃げ去った。わっ!予想以上に速い!
「あっ!待ちたまえ!」
待てって言われて待つ馬鹿がどこにいるのよ。それじゃ、失礼するわ!
…自分でかけてみて思ったけど、これ制御難しすぎない?




