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クロッカス

「はあ……」


 夕食の途中で、物憂い気に溜息をする長女を、ぎょっとして見遣る父、母、長男。三人は互いの顔を見合わせ、普段なら負の感情を滅多に見せない瑞穂を心配した。


「ね、姉ちゃん……?」

「ん? なに、律紀(りつき)

「溜息ついてどーしたの……?」

「え、ウソ。私、溜息なんかしてた? あ……はは、やだねー、無意識に溜息なんて! 幸せ逃げちゃうっ」

「疲れてるのかしらねえ。無理しちゃ駄目よ」

「はーい。じゃあ、食べ終わったらすぐお風呂入って、寝るよ」


 他愛もない歓談を交え、夕食を終えると瑞穂は宣言通り、入浴の為リビングを出て行った。


「……」

「……」

「……」


 使った皿を対面キッチンのカウンターに置く律紀(りつき)、その皿を回収し洗っていた鏡子、テーブルを拭いていた雅弘、それぞれの仕事をしていたが瑞穂の姿が見えなくなった途端に、再びテーブルに集合すると、頭を突き合わせる。心なしか小声である。


「父さんの言う通り、目が追ってた」

「やっぱり、あのユーレイを捜してるのね」

「電子器具の不具合も起きないし、俺も見掛けなくなったからな、居ないんだろう」

「成仏したとか?」


 誰かを助けたい気持ちが未練でそれが叶ったから、というのが律紀(りつき)の推理だが、両親は腑に落ちていないようだ。幽体が言っていた「姿が見えなくなる前に」この言葉が、どうにも成仏したと思わせてくれず、彼らは息子に賛同できずにいる。今は父親と母親。しかし、その前は夫と妻、更に遡ればカレシとカノジョ。つまり、男と女。互いだけを愛し合っていた時代。雅弘は幽体()の心情を、鏡子は瑞穂()の心情を思案し、難しい表情を浮かべた。


「なに、なんだよ、二人とも」

「あの子は、今まで恋をしたことあったか?」

「たぶん、小学生の時の大和(ひろかず)くんだと思うけど、小学生じゃあねえ。自覚はなかったと思うわ」

「ヒロ(にい)?! マジで!?」


 大和(ひろかず)。杉山大和(ひろかず)とは、道路を一本挟んだ向かいに住んでいる家族の次男で、瑞穂より四歳上の好青年。ずっと実家暮らしをしていたが、新社会人の生活に慣れ、近々独り暮らしを始めるため引っ越しの挨拶を最近してきていた。


「幼馴染に恋って、姉ちゃん、マンガを地で行ってるな」

「同じ目をしてるのよね」

「目?」


 好きな人を追いかける視線が似ている、と鏡子が言うと沈黙が下り、シャワーの音がダイニングに僅かに響いた。

 そのシャワーの水音のように絶え間なく小さく、しかしそれと違って爽やかになりそうもないおどろおどろしい呻き声が、とある神社の境内に響き渡る。真夜中の誰もいない境内の一角に座り込むのは、透ける人影――幽体だった。その胴体部分からは、まるで水底に沈んだ船を苗床に揺らめく海藻が如く、唸る黒き靄が湧き蠢く故、端整な顔を歪め耐えている模様。


  ――縛りが強い……。


 苦悶の歪みに、挑戦的な笑みが加わった。


  ――()とお前らの、どちらの強欲が勝つか、勝負と行こう。


 木枯らしが吹いて、境内にリィィンと鈴が響くと同時に、黒き靄の一部が夜空へ溶ければ、幽体の苦悶の表情が多少ばかり和らぐ。


  ――お前らが思い出させてくれたからな。西洋の力(・・・・)も、使わせてもらうぜ。


 幽体の輪郭が揺らめいた。




「ひやあああー! 寝坊したー!」


 ふと浮上した不明確な意識のまま、「起きなきゃ。あれ? アラーム鳴ったっけ?」と枕元の時計の文字盤を見れば、針は九時三十分を指していて、普段であれば寝巻のまま先に朝食を澄まし、顔と髪の支度を済ませてから制服を着るのだが、先に制服を着て、階段を駆け下りた。ダイニングを覗くと、音楽をかけながらのんびりと過ごす鏡子の姿が。


「お母さん、なんで起こしてくれなかったの?!」

「おはよう」

「暢気におはようだなんて!」


 文句を言いながら洗面台に駆け込み、身支度を進める。


「目覚まし時計鳴っても下りて来ないから、起こしに行ったわよ? でも、ぐっすり眠ってたから、ゆっくりさせてあげようと――あ、ねえ、学校へは電話してあるから、慌てなくていいのよ」


 それでも、遅刻は最小限に済ませたいと、瑞穂は反論したが、


「大事を取って、休ませますって」

「エェ!?」


 遅刻の連絡ではなく欠席の連絡を、既にいれてあるようだった。そして、大慌てでした準備は水の泡と化した瞬間であった。仕方ないので私服に着替えるべく自室に引き返す。

 三村家の呼び鈴が鳴ったのは夜と夕方の間、借りてきた映画を母と一緒に観ている時だった。瑞穂が一時停止のボタンを押すと同時に、鏡子がインターホンに出る。


「はあい」

「あ、コンバンワ。俺、三村……あー……瑞穂さんと同じクラスの、諏訪といいます」

「あらあら、隣の席の元気な男の子ね!」

「え」

「お話、聞いてるわっ。いつも元気を貰っ」

「お母さん、そんな余計な話しいいから。出てくるよ」


 カーディガンを一枚羽織りながら、玄関へ足早に向かう。きっとインターホンの向こうでは、いきなりの弾丸トークに目を丸くしているだろう、と予想を立てながら、サンダルを引っ掛けて外に出れば、やはり戸惑い気味の大雅(たいが)がいた。


「ごめんねー。いきなりテンションの高いお母さんで、びっくりしたでしょ」

「いやっ全然! 平気!」


 そう、良かった、と瑞穂は微笑み、それでどうしたの? と用件を尋ねる。


「今日さ、学校来なかったからさ、プリントあるんだ」

「おお、配達ありがとー」


 大雅(たいが)からプリントが挟まれたクリアファイルを受け取るはずが、彼が何故か中々ファイルから手を離さないので、二人して取り合いのような形になり、無言が下りる。


「……あの、諏訪くん? 放してくれないと、受け取れない」

「昨日の事」

「ん?」

「あの時は、いきなりゴメンな!」


 ファイルから手を離して、運動部らしく勢いよく頭を下げる大雅(たいが)に、瑞穂はたじろいだ。大雅(たいが)大雅(たいが)で、勢いを失う前に言葉を繋げる。


「ミムランの話、信じてないわけじゃねーんだけど……ちょっとイラついて。あっ、でもイラついたっつっても、ミムランにじゃなくて、アイツっつーか、俺自身っつーか」

「お……オーケーオーケー、頭、上げてよ」


 焦り気味に彼の肩を軽く叩きながらそう言うと、大雅(たいが)は姿勢を起こす。


「そもそも、私、怒ってないから。むしろ私が謝んなきゃと」

「三村は悪くない! あっわり、うるさいよな。その……俺のただの嫉妬で――」

「嫉妬?」


 彼は、うっかり本音を滑らせた己の口を塞ぎ、手にしていた紙袋を、ぬっと瑞穂の眼前に突き出した。


「詫びの印。俺の母さんが作ったパウンドケーキ」

「わーっ、嬉しい! 諏訪くんのお母様に、お礼伝えてくれる?」

「任せろ」

「任せたっ。あはは! じゃあいろいろありがとね。明日は復活するから」

「おう、待ってんぜ」


 気を付けて帰ってね、と瑞穂が手を振れば、大雅(たいが)は大振りで振り返し、帰路についた。不安(仲違い)の種が摘まれて一安心しながら彼の後姿を少しのあいだ見送ってから、瑞穂は家に入る。


「おかーさーん、諏訪くんから、ケーキもらったー。お母様の手作りだって」

「まあ、素敵じゃないの! お夕食のあと、いただきましょうね」


 入院生活は自習以外やることがなく、院内の散歩などしか動いておらず、ほとんどがぐうたらな生活だったのだが、やはり無自覚に気を張っていたらしく、自宅という瑞穂自身のテリトリーの中で、心置きなく一日休みを貪った翌日、彼女は身体の軽さを実感した。スッキリとした気分で登校し、授業を受けていく。しかし、一教科だけ、見学となった日だった。


「はーい、がんばってー!」


 体育館に高い声が響く。瑞穂は退屈そうに、バレーボールをするクラスメイトを眺めている。零れてきたボールを拾おうとしても、ケガを心配されて、座っていろと窘められてしまった。


「……ヒマだ。ヒマすぎる」


 あぐらを掻いて眺めていることも飽きてしまい、体育座りに居直して、両膝に顔を埋めた。こういう時、幽体との念話はとても便利かつ楽しかったな、とふと思い出してしまうもので、芋づる式で〝寂しいな〟〝いまどこで何してるのかな〟などの焦がれた思いも湧き上がり、最終的に〝会いたいな〟に辿り着く。そんな自分に、


「あははっ、恋する乙女か」


 と、小声で笑えば、不思議と何かがカチリと納まる感覚に陥った瑞穂は、そのままの体勢で体を強張らせた。壁と結婚した女性や、親と子ほどの年の差婚がある世の中、ごく少数だが、冥婚なる形の結婚も存在している。瑞穂は、まさか自分が死者に恋をするとは思わなかった、と狼狽(うろた)えた。

 そういう時に限って、幽体が一番逞しく頼もしく見えた〝あの時〟が脳裏に浮かぶのだ。彼女の名前を肉声で呼び、切り裂き魔から守る背中や、瑞穂の切り裂かれた腕から滴る血液を口付けて飲み込む口元を。


「わー……わー……わー……」


 心なしか熱く感じ、顔を上げて手を扇代わりにパタパタと動かして、顔に風を送った。


「いくらなんでも、吊り橋効果がすぎるよ……」


 またパタリと膝に顔を埋める。彼女が恋愛と思う感情は、これが初めてではない。中学時代に一学年上の先輩と、しばし交際をしていた。彼の高校受験シーズンのとき「受験勉強で構えない。寂しい思いをさせてしまうから」と言われて別れたが、それまでの交際期間中で彼に恋い焦がれた感覚と、いま幽体に(いだ)く感覚が似ている事に、戸惑いが大きいようだ。

 そうして、一人悶々の悩んでいる内に、


「――……ら……み――らさ……」

「三村!」


 彼女は授業の間すべて眠りに落ちて、体育教師に強く呼ばれ起こされて、体を跳ねさせた。ハッと顔を上げたさきで、苦笑いの体育教師と、陽菜乃(ひなの)と顔が合う。彼はからかい調子で、二時間授業を堂々と居眠りとは逆に感心する、と言い、本調子じゃないなら保健室で寝るかと提案してきた。


「いえ、大丈夫です。完全にただの寝落ちです、すみません」

「そうか、ただの寝落ちか、平常点下げるぞ」

「やだー!」

「冗談だ。ハッハッハ、ひっかかったな。教室戻れ。昼飯の時間、なくなるぞ」

「はーい、先生」

「歩きながら寝るなよー」

「寝ません!」


 体育館の入り口には、体育の授業内容が外だった男子陣が待っており、合流したあと、今日は弁当ではなく食堂で買う予定の(なお)の用事を済ませてから、いつものように、瑞穂の机周りに集まって昼食を始める。


「めしめしぃ」

「男子は外でなにやってたの?」

「サッカー」


 いつものように、雑談をしながら箸を進めていた時だった。

花言葉【青春の喜び】【切望】

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