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サントリナ

 この幽体、午後の授業では、隣りにはいるものの午前のように口を挟んでくることもなく、静かに傍観していた。瑞穂が己に気付いていると知っていて、気に掛けてもらいたく、ああして賑やかにしていたのかもしれない。

 放課後、教室で帰る支度をしていれば、美咲に呼ばれた。


「かーえろっ」

「いま行くー!」

  ――じゃあぼく先に帰っているよ。

 ――え、うん。


 帰り道、コンビニで間食系を買って公園に寄る。


「幽霊君は、今いるの?」

「先に帰るって」

「ふぅーん。なんかこう話し聞くとホントふつーの人間と変わらないね、幽霊って」


 美咲が菓子パンにかぶりつきながら言った。


「いや、彼が特殊なんだよ」

「え?!」

「あそこまで自我を持ってる幽体は、初めてなの。いつも見える霊たちは、地縛霊か浮遊霊で、大半は意思のない霊ばっかり。喋りはするけど、会話はできないって感じ」

「じゃあ、幽霊君は少数派?」

「その少数派の中でも、少数。っつか、本当に〝まともな会話〟をする霊は初めて」


 それからというもの、彼は瑞穂の近くにいることが多くなった。それに伴い、周りの仲間も通訳を通してではあるが、幽体と仲良くなっていった。だが、生者と死者が親しくなっていくことを、瑞穂は懸念していた。あれだけ意思があると、生きている人間と同じく負の感情も抱く。幽体にとって負の感情は、すぐに悪霊へと導いてしまう橋だ。生を持っている者とこんなにも一緒にいて、彼が悪霊化しないだろうかと、不安を抱いた。

 そんな奇妙な交流が始まってから、数週間が過ぎ――。


「なぁなぁ」


 瑞穂の隣の席である諏訪が、授業中に小声で話し掛けてきた。聞き返すと、小声でこう言ってきた。


「アイツ、いつもミムランの近くに居るわけ?」

「え、っと、あの幽体のこと?」


 思わず瑞穂はきょとんとした。


「そんなことないけど。なんで?」

「いやっ、別にっ!」

「Mr.Suwa, Stop a private talk.」

「んげっ」


 先生に注意され、諏訪は慌てて前を向いた。一体なんだったんだろうと思いながらも、大雅(たいが)からの質問を一旦頭から追い出して、授業に集中する。授業後に真意を聞いても、はぐらかされてしまったので、自己完結したのだろうと気にしないことにした。

 昼食時になれば、幽体はふらりとやってくる。自分は食べられないのに何故よりにもよって食事の時に帰ってくるのか、と一度尋ねた事があった。〝飲食〟は生きている者と死んでいる者を、はっきり分ける動作なのに。すると、彼は満面の笑みを浮かべて返した。


  ――だって、みんなが一番幸せな表情するんだもん。見ててぼくも気持ちよくなるから。


 その言葉に不覚にも涙を流してしまい、他のみんなに説明しなければならなくなった。そうしたらば、陽菜乃(ひなの)が弁当箱のフタにご飯を少し取り分け、予備の割り箸を縦にたてた。


  ――……ッ!

「じゃあ、これで幽霊くんも、一緒にご飯食べれるね!」

「浅井ちゃん……」


 当初は怖がっていた彼女も、今ではこういう気配り出来る程になった。


「やっぱりご飯はみんなで食べたいよね」

「浅井って優しいよな」

「ええ? そうかなぁ。黒田くんも優しいと思うよ」


 そういって(なお)の机を指差した。買い弁のおかずをフタに乗せて、楊枝を立てていた。


「あっは、バレた? や、このセブンのおかず美味いからさ是非、ね」

  ――……ありがとう。


 そう言って微笑んだ彼の顔は、瑞穂の目にとても綺麗に映った。その表情を見てしまった彼女は、胸の高鳴りを感じる。顔が火照るのが自身でも分かり、彼は幽霊だ! と自分に言い聞かせても、胸の早鐘は止まらない。生前、女子に人気だったと言うだけあって〝昔の人〟離れした二枚目な顔立ちの笑顔の破壊力は、強かった。


「どうした? ミムラン」

「え!? あ、別に! み、みんなにありがとうだって!」

「幽霊君はおなかいっぱいになるの?」

  ――この感覚が、満腹というのかな。初めて味わったよ。


 それ以来、教室の生徒達に怪訝な目で見られないように、ひっそりと彼の分を用意して昼食をとる事になっている。いつものメンバーで穏やかに毎日を過ごす。

 しかし、あくる日は感じがいつもと違う人物がいた。


「………」


 それは、普段より無口気味な大雅(たいが)だ。ふと時間があれば〝彼〟がいるであろう場所を睨む。


「ん、なに? 諏訪くん。ああ、あの人? 今はいないよ」


 大雅(たいが)は瑞穂から「大体いつも後ろにいるよ」と聞いてるのでその方向を気にしていると、客観的には瑞穂を見てるようになる。彼女は、自分ではなく背後に目が向いている気付き、居ないことを彼に知らせたが、大雅(たいが)は気まずさを抱き、慌てて目線をずらした。


「あぁ、わり。別になんでもねえ。気にすんな」

「ふうん?」


 *


「というわけだ。集団で帰るようにな。一応、登校路に先生方が立ってるが、七時を過ぎると引き上げるからな。警察の方が巡回してるが、常時立ってはいないから。特に女子ー。気をつけろよ?」


 帰りのショートホームルームで、刑事事件が付近で発生していることが、担任から知らされた。昨日、このS校から近いT校の生徒が、ナイフで切りつけられたとのことで、警察から警戒が呼びかけられたのだ。被害者の女子生徒は、たまたま部活が長引いて、暗い裏路地を一人で帰っていてそのところを襲われたそうだ。


「ジャック・ザ・リッパーの真似でもしたいのかしら……」


 事件についてぼそりと感想を述べたら、彼がその呟きに反応した。


  ――じゃっくざりっぱー?

 ――日本語で言うと、切り裂き魔よ。昔、海外にいた連続殺人犯でね。女性に対して、なんか、色々恨みとかコンプレックスがあったらしく。

  ――なら、今回の犯人も、女学生に恨みでもあったの?

 ――どうだろうね。ジャック・ザ・リッパーと心境が似てるのか、模範した愉快犯なのか、わからないわ。

  ――……愉快犯。人を傷つける事が楽しいのか。

 ――たぶんね。


 そうして、とても悲しい顔をした。やはり〝死〟というものに非常に敏感らしい。

 警告から数日。あの時以来、被害に遭ったという知らせがないので、生徒たちの間では既に切り裂き魔の事は忘れ去られていた。瑞穂もその内の一人で、十九半時現在、すっかり群青色に染った星空の下を、警告も忘れて単独で下校している。


「ハァア……委員長のせいだー……」


 先程の、文化祭に向けての委員会会議はここまで遅くなる予定はなかったのだが、喋りだすと止まらない委員長を止められず、この時間になってしまったのだ。いつもなら明るいうちに帰れるので、距離を短縮できる裏道を使うが、その裏道は外灯がほぼない。黄泉の者がいちばん活発になり、現世にいちばん干渉しやすい逢魔(おうま)が時を過ぎてはいるものの、引き寄せやすい環境をわざわざ通る必要はない。


「しかたない。大通りから帰ろう。って言ってもなぁ。大通りに行くまでも暗い道なんだよねェ」

  ――おつかれ。


 声に出して独り言を言っていると、スゥ……と、彼が微笑みを浮かべながら、瑞穂の視界内に現われた。


「あ、やっほ。ほんと疲れたよー。ずっと座りっぱなしだったから、お尻いたーい」

  ――帰りが遅いもんだから、迎えに来たよ。

「優しい。さすが自称モテモテくん」

  ――アハハハ、自称は余計でしょ。


 彼の登場を茶化してる様だが、瑞穂はひどく安心感を覚えていた。いけないと分かりつつも、いつの間にか彼に信頼を寄せて、彼がいることで得られる心地好さが身体を巡ることに、抵抗がない。文化祭のことや、自分の傍にいない時はなにをしていたかなど、話している穏やかな時間は、突如、破られた。それは、あと少しで大通りに出る、という時だった。


「ひゃあっ!?」


 茂みからいきなり誰かが飛び出してきた。手には――。


「は? ナイフ?」


 フードを被ったその者は、包丁の切っ先を瑞穂に向けて道を塞ぎ立ったかと思えば、一気に彼女へと走り込む。


  ――瑞穂!


 予期せぬ事態に反応が遅れ、横一文字に薙ぎ払われた軌道から逸れられず、刃に左腕を切り裂さかれた。恐怖に呑まれるが、硬直してしまうよりマシだ、大丈夫、と己に言い聞かせ、腕を押さえながら不審者と距離を置く。

 勢いで通り過ぎた不審者は、振り返り、また構えた。「へ、へへ、ははっ、へははひひひ」と不気味な笑い声を漏らし、一歩、一歩と近付いてくる。その背後に黒い影が揺らめく。それは、いつもは視界に入れないようにしている悪霊であり、取り憑かれていることは、明白であった。除霊をするほど、力を鍛えておらず、遭遇してしまった場合は、祖母の霊力が込められた塩を投げかけているのだが、今回、そんな隙は無い。切り裂かれた腕は熱く、頭痛がしてきて、とてもじゃないが逃げ切れる自信が湧いてこない瑞穂は、睨み合いを続けるしかなかった。


  ――瑞穂、ごめん! 飲ませて!

「え? 飲ませ……えぇ!?」


 切り裂き魔から目を逸らす事ができず、返答に困っていると、視界の端に幽体の頭が映り込み、いったい何事かと少しだけ目をそちらへ向ければ、驚く事に彼は左腕から流れる血に顔を近付けていた。とんでもない光景に、顔の向きごと逸らしてしまい、切り裂き魔はこれ幸いと踏み込んだ。


「ちょちょちょっ!」


 今度は薙ぎ払いではなく、突き刺すようだ。嬉々とした狂った笑みの切り裂き魔と目が合っても、もう遅い。刺される、死ぬ、と瑞穂は思い、目を瞑った。だが、いつまで経っても予想した衝撃や痛みが来ない。代わりに、


「ど、どっから沸いてきやがった!」


 切り裂き魔の怒号が、静かな道に響いた。次いで、聞き覚えのある声が。


「さあね。そんなことどうでもいい。それよりも、自分の身の心配でもする事だね」


 黄泉の空間から聞こえる言霊は、どこかくぐもって、僅かなエコーがかかっている。この声は普段、そのような音であるはずだが、現世の者と同じ音質で、瑞穂の耳に入っていく。そろりと瞼を開けて、目の前を確認した。


「そんな……、なんで……? きみ……」


 その背中を見ることは中々ないものの、着ている服は、見慣れたワイシャツとズボン姿だった。


「は、離せ、このヤロぉ!」

「――そうか、教論が忠告していた輩は、お前か」


 真っ直ぐに切っ先を瑞穂に向けて突進した切り裂き魔は、そこに存在する〝彼〟の左手一本で手首を掴まれ、動けずにいた。勢いを付けた物は、ましてや人とぶつかれば、受けた側も多少なりともよろめいたりするもので、ピタリとその場で止まれるわけはないのだが、それが一切なく、まるで、木材に包丁を突き刺したかのような不動を、切り裂き魔は味わう。言いようもない恐怖に駆られたのは、憑いてる悪霊が力の差を感じたのか、現世の者が黄泉の者を恐れる感覚なのか、正常なる思考を犯された切り裂き魔は、答えを出せぬまま、押したり引いたり、どうにか〝彼〟から逃れようと足掻いた。


「瑞穂を、こんな目に遭わしたんだ。呪い殺したいところだけど――」


 その凄まじい殺気に、とうとう切り裂き魔は震え上がり、隠し持っていたもう一本の包丁で何度も〝彼〟の胸を突き刺した。


「……ッ」


 刃を通じて悪霊の怨念が〝彼〟に流れ込み、一時的に動きを封じたため、切り裂き魔は「うおおおお!」と叫びながら抜け出し、そのまま大通りの方面へ逃げ出す。


「逃さない!」

「あ! ねえ!」


 大通りからは悲鳴が上がった。瑞穂は、不調を押し殺して切り裂き魔と〝彼〟の後を追いかけた。

花言葉【悪を遠ざける】

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