第四話 困ったお客人
やっと休憩時間を得たのも束の間。次の災難はとある人物によって知らされることに。
まばらだった人気が少しずつ増えてきた。自分達が食べている間に、他の従者が食事をする時間帯に差し掛かったらしい。
ちょうどそんな頃、突如、塔の入口あたりで静かなどよめきが起こった。
「なんでしょうね?」
飲み物のコーナーから紅茶を選んで一息付いていた三人は、その騒ぎを耳にして注意を向けた。
「おぅ、ウィスク。ここに居たのか」
がたがたっ! 音をさせて立ち上がったのは、名を呼ばれたウィスクだけではない。反射的に俺とシリアを含む何人かの従者が起立した。もっとも、俺が立ったのは他の者とは多少違った理由からだが。
声の主はゆっくりとした足取りで近付いてくる。その紫のマントと不適な笑みはここでは非常に、いや異常に目立つものだった。
「こんなところへいらっしゃるとは……。どうなさったのですか、ルーシュ様?」
ルーシュが行く先は人が割れ、道が出来ている。吸血鬼一族がこの従者塔へ立ち入ることなど普段はほとんどない。従者達は水を打ったように静まり返って事態を見守っていた。
「久しぶりだな、シリア。相変わらずソックリだな。親父はどうだ? そろそろひっくり返りそうだろ」
「……いえ。ルーシュ様もお元気そうでなによりです」
ルーシュの単なる軽口に過ぎないのだが、返す言葉を持つ者はこの場にはいない。問われたシリアでさえ、なんとか笑顔を返すので精一杯の様子だ。
ルーシュはその反応が気に入らなかったのか、「面白くない」と零し、わざとらしくフォルトを見て言った。
「逃げ足が早いな」
ぐっと言葉に詰まる。言われるまでもなく、朝の一件についての発言だろう。それを分かっているから、俺も青筋が浮かぶのを隠さず、こちらもわざとらしく笑顔をのせて言い返す。
「お食事は済まれましたか?」
実は、俺達の仲の悪さは城内でも有名だったりする。それでも、他者の目がある前であからさまに逆らうような真似はしない。あくまでお互いにあるのは主従関係だからだ。
「まぁな。あ~あ、たまにはゲテモノでもと思ったのに」
「やめておいた方が賢明というものです」
澄まして返答したところで、ルーシュは別の用事を思い出したらしく、ウィスクに向き直った。
「そうそう、ミルラ達がさっき来たんだ。もてなしてやってくれ」
「はい。すぐに参ります」
命じられたウィスクは後片付けをシリアに任せ、弾かれたように飛び出していった。本当に仕事熱心というか、苦労の多い人だ。いつ寝ているのかさえ怪しい。
話題に上がったミルラとは、ルーシュ兄妹にとって従姉妹にあたる女性である。ルーシュより少し年下で、吸血鬼には珍しい清楚系の美人だ。が、ここで大事なのはそこじゃなく、セリフの言葉尻にあった。
「ミルラ様……達って」
「あぁ。勿論、あいつも来てるぜ?」
俺の心中を察したルーシュはむしろ楽しげに教えてくる。直感で頭は痛むし、とても腹立たしいけれど、取り合っている場合ではない。「あいつ」とは、ミルラが連れてきているはずの弟・クシルのことだ。
クシルはイリスよりも一つ年上の、見た目だけは可愛らしい少年だ。そう、見た目だけは、である。考えれば考えるほど頭が重くなる。早くイリスの元へ戻った方がいいと判断し、俺も慌てて片付けを終えて走り出した。
「フォルト!」
一抹の不安を抱えて廊下を疾走していると、後ろからやってきたシリアに呼ばれた。どうやら俺を追ってきたらしい。昼時の人で溢れた時間帯に、ヒールの靴で良くこれだけ走れるものだ。
「先輩、どうしたんですか?」
僅かに速度を落としながら訊ねる。食事中の会話から考えるに、まだ彼女には午後の仕事まで余裕があったはずだ。ざわざわと騒がしい廊下でも聞き取れるように、やや大きな声が返ってきた。
「ミルラ様達のことだ、きっとイリス様のところにも寄るはず。それで急いでるんだろう?」
「イリス様の世話係ですからね」
「こっちも同じ。もてなさないと、旦那様に叱られる」
あの二人の相手をウィスクのみに押し付けては可哀想だ。特に弟のやんちゃ坊主の接待を一人でやれと言われた日には、俺なら逃げ出したい衝動に駆られるだろう。
人を掻き分けながら進むと、階段が見えてきた。そこからは厳かに静まり返る、吸血鬼一族の居住空間である。靴音に気を配りながらも一気に駆け上がった。
「居るっぽいね」
「みたいですね」
扉の向こうでは幾人かの声がしている。ビンゴだ。俺達は囁きあい、溜息を付きあった。目配せし、シリアが頷いたのを確認してから、控えめにノックしようとした瞬間。
「助けてぇっっ!!」
「え?」
表現できないほどの衝撃と共に、息が詰まって意識が飛びかけた。僅かの間、体を浮遊感が襲い、後ろへ叩き付けられる。
「な、何が……」
なんとか頭を振って意識を手元に呼び戻すと、ルフィニアの情けない顔が目に飛び込んできた。
どうやら先程のすっとんきょうな叫び声は彼女のもので、衝撃は開いた扉に俺が弾き飛ばされたことによるもののようだった。
危うく、ひっくり返って命がけの階段落ちを演じてしまうところだった。後ろを振り返り、ずらりと並んだ螺旋状の石段に背筋が寒くなる。
「ふぅ、危ないな。……痛て」
「フォルト!? ごめんなさい。私、気が動転してて。あっ、シリア先輩もご一緒だったんですね。すみません、あの」
常に冷静なルフィニアにしては珍しく、顔を赤くしたり青くしたりと忙しない。あまりの慌てぶりに、シリアがポンと肩に手を置き、「ちょっと落ち着こう」と優しく諭した。
それで彼女もようやく己を取り戻したのか、二三度深呼吸してパニック状態を抜け出そうと試みるくらいには、日頃の自分を思い出してくれた。
「で、何があったのかな?」
「すみません。イリス様に勉強をお教えしていたら、ミルラ様とクシル様がいらっしゃって。そうしたら……あぁっ、どうしたら――はぅっ」
語尾の吐息は、「気合い」を入れたシリアの功績である。端から見れば、いささか威力が強すぎたように見えたが大丈夫だろうか。
「で、何?」
「え、あ、はいっ。とにかく中を見て下さい」
心の準備が定まる前に開かれた扉の向こうは、外の静けさとは無縁の世界と化していた。否、実際は、「向こう」などありはしなかった。白一色だったからだ。
最初、目の前で何が起こったのかを理解できなかった。部屋でも間違えたか? そう思って怖々触れてみる。ひやりと冷たかった。
『は?』
驚いて更に触ってみる。やはり冷たい。そして指が濡れる。
「……これ、雪か?」
そう、雪だ。雪が、部屋を隈無く埋め尽くしているのだ。
「フォルトぉ~!」
なんだこりゃあと雄叫ぶ直前、白壁の向こうから聞こえたのはイリスの声だった。吸血鬼の優れた聴覚で聞き取ることで、雪を挟んでもこちらの動きがなんとなく分かったのだろう。やけに上機嫌なのが気にかかる。
「い、イリス様! 今、そっちに行きますから。大人しくしてて下さいっ」
「雪だるま、おっきいでしょ~? クシルがくれたの~」
「ゆ、雪だるま……!?」
無邪気な主人は、顔は見えずとも間違いなく喜色満面のはずだ。いわれてみれば心なしか雪の層の間が窪んでいるのが分かる。頭には赤いバケツでも乗っているのかも知れない。
かなり混乱気味になってきた。かろうじて理解したのは、壁と思われた物体が雪だるまであることと、全てがクシルの仕業らしいということだ。そして、分かった途端に、猛烈に腹が立ってきた。
「何でこんなことになってんだ!? オイ、クシル! このふざけた代物を早く片付けろ!」
俺は初対面からあの悪ガキが大嫌いだった。毎回、イリスを巻き込んで突拍子もないことをしでかし、周りに迷惑をかけまくるクセに悪びれもしない。
おまけにルーシュを尊敬しているとくれば、なりふり構わず怒鳴るのには十分である。すると、その憎き相手の声がくぐもって届いた。
「うるさいなぁ。イリスが喜んでるんだから、良いだろー?」
相手もこちらを舐めているから、決して焦ったりしない。相変わらずの口調で、「放っとけよ」などとのたまう。
「お前には関係ないっつの」
何が「関係ない」だ。ここは俺の職場だぞ! 脳裏でぷつりと何かが切れる音がした。
「待ってろよ……」
先程までの勢いを捨て去り、静かな怒りを内に秘めて部屋を出る。ある種の凄味を感じ取ったのか、誰も声をかけては来ない。そのまま階段を、塔の地下まで降りていく。
地下は、ところどころを蝋燭の灯りだけが頼りなく照らす、湿った空気がたまった場所だ。一番下にある物置の重い扉を開くと、埃っぽい空気が立ち込める真っ暗なスペースが現れる。手探りに「あるもの」を掴み、再び階段を駆け上がった。その際、途中にある蝋燭の一つを借りるのも忘れない。
「一体、どうし……っ」
わけを訊ね終わるその前に、ルフィニアは俺の意図に気が付き、吃驚して声を途切らせる。間髪入れず、驚きが溢れ出した。
「ちょ、ちょっと! それ、まさか!?」
彼女の声が上擦るのも無理はない。俺が手に持っている白いポットの形をした陶器は、従者なら見ればすぐに解るものだった。器の中身は暖房用に保存されている「油」だ。そして、もう片方の手には蝋燭のてっぺんで揺れる小さな火。
「ま、待ちなさいよ! 何する気!?」
なんとか止めようと顔を覗き込んでくる。俺の目はきっと蝋燭の炎に魅入られて完全にイっていたと思う。
「見てろよ。これからこの馬鹿げたデカブツを消し去ってやるからな」
いよいよ高笑いでもし始めそうな、キレた俺の咆哮が周囲に響き渡った。
部屋を埋め尽くす雪だるま。どうやって入れたのかは謎です。
フォルトは部屋ごと焼き尽くしてしまうのか!?
ほのぼのはどこに行ったのか? 次回で第一部は終了です。